産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第202号 2019.3.29発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成31年3月度(第202号) 目次
【31年2月度 産業懇談会(火曜G)模様】 2月12日(火) 12時00分〜14時00分
【31年2月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】 2月20日(水) 12時00分〜14時30分
【31年3月度 産業懇談会(火曜G)模様】 3月12日(火) 12時00分〜14時00分
【31年3月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 3月13日(水) 12時00分〜14時00分
【わたしの産懇】 Part3
エントリーNo.10 キャリオ技研株式会社 代表取締役 富田 茂氏
エントリーNo.11 学校法人愛知真和学園大成中学・高校 理事長・校長 足立 誠氏
エントリーNo.12 徳倉建設株式会社 執行役員副社長営業本部長 細畠 秀雄氏
徳倉建設株式会社 取締役常務執行役員建築事業本部長 岡田 夏樹氏
エントリーNo.13 宗教法人龍泉寺 代表役員 佐藤 正延氏
エントリーNo.14 株式会社名古屋観光ホテル 取締役社長 森本 審氏
【名古屋いちばん物語】 No.118
【新会員自己紹介】
安藤 亮一氏

株式会社帝国データバンク 名古屋支店長

住谷 安彦氏

DIC株式会社 名古屋支店長

伊藤 和彦氏

事業構想大学院大学 名古屋校 事務局長

樋口 偉久氏

株式会社名古屋観光ホテル 取締役管理本部長

【4月度産業懇談会のご案内】
【5月度産業懇談会のご案内】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.9
コラム2 【保健師からの健康だより】 No.180
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.125
【31年2月度産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 大学生向けインターンシップで
             2年連続日本一となった理念経営の取り組み 』


日  時:平成31年2月12日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:33名

スピーカー:
針生 栄司(はりう えいじ)
アチーブメント株式会社 
名古屋営業所長

写真:針生 栄司氏


■大学時代は人間学マニア、そしてアチーブメントとの出会い
 今でこそ人材教育・人材コンサルの仕事に邁進している私だが、とにかく勉強が大嫌いで、特に歴史が苦手であった。案の定、浪人生活に突入したのだが、予備校で出会った世界史の講師の言葉が、私の人生を方向づけた。「歴史というのはただ年号や出来事を覚えるものではない。過去に起こったありとあらゆる事象から成功と失敗を学ぶためのものだ。それが、見えない未来を照らすヒントになるはずだ。」と。あらゆる成功と失敗には、それを隔てる決定的な違いがあり、共通点があるのではないかと、それ以降、私はこの部分に強く惹かれていったのである。
 無事大学に入学した私は、それこそ人間学マニアといった様相で、様々な成功者が記した書物を読みふけった。特に昭和の大思想家中村天風に心酔、当時の私は将来やりたいことは不明確だったが、とにかく彼のような人物像に近づきたいと思っていた。
 そんな時に出会ったのが、アチーブメント創業者の青木仁志。中卒たたき上げで様々な苦労を経て32年前に当社を起業した。彼が人材教育を志したのは、教育基本法の条文「教育は人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた、心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」に感銘を受けたからだそうだ。私は彼と出会ったことで「この会社しか受けない、生涯この会社で働く」ことを決めた。

■理念経営とは?
 当社は日経新聞で、「従業員300人以下の日本一入りたい会社」として選ばれ、そして学生インターンシップ人気ランキング二年連続1位として知られるようになったが、そんな当社の根幹を成す考え方が「理念経営」だ。経済活動や利益のみに焦点を当てるのではなく、会社の存在理由や目的に焦点を当てるものであり、働く社員一人一人に組織の理念・ビジョンが浸透することで組織が強化されるという考え方だ。「企業は人なり」というが、そもそも企業理念やビジョンがあって、そこに共感する優秀な人材を採用し適切な人材教育が出来るかが、企業の発展にとって最重要である。
 企業理念の土台は経営者の人生理念である。なぜ、何のために我々は存在するのか、理念とビジョンを明確化するその土台があってこそ、目的を果たすための戦略的な目標が設定できる。そしてそれが実際の計画や日々の実践へと繋がり、もともと企業理念からスタートした一貫性ある経営が実現されるのである。
 目的や目標が明確になると、上司の指示命令がなくとも、従業員に内発的動機が生まれ達成に向け最善を尽くすようになる。やらされ感をいかに失くすか、これは組織が自走するための最大の課題である。当社では、採用選考でも実践している。就活生と、就職する意義を一緒に考え、彼らのやりたい事に徹底的に向き合うよう努力している。当社に入ってもらうことがゴールではない。入ってくれるかも分からない採用選考の段階で、これだけ就活生の成長に関っていると、あまり興味のなかった学生でさえ、終わってみれば当社の仕事に関心を持ってくれたりもする。

■人間の幸せのメカニズム〜選択理論心理学より〜
 アメリカの精神科医ウィリアム・グラッサーが提唱した選択理論心理学の理論を、当社は積極的に採り入れている。従来の心理学は、人間の行動は外部からの刺激に対する反応と捉え、問題が発生した場合は罰を与える・褒美を与えるといった外的コントロールで解決を図ろうとしていた。しかし、子供に勉強しろと強制したところで多くが失敗するというのが現実である。一方、選択理論心理学は、人の選択には他人が関与できないという前提に立ち、相手を受入れ自分との違いを交渉することで解決を図ろうとするものだ。相手への傾聴や支援、信頼や尊敬をもとに、内的コントロールを行う試みである。その心理学の根幹をなすのが「5つの基本的欲求」と「上質世界」である。

<5つの基本的欲求>

  • 生存の欲求:生きていくための基本的欲求。安全・安心・健康。
  • 愛/所属の欲求:誰かと一緒にいたい、人間関係を求める欲求。
  • 力の欲求:認められたい、勝ちたい欲求。承認・貢献・達成・競争など。
  • 自由の欲求:自由な選択、自分らしさ。
  • 楽しみの欲求:知的好奇心や楽しいことなど自発的に求める欲求。

<上質世界>

  • 5つの基本的欲求を満たす具体的なイメージ。例えば仕事だったり趣味だったり。

 人が幸せであるというのは、5つの基本的な欲求が満たされている状態のことである。そしてこの欲求のレベルというのは、人それぞれ違いがある。例えば就活生を見ていて感じるのは、我々の時代よりは休暇や労働時間などライフスタイルに関心が高く、すなわち生存欲求が高い。
経営者が考えねばならないのが、いかに社員一人一人がイメージする上質世界に「仕事」や「会社」「経営者・上司」を入れてもらうかである。そのためには、まずは社員一人一人とのコミュニケーションから始まる。また、この5つの基本的欲求を戦略的に会社の制度や仕組みに落とし込んでほしい。あくまで当社の例であるが紹介したい。

 生存欲求:当社は自らレストラン経営を行い、幸せを感じる空間を提供している。
 愛・所属欲求:社員やその家族の誕生日には社長自らメッセージ付きの花を。(意外に喜ばれる)
 力の欲求:健全な競争の機会を提供している。MVP表彰、営業部門の毎週のタイトルなど。
 自由の欲求:名古屋営業所開設時には、不動産からオフィス什器まで全て自分で交渉。
 楽しみの欲求:プーケット保養所の提供。資格取得支援や奨学金。

 社員が「この会社が自身の自己実現に役立つ!」と思うかどうか、それは裏返すと「自らの会社は、働く社員が自己実現できる舞台になっているのか?」を経営者が日々自問自答できるか、ということではないだろうか。


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【31年2月度産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 名古屋大学ナショナルイノベーションコンプレックス(NIC)視察会 』


日  時:平成31年2月20日(水) 12時00分〜14時30分
参加者:32名

スピーカー:
加藤 滋(かとう しげる)
名古屋大学
研究協力部産学官連携監

スピーカー:
二宮 芳樹(にのみや よしき)
株式会社ティアフォー 取締役
名古屋大学 未来社会創造機構特任教授

加藤 滋氏

写真:二宮 芳樹氏


 産学官連携の取組みを加速させている当地アカデミア名古屋大学を訪問し、そのイノベーション創出拠点となっているNICの見学会を実施した。研究協力部産学官連携監の加藤滋氏によるレクチャーのあと、自動運転ソフトウェア開発企業であるティアフォー取締役で、名大未来社会創造機構特任教授である二宮芳樹氏より、同社の紹介ならびにNIC内で保管している自動運転車を実際に見学させていただいた。

<加藤滋氏によるレクチャー 「オープンイノベーション機構構想−未来社会創造機構の拡充−」>
■松尾総長が加速させるイノベーションへのチャレンジ

 「名古屋大学を世界屈指の研究大学に」というビジョンのもと、松尾総長イニシアティブ「NU MIRAI2020」が打ち出された。様々なアクションプランの中でこれまでになく強調されたものが「イノベーションへの貢献と社会的価値の創出」である。世界有数の産業集積地にある基幹大学として、産学官連携でのイノベーションを目指すための体制構築や人材育成を宣言した。例えば、従来の一企業と一研究室の連携にとどまらない共創コンソーシアムを形成するため、窒化ガリウム研究コンソーシアムや、次世代モビリティ・ナノライフ・新材料に関する未来社会創造機構などを設立。また、イノベーションの社会実装の担い手となるベンチャー創出のスキームを構築し、ファンドの整備やアントレプレナー教育を推進している。これはデジタル時代に生まれた若い世代の発想力を大いに活かすための取組みでもある。

■基礎研究〜産学連携〜技術移転までをシームレスに
 名大では、研究から社会実装までをシームレスに支援できるよう、学術研究・産学官連携推進本部による一貫したマネジメント体制を敷いている。また研究の担い手として、企業からの派遣の受け入れ、共同研究において博士課程等の学生が参画できる制度もある。また、企業による学内装置の利用に加え、秘密情報管理を徹底し企業が安心して連携スキームを活用できるよう側面支援も行っている。
 企業から研究資金と2名以上の人材を受け入れる共同研究は現在28ある。企業は名大内にいわばサテライトオフィスを持つことで、名大教員の知見に素早くアクセスできるほか、研究設備も学内価格で利用可能だ。また、大学の組織として外部資金の調達も可能であり、知財も企業に帰属するなどメリットは大きい。
 共同研究においては、明確な研究テーマ・ニーズのもと行うものが主流ではあるが、最近は、複雑な時代背景のもと、具体的ではない数十年後の社会像やビジョンを共に考えてほしいという依頼も多い。「探索型共同研究」と呼んでいるが、連携本部所属のURA(ユニバーシティ・リサーチ・アドミニストレーター)が文理の壁を超えた知や要素技術を総動員し、曖昧なところからスタートし本格的な共同研究に向けた提案を行っているので、活用してほしい。

■オープンイノベーション機構事業の構想
 未来社会創造機構では企業の事業戦略に関わる競争領域により一層重点を置くため、オープンイノベーション推進室を設置した。従来の産学連携は、各種コンソーシアムのように協調領域の範囲で基盤・要素技術開発を行ってきたものが中心であった。しかし、研究プロジェクトが進むにつれプロトタイプ開発や事業化といった競争領域のフェーズへと進む事例も増えてきた。このフェーズにおいても大学がその担い手として機能できるか、我々はコンサルティングと共同研究を一体化した事業構築型の共同創造スキームを提供したいと構想している。

<二宮芳樹氏 レクチャーおよび見学会>
 自動運転開発には「自家用車の発展型」「モビリティサービス型」の二種類がある。前者はテスラが取り組むような自動運転車をイメージ頂きたい。後者はトヨタが2018CESで打ち出したe-Palleteコンセプトをイメージ頂くとわかりやすい。現在、自動運転のレベルで開発競争が活発なのがレベル3だ。社内に運転オペレータはいるが、運転中に他のこと、例えばスマホの操作ができてしまうレベルだ。Audiは既にレベル3の機能を持つ車を発売済みだが、法律上まだ機能の使用が認められていない段階だ。ちなみにレベル4では運転オペレータそのものが存在しないもので、google傘下のWaymoが公道での実証実験を開始している。我々は2020年以降、いよいよレベル3以上の自動運転の社会実装が加速するものとみている。
 自動運転を含むいわゆるCASE(Connected, Autonomous, Share, Electric)が進むと、街なかで例えば駐車場などが無くなるなど風景が一変するかもしれない。また、運転時間というのは、ただの移動時間へと変わり、運転時間や運転空間は新しいビジネスチャンスとなる。また、産業構造も大きく変わる。カーメーカーを頂点にTier1以下の部品メーカーが連なる現在の産業構造は、モビリティサービス会社を頂点にその下にデータ会社・自動車会社・技術サポート会社などが連なる新しいピラミッド構造に変わっていくだろう。

 名大・ティアフォーではレベル4の早期実現を目指している。中核技術は自動運転ソフトウェアのAutowareである。 Autowareはオープンソースのプラットフォーム。世界中の開発者に使ってもらうことで、迅速な普及と改良、ひいてはデファクトスタンダード化を狙っている。既に国際業界団体「The Autoware Foundation」も設立し、英国半導体のARMやトヨタのTRI、ファーウェイなども参画している。なお、レベル4の実現のためには、このAutowareをプラットフォームに、3D-LiDAR(位置情報や周囲をセンシングする高精度センサー)と三次元の高精度地図が必要になる。この高精度地図の技術はアイサンテクノロジー等が担っているが、実際に公道を走りながら各種データを取り込む必要がある。そのため同一地点間のシャトルサービスから普及が進むことが想定される。我々は幸田町や高蔵寺ニュータウン等で自動運転の実証実験を行っているが、人口減少・高齢化社会においては移動や物流のラストワンマイルを担うモビリティとしても期待される。

写真:自動運転車
トヨタ車を改造した自動運転車
写真:小型電気自動車
1人乗り小型電気自動車コムス

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【31年3月度産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 企業リスクから見えてきた健康管理のあり方
                〜人間ドックを受ける3つの利点〜』


日  時:平成31年3月12日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:34名

スピーカー:
与那覇 靖(よなは おさむ)
医療法人尚豊会 
理事長

与那覇 靖氏


■「健康」とは何か?
 ヘルスケア産業は急拡大しており2020年は26兆円を睨む一大産業だ。これだけ見ると、皆さんの健康への意識の高さがうかがえるが、決して健診の受診率は変わっていない。なぜか? これは我々医療従事者にも問題があると考えている。
 健康を定義づけると、「疾病や障害がないこと」に加え「肉体的・精神的・社会的に完全に快適な状態であること」だ。感覚的には皆納得するが、「社会的に」という部分が分かりにくい。例えば、足を切って感染症になった患者さんがいるとする。そこに治療を施すのは当然であるが、治療すれば解決したと言いきれるわけではない。原因を追究していくと、「廃品置き場で遊んでいたから足を切った」→何故?→「それは良い環境に住むことができないから」→何故?→「それはお金がないから」→何故?→「それは両親が教育を受けておらず仕事に就けなかったから」、というように物事には真因があり、この社会的背景を持つ真因に迫らないと解決はできない。かつて、肥満は金持ちの象徴と言われたが、今では、安価な炭水化物を摂取しがちな低所得世帯ほど肥満傾向があると言われている。肥満の人に対して「肉や野菜を摂りなさい!」などと正論をかざしても改善しない。健康とは自己努力だけでは解決できない課題であることを認識し、その人の生活やとりまく環境に向き合うことが我々医療従事者も求められているのではないか。

■2025年〜団塊の世代全てが75歳以上になる〜
 健康寿命増進は安倍内閣の国家プロジェクト。はっきりとは言わないが、明確な理由がある。国民医療費は、高齢化社会の到来によってここ10年で1.3倍の42兆円(2015年)と拡大傾向だ。団塊の世代全てが75歳以上になる2025年には62兆円に拡大すると試算されている。ちなみに、現在の国家予算規模が大体100兆円なので、2015年時点でも既に国家予算の40%が医療費で占められている。そして75歳を分岐点に医療費は明らかに増大することが分かっているので、この2025年問題への対応として国家プロジェクト化されたのだ。大病を予防し健康寿命を延ばすことが財政問題の緩和に繋がるということである。
 現在の死因で多いのが、癌・心疾患・脳血管疾患。心臓や脳関係は寿命が延びたことによる自然増なので、予防として注力すべきは癌予防である。定期的な健診による予防が期待される。

■癌にも色々ある
 大腸・胃・肺・乳房・前立腺・膵臓・肝臓が、癌の罹患数上位7つ。この7つは定期的な人間ドックを受けていれば大体見つかることをまず理解頂きたい。また、癌の種類とそのステージ毎によって、生存率が全く違う。どの癌をいつ発見できるかが生存率を左右するということだ。
 例えば・・・
 胃癌:ステージ1と2で生存率に20%の格差あり。早期発見のために内視鏡検査が望ましい。
 大腸癌:ステージ1から3まで生存率は大きく変化しないので、内視鏡までは不要だが、年1回の便潜血検査は必ず受けて欲しい。
 肺癌:ステージ1と2で生存率に30%の格差あり。レントゲンではなく、精度の高いCTによるスクリーニングが望ましい。
 膵臓癌:ステージ1でも5年生存率は40%と最も低い。腹部エコーやCTによるスクリーニングで進行前に早期発見できるかが全て。
 このように、癌はステージによって生存率が変わるため、とにかく早期発見が要になる。早期発見すれば、治療にかかる医療費も少なくなり企業健保からの拠出が抑制され、企業側の負担も軽減される。

■癌診断方法の潮流

  • 腫瘍マーカー:癌細胞が死ぬ時に放出される特有のタンパク質を血液で検知する。デメリットはある程度腫瘍が大きくなってからでないと反応しないことと、精度がまだ悪い。
  • 線虫スクリーニング:九大の先生が発見した方法。癌患者の尿には線虫が寄り付く傾向があり、腫瘍マーカーよりも格段に精度が高い。
  • マイクロRNA:癌細胞は癌が広がりやすいようにマイクロRNAという物質を自ら放出する。そのマイクロRNAを血液検査で検出する画期的な方法が開発された。凄いのはステージゼロ以前の微小癌が発見できることで、将来的には安価な方法となることが期待される。

■理想の健診に向けて
 ある40代の女性は胸部レントゲンでステージ3の肺癌が見つかった。しかし、実は2年前も健診で異常な陰影を指摘されていた。癌を疑う事例であったはずが、健診だけでははっきりしないため単に「要精査」とされていた。しかし、本人はシングルマザーで仕事が忙しかったこともあり専門医の検査は受けておらず、残念ながら間もなく亡くなってしまった。これからは健診事業者が患者にどう伝え、どうフォローアップしていくかが重要なテーマである。
 健診は結果を出すだけではいけない。我々も笹島にクリニックを出したが、ここでは、健診結果のメディカルレター(解説書)を渡している。また、問題があれば、その場で紹介状を書く。ここまですれば専門医での二次受診の動機づけとなる。
 経営者の皆さんには、職員の雇用と健康を守るため、受診者目線の医療機関を選択してほしい。また、ぜひ人間ドックを定期的に受けていただきたい。ドックは今の健康状態を確認するためのものではなく、単発で受けて安心しても意味がない。去年の結果と見比べて何が変化したのか、これを自ら確認するのがドックの意義である。


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【31年3月度産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 感動エンジニアリング。 NDS 』


日  時:平成31年3月13日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:24名

スピーカー:
玉村 知史(たまむら さとし)
NDS株式会社 
取締役社長

玉村 知史氏


■アウトドア活動が健康の秘訣
 実家は京都市西京区生まれで、清水寺の東山とは真逆の西山地区にある。西山の実家近くには今では観光客でごった返す有名な鈴虫寺、苔寺があるが、子供時代は遊び場であった。現在の私の家は長岡京市。少し大阪側にはサントリーの山崎があるので、水がとてもおいしい地域だ。
 趣味はアウトドア。中・高・大とワンダーフォーゲルで山歩きをしていた。子供もボーイスカウトに入れてみたが、付き添っているうちに私がハマってしまう始末で、今では指導者資格もある。また、家の近くで畑を借りており、週末は家庭菜園に勤しんでいる。有機農法なので、畑を掘り起こすとミミズでいっぱい、枝豆・空豆・にんにく・山椒・梅・ゆず等々、すっかり畑作業も板につき、私の一番の健康法となった。

■光ファイバーに魅せられた
 高校時代にNHKの光ファイバー特集を見て、「これからは光ファイバーだ」と阪大の通信工学に入学した。当時、通信工学は阪大・東北大の二択で、下宿がしたいので東北大を選びたかったのだが、親に「阪大でも下宿させてあげる」と騙され、結局は毎日実家から通うはめになった。
 就職は電電公社を受験、無事入社することができた。金沢での現場実習に始まり、各地を転々としながら開発・建設企画・保全まで様々な部門を経験させて頂いた。同友会には片桐さん・橋本さんなどNTTのOBがいらっしゃるが、当時は上司・部下の関係だったので今でも頭があがらない。
 光ファイバーは通信技術の一つだが、光通信の起源は狼のフンを燃やして煙を出す狼煙(のろし)にある。始まりはチンギスハンの時代らしい。情報量は少ないが通信速度は140km/hもあった。一方、光ファイバーは髪の毛の細さ(0.125mm)で基本はガラス質。中心のコア部分と外側のクラッド部分があり、両者の屈折率の違いを利用し、光はコアの中を高速で反射しながら進む。そのスピードは秒速30万kmと途方もない。

■NDS創業者 本多静雄
 NDSの設立は昭和29年の「日本電話施設」に遡る。現在の社名NDSはその頭文字をとったものだ。初代社長の本多静雄氏は豊田市の生まれで、大正13年に京都帝国大学を卒業後、逓信省・内閣の技術官僚として活躍していたが、昭和18年46歳のときには退官。早くも故郷の豊田に戻っていた。しかし、戦後、電気通信協会名古屋支部長を任せられ、大陸から引き揚げる大量の郵政関係者への仕事の斡旋に奔走し、それが日本電話施設の出発点となった。一方で、陶磁器や民芸にも造詣が深く、その振興活動にも尽力された。本社の通信ビルの2Fにも、本多氏が陶芸家 加藤唐九郎に依頼した陶壁「輪廻」が飾られており、そのモチーフは電話機のダイヤル模様とも伝わっている。ちなみに同ビルにはFM愛知が入居しているが、これも本多氏が初代社長を務めたからだ。平成28年にオープンした豊田市民芸の森は、豊田市名誉市民でもある本多氏の屋敷跡で、閑静な森の中に住居に加え狂言舞台や茶室もある。是非一度訪れて欲しい。

■感動エンジニアリングの追求
 NDSの企業理念のキーワードは「感動」。日々の生活を支えるインフラ企業として、お客様に感動して頂くために情熱をもって信頼の技術、品質、サービスを提供してまいりたい。主要事業は以下の4つ。

  • 通信インフラ事業:固定電話とモバイルの設備工事や保守を担う。地下配線や架空配線を駆使してNTTの収容局から事業者や個人宅を繋いでいる。モバイル関係では携帯基地局(アンテナ)を設置。またビル内や地下鉄内で携帯が使える裏側には我々が黒子役として存在している。2020年にはいよいよ5G時代が到来するので、今後も通信の発展を支えていきたい。
  • 社会インフラ事業:ETCや自然エネルギー、音響、防災ネットワークなど各種社会インフラにも関わっている。例えば溜め池の水面に浮かべる太陽光パネルの設置工事、国会の音響設備構築、ミッドランドスクエアの情報通信システム構築など意外なところにもNDSが関わっている。
  • ICTソリューション事業:電子マネー決済は今後ますます普及する。我々もタクシー料金決済端末(QRコード・交通系ICカード)、東京で始まった職場内プチローソンのセルフレジシステム、ホテルチェーンの各種システム(VOD,WiFi,電子マネー決済)など、既に多数実績がある。
  • 住宅不動産事業:分譲戸建やマンション事業も展開。耐震対策等、住居の基本的な機能に加え、やはりICT関連企業として、セキュリティやWiFi環境等で独自性を発揮している。

 インフラを支えるのは人である。男性社員の育児休暇取得率(3日以上)100%に象徴されるとおり、働きやすい職場作りに邁進しており、「くるみん」認定を含め各種自治体から取組みが評価されている。また、家族・地域住民を招いた会社見学会、今年で25回目となったNDSスペシャルコンサート(高嶋ちさ子氏)など、社会に開かれた企業として今後も感動を提供する存在であり続けたい。


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          産懇宅配便200号記念企画

特別寄稿 「わたしの産懇」 Part3

 200号を迎えた「産懇宅配便」。これを記念し、皆様からあつめた産懇の口コミ「わたしの産懇」。
いよいよPart3となりました、今回も世話人含む5名の方のご寄稿を紹介。スピーカー時の思い出や昭和61年(!)の産懇見学会の歴史まで、多彩なエピソードが飛び出しました。

エントリーNo.10
『 産懇でビジネスをひろげる 』

 キャリオ技研株式会社
 代表取締役 富田 茂 氏(火曜グループ世話人)

 一般的に団体の会合は、受け身で講演を拝聴することが多く、自らの事業を発信する機会は少ない。講演会を拝聴し、近くの経済人と名刺交換。おおまかそれの繰り返し。仲良くなるには共通体験が必要で、例えば視察旅行などは最善である。しかし、頻度も少なく、時間も掛かる。まして自社事業の説明などは、なかなかできない。産懇は、そうした課題を一気に解決してくれる機会だと思う。
 いつの日か、私は産業懇談会の火曜日世話人を任命された。諸先輩のご引導である。世話人の役目は、おおまか懇談会の運営の内、講師をお願いすることである。講師には、産懇会員であったり、外部有識者であったりと様々な選択がある。やはり、産懇らしさを出すには、産懇会員の事業を披露していただく機会が必要である。わずか1時間強の時間ではあるが、産懇会員の事業内容を拝聴することで、お互いのビジネスの繋がりを見つけることができるのである。また、事業説明だけでなく、ご自身の趣味や趣向について講演願う場合もある。それ以降、出会うたびにその話題からのご挨拶となり、親近感がグッと近くなる。
 是非これからも、産懇会員の皆様に講師をお願いした時に、「えっ」と拒絶反応をなさらないでいただきたい。
 火曜日産業懇談会は「文化と芸術」を楽しむために、いろいろな企画をしている。
 例年、忘年会は「蔦茂」での宴会だが、余興で各界の芸能人を招いている。年に一度は、芸術を外部施設に楽しみに行くことも企画している。中部経済同友会に入会されたら、産業懇談会の活動に参加することで、2倍早く溶け込むことができます。

写真:わたしの産懇10-1 写真:わたしの産懇10-2
平成28(2016)年3月3日、ノリタケの森で、自社製造のドローン飛行を披露!  
目の前で飛ぶドローンにみなさん目を白黒。貴重な機会をご提供いただきました。

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エントリーNo.11
『 昭和61年 産業懇談会 本山めぐり 』

 学校法人愛知真和学園大成中学・高校
 理事長・校長 足立 誠 氏(水曜第1グループ世話人)

 私が中部経済同友会、そして産業懇談会に入会(1984年)させて頂いたのは、当時水曜グループ(現在の水1グループと水2グループの母体)の世話人であられた(株)コメットカトウ代表取締役 加藤景徳(かげとく)氏(故人/加藤愛一郎 現社長のお父上)の強いお奨めがあったからでした。
 同氏のお言葉は、「これからの私学の経営者は、経済界に目を向けなくてはいけない。是非入りなさい。特に産懇は会社のトップと直接お話しすることが出来るので、何かしらあなたのためになる。」というものでした。
 加藤氏は、私の今1つの職業である寺院の檀家であったことから、(学)足立学園(※)の行く末を親身に思って、半ば強引に30代前の若く未熟で、学園内の地位もさほど高くない自分を、入会に導いて下さいました。
(※)創立1927年、現在の(学)足立学園、(学)愛知真和学園(創立2006年)の母体)および、真宗大谷派足達山本養寺(ほんにょうじ、創建元禄年間)

 入会させて頂いて、私も何かしら周囲の会員の皆様から感得したことや最新の経済情報を、学園に持ち帰ることが出来ないかと心掛けていました。その中で特に2つの事柄が、この30年余りの会員生活の中で心に強く残っています。
 1つは、周囲の社長さんたちはどれだけ力を持っておられるのかとの驚きでした。世話人であられた加藤氏の強力なリーダーシップにより、3グループ合同で関西の諸宗派の「本山めぐり」が計画・実行されました。(1986年10月14日〜15日)。
 幾つかの本山に参詣し、その寺院のトップにお話を聞くという壮大な企画で、訪問先は(1)天理教(天理市)(2)信貴山(3)唐招提寺(4)東大寺 等で、宿泊は『菊水楼』でした。
 (1)天理市では、大伽藍を丁寧に見て回り、(2)信貴山では、リンナイの内藤明人様(故人)の肝入りで、特別に代表者のお話と大般若の祈祷を受けました。(3)唐招提寺では、私たち一行に同行して下さった、当時 奈良経済同友会 代表幹事の古川浩造様(故人)の肝入りで、同じく代表者のお話と、東山魁夷画伯の絵画で全室が装飾された離れ(開基鑑真和尚の座像安置)を、これまたたった十数名のために開放して下さり、東山画伯の絵の世界に浸らせて頂きました。当時の感動が忘れられません。
 (4)東大寺では、多くの一般の参詣者から、少し大袈裟かもしれませんが羨望と驚きの眼で私たち一行は見上げられていました。その理由は、大仏様の台座の場所まで上げて頂き、直に大仏に触れることも出来たからです。加えて菊水楼の少々の広めの和室で、皆様と雑魚寝して親切にして下さったことも忘れられません。何しろ、驚きの連続の1泊2日の小研修旅行でした。今一つの事柄につきましては紙面の関係で割愛させて頂きます。
 産懇の先人の皆様、そして現在の会員の皆様からのご指導やご恩に、多少なりとも報いたく存じます。

写真:わたしの産懇11-1 写真:わたしの産懇11-2

足立世話人から、当時の写真を探してほしいという依頼。
見つかるか不安でしたが・・・ありました、ありました!
面影のある方が何人かいらっしゃいますね??!

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エントリーNo.12
『 光陰矢の如し 』

 徳倉建設株式会社
 執行役員副社長営業本部長 細畠 秀雄 氏(火曜グループ)
 取締役常務執行役員建築事業本部長 岡田 夏樹 氏(水曜第2グループ)

 月日の経つのは誠に早いものである。中部経済同友会が如何なる会かも充分理解できていない二人が入会させて頂き、早くも3年が過ぎた。実は先輩から特段の事は無い気楽な会だと言われ、入会させて頂いたのが3年前の平成27年7月、気楽でいた二人が驚愕する事態となったのはスピーカーというお役目だ。
 二人ともそのような経験も無くお断りをしたが、何とお人柄良く、巧みな話術の世話人様にこれまたころりと言いくるめられてしまった。恥をかくのも勉強の内、まだ先だから先輩方のご講演を参考にすれば何とかなるだろうなどとまだお気楽の二人であったが、実は二人とも所属したグループが違うので人のことなど構っては居られなくなり、お尻に火がつき余裕が無くあたふたと本番を迎えてしまった。こんな苦い経験だが、今となってはそれも良い思い出となっている。又、そのような不甲斐ない、二人の講演を会員の皆さまが暖かく受け入れて頂いた事に感謝の念で一杯であったことは記憶に新しいところである。
 実は入会当時、産懇関係は100%出席する事を目指していたが、実際には諸々の事情で半分程度しか出席出来ず大変残念である。産業懇談会に加入させて頂いたことは、異業種の財界幹部役員の方々と親しくさせて頂け人脈作りができること、また、自身は欠点であったが、皆さまの素晴らしいご講演を拝聴させて頂けることが新鮮であり楽しみであり、経験の無い内容で興味津々でもあり、何かと勉強になる有意義な時間を毎回楽しみにしている。やむを得ず出席が出来なかった所を補って頂いているのが、産懇宅配便である。
 この度、記念すべき産懇宅配便200号と言う事で、16年と言う長きに渡り継続されてきた素晴らしい軌跡に費やされた労は計り知れないとお察しする。次の300号と言わず500号、1000号を目指して頂きたい思いで一杯である。
 多彩な経験をさせて頂ける、産業懇談会に改めて感謝の意を表し、この稿を閉じさせて頂く。

写真:わたしの産懇12-1 写真:わたしの産懇12-2

平成29(2017)年3月14日
『我が社のODA(政府開発援助)事業における
発展途上国での建設工事の取り組み』

平成28(2016)年11月2日
『建設会社としての環境への挑戦』

 ご両名からスピーチをいただきました!
 お二人とも直前まであたふたしてた?!ようには見えません。

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エントリーNo.13
『 私の産懇 』

 宗教法人龍泉寺
 代表役員 佐藤 正延 氏(木曜グループ)

 私は、産業懇談会の木曜グループの一員としてお世話人の方々、そして事務局の皆様にお世話になりながら研鑚を積む事に大変な喜びを感じて居る者の一人である。

 世情の変化は目まぐるしくて、「IT」そして「AI」の進歩によって人間の「心」の入る隙間のない様な大変な革命期に入っている事に驚きを感じているが、過去の歴史の中でも何度となく革命期、変革期を乗り越えて来て今日がある事も事実である。

 私共、1200余年の歴史を持つ宗教法人を皆様からお預かりする者として、先人の苦労に想いを馳せながらこの激動期に皆様とどう向き合いお役に立てるか思考を重ねている。

 扨、産業懇談会にて会員の異業種の皆様とお話しをする中で現代の企業人の方々それぞれのお立場の中で日々の現場へどう云うお心で臨んでいらっしゃるのかを拝察すると、やはり「心の交流・想いやり・全てへの感謝」そうしたものをベースにした上で逆境に立った時に、それをどう乗り切りどの様にして時代の変化に対応するか、延いては企業の発展への決断に試行錯誤なさっている会員の方もいらした中で、私の浅学ながら客観的な産業懇談会の中で学んだ事も含めての意見が「心の癒し」となり、ご判断の参考になればこの上ない幸せであると感じるこの頃である。

写真:わたしの産懇13-1 写真:わたしの産懇13-2

平成25(2013)年2月14日 『節分と日本の心 』
初登壇。龍泉寺さんの歴史を語っていただきました。

平成28(2016)年9月1日 
龍泉寺さんへ訪問!ご住職として説話と寺社内のご案内をしていただきました。

今年の恵方は、龍泉寺さんです。5月にはまた、水曜第1グループが見学に伺います!

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エントリーNo.14
『 スピーチの思い出 』

 株式会社名古屋観光ホテル
 取締役社長 森本 審 氏(水曜第2グループ)

 産業懇談会の皆さまの交流の場として、いつも当ホテルをご利用いただいていること心よりお礼申し上げます。
 私自身も平成27年当社に赴任後まもなく、産業懇談会の水曜第2グループに入会させていただきました。初回出席したときに早速スピーチをするようにと仰せつかり、数か月間仕事の合間を見つけてあれこれ考えながら資料の準備をし、平成28年5月に“開業80周年と観光、ホテル業の現況“という演題でスピーチさせていただきました。
 当社の歴史や観光業についての実情を調べ、それを資料に纏めることは、自分自身も赴任して間もない頃でしたので、82年前の創業からのこのホテルの歴史や、名古屋の様々な変遷を再認識するよいきっかけになりました。各企業の皆様の前で90分間もスピーチするのは初めての上、当日は37名様と他のグループからも多数ご参加いただき、大変緊張したのを覚えております。
 “産業懇談会はスピーカーからの一方通行ではなく、質問をお受けする時間もしっかりとるように”と伺っていたのですが、時間配分がうまく行かず、準備していた資料をすべてお話できず、質問もお受けできず反省した一方、無事終わってほっとしたのを思い出します。以降、別の機会でスピーチすることもあったのですが、この経験が役立ち、少しは余裕を持ってお話できるようになったと思います。
 また、毎回会員企業のみなさまの仕事内容や、業界のこと、会社の歴史、実情、今後の展望などなど、普段なかなかおうかがいできない貴重なお話をうかがうことができ、大変勉強させていただいております。またこの会を通して知り合った方々とも様々な交流をさせていただくことができ、視野と人脈が広がりました。 
 これからもみなさまが産業懇談会を通じて交流していただける場として名古屋観光ホテルがお手伝いさせていただけるよう努力するとともに、私自身も皆さまとの交流や、スピーチの拝聴を通して今後も視野がさらに広がることを楽しみにしております。

写真:わたしの産懇14-1 写真:わたしの産懇14-2

産懇のメッカ「名古屋観光ホテル」。定例会場の18階伊吹の間は名古屋市内が一望できる。
観光ホテルの存在なくして産懇の歴史は語れません。

 200号記念企画「わたしの産懇」は、4月号まで連載していきます。お楽しみください!

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【名古屋いちばん物語】 No.118

テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第95回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

栄そして栄ミナミ 歴史と由来

 名古屋栄の歴史と由来について、お話ししてまいりましょう。現在の栄地区は昭和41年の新住居表示実施により設定され大まかには北は広小路、南は若宮通りが南北域となります。西の堀川から伏見通りまでを栄1丁目(御園地区)、本町通りまでが2丁目(白川地区)、久屋大通までが3丁目(住吉地区)、その西が4・5丁目(武平町・東新町)となりました。

 この地は藤野と呼ばれる台地の南で大津通が小高い丘となり豊富な地下水と泉に恵まれた里山であったようです。西に紫川流域があり、1丁目は北から2本の流れが合流し水量も多く、古代の海進時代・堀川以西は海岸線で、栄小学校南周辺には竪三蔵遺跡と呼ばれる約2万年以上前の旧石器から縄文時代のナイフ形石器や鏃(ヤジリ)が発掘されています。海の幸や果樹の実にも恵まれ、紫川に水を求めに来たシカやイノシシの狩りをしていたようです。

白川公園遺跡地図

 2丁目白川公園遺跡では縄文から弥生時代、栗・ドングリやクルミなどがとれる豊かな森で木の実をすりつぶす石皿・土器が発見されています。農耕の跡もあるようです。紫川は科学館北の白川通りを東から西に流れていました。3丁目では泉が湧き出し、江戸時代には地下伏流水を利用した「住吉屋」という造り酒屋があったので街の名前が碁盤割七間町の南は住吉町となったといわれています。西の丘を越えて、4丁目は藤原師長由来の「小袖川」は北から流れフラリエ近辺で精進川に注ぐ高低差のある風光明媚な邸宅が明治の頃には並んでいたようです。

地図:名護屋路見大図
宝暦12年(1762年)名護屋路見大図:現在の栄1−5丁目 左端が堀川、右端が武平町界隈

 清須越し碁盤割外の東南隅で南寺町に至る場末の境からサカエと呼ばれたと祖父から聞いていましたが、明暦年間(1655?1658年)頃から栄村(さこむら、のちの中村区栄生町)の住民が店を出して商売をするようになったことによるという説もあるようです。

 江戸時代は大規模な商人の本町通り・三業者(芸者・置屋・料亭)遊興の住吉通り以外は殆どが下級武士住居であり、南隅が寺町となっていました。万治の大火(1660年)後は防火帯として広小路ができ庶民の広場として賑やかな下町の中心となりました。そして、「栄町」という町名が正式に成立したのは明治4年(1871)広小路長者町より栄町1丁目から南久屋が栄町7丁目となりました。その後、東海道線笹島駅オープンに伴い、名古屋電気鉄道(市電)が明治31年開通し、広小路が笹島(名古屋駅)と中央線千種駅につながり、官庁・金融街が集約され、南北の大津通に熱田と結ぶ市電が開設されました。明治43年栄町5丁目交差点の南西角、火災で焼失した名古屋市役所跡地に移転して中京の百貨店の先駆けとなった株式会社いとう呉服店(後の松坂屋)が栄町5丁目南角に開業し、栄界隈が大変化を遂げてきました。

 戦災で栄学区は殆どが焼失して、田淵寿郎リードの都市復興計画で道路と公園が50%を占める新しい碁盤の町割りとなり、町名も明治のころから南○○町と呼ばれる通りが多くなりました。広い通りを活用したイベントとして高度成長の続く昭和45年(1970)、南大津通の栄交差点から矢場町の区間で日曜遊歩道「歩行者天国」が始まりました、毎週日曜日には多くの人で埋め尽くされましたが、交通量の増加もあって昭和59年(1984)中止されました。近年復活の声に応えて2012年「ホコ天」が復活され毎年春秋の日曜日の楽しい憩いの場を提供しています。

写真:プリンセス大通りとアーチ記念イベント
中日ビル回顧写真展より:左:プリンセス大通り 右:住吉町 アーチ記念イベント

 昭和57年、当時の南呉服町商店街・佐藤嘉晃理事長(伍味酉社長)が新設プリンセスガーデンホテルからの賛助金でアーチを建設。通称「プリンセス大通り」と命名されました。

 そして、昭和60年には住吉町のアーチも灘家伊藤泰弘氏のリーダーシップで完成し栄繁華街が年々賑やかになってまいりしました。平成9 年にナディアパーク開業にともない住吉景観地区協定を実施、254枚の歩道用陶板絵タイルを埋設するなど奮闘されておりました。

 昭和52年には栄2-3丁目18の各町内会が連合して「安心・安全な町づくり」をテーマに「栄中部を住み良くする会」が設立され平成19〜23年まで小生が会長を務めさせていただきました。この頃には、住吉地区や栄中部ではなく、栄ミナミという呼称で表現されるようになりました。「栄ミナミ」の名称は(株)ゲイン社長の藤井英明氏の発案です。雑誌ケリーでサカエPR、そして、同社関連の外食・美容関連事業が新しい町づくりに貢献、栄ミナミ音楽祭の開始とともに栄ミナミという呼称が市民権を得たようです。

 しかしながら、歴史も文化も感じさせない、情緒のない町名ではなく、三蔵、御園、伏見、桑名、長島、八百屋、鉄砲・末広、住吉、呉服、伊勢、大津、鍛冶屋、久屋、武平、瓦町などと旧町名の呼称をもっと大切にしていきたいと思っております。

 平成24年2月に有志が集まり「名古屋の旧町名を復活させる会」を立ち上げ、毎月、セミナー開催するなど啓蒙活動をいたしておりますので、名古屋城木造復元活動とともにご支援いただければ幸いです。
旧町名復活・HP URL:http://www.fukkatu-nagoya.com/

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【新会員自己紹介】

写真:安藤 亮一氏
火曜グループ

安藤 亮一(あんどう りょういち)
株式会社帝国データバンク
名古屋支店長

【株式会社帝国データバンク 名古屋支店】
〒450-0002 名古屋市中村区名駅5-17-10
TEL:052-561-4111
URL:https://www.tdb.co.jp

 この度、2月に福岡より参りました。
 名古屋には今まで一度も足を踏み入れたことがございません。
 申し訳ございません。
 これから皆様との良きご縁を結ばさせて頂きたいと存じます。
 どうかよろしくお願い申し上げます。

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写真:住谷 安彦氏
火曜グループ

住谷 安彦(すみたに やすひこ)
DIC株式会社
名古屋支店長

【DIC株式会社】
〒460-0003 名古屋市中区錦3丁目7-15
TEL:052-951-9381
URL:http://www.dic-global.com/

 2019年1月に着任しました。今回で転勤は8回目となりました。
 趣味は落語鑑賞で1月に五代目桂三木助、2月に春風亭一之輔を見てきました。

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伊藤 和彦氏
水曜第1グループ

伊藤 和彦(いとう かずひこ)
事業構想大学院大学 名古屋校
事務局長

【事業構想大学院大学 名古屋校】
〒450-6627 名古屋市中村区名駅1-1-3 JRゲートタワー27階
TEL:052-541-8411
URL:https://www.mpd.ac.jp

◆生年月日

1957年2月12日

◆経歴

▽大阪府立大学 経済学部 
 経営学科卒業
▽電機メーカー 
 パナソニック株式会社エコソリューションズ社(旧 松下電工(株)) 38年間
▽教育・保育・介護サービス会社 
 株式会社ポピンズ 支社統括本部(名古屋支社・大阪支社)担当 1年9ヶ月間

◆現職の「事業構想大学院大学」の紹介

  • 「新しい事業を創ることが出来る人材を育成する」ところに焦点を絞った日本で初めての画期的な「社会人向けの2年生の大学院大学」で2019年4月に名古屋校がJRゲートタワー27階に開校
  • 名古屋校として1学年20名から25名規模の少数精鋭で多様な院生が集い、各分野を代表する多彩な教授陣が授業の枠を超えて院生の事業構想を支援
  • 授業日は、昼間夜間と土曜日で通いやすい設定
  • 院生として「新規事業に取り組む人」・「事業承継者・「起業を目指す人」・「地域活性を志す人」で企業・自治体・個人事業者等多様な方々が集い、授与学位として「事業構想修士」(専門職)が授与

◆趣味等

  • 読書(特にミステリー) 寺社仏閣巡り
  • 学生時代は体育会アーチェリー部所属

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樋口 偉久氏
水曜第1グループ

樋口 偉久(ひぐち たけひさ)
株式会社名古屋観光ホテル
取締役管理本部長

【株式会社名古屋観光ホテル】
〒460-8608 名古屋市中区錦一丁目19番30号
TEL:052-231-7711
URL:https://www.nagoyakankohotel.co.jp

 この度、中部経済同友会、水曜第一グループに入会させて頂きました株式会社名古屋観光ホテルの樋口と申します。社内では管理部門(総務・人事・経理・購買・施設)を担当しております。今後、よろしくご指導の程、お願い申し上げます。
 1964年(昭和39年)、東海道新幹線開通、東京五輪の年生まれ、出身は愛知県春日井市でございます。
 中学・高校は野球部、大学はハンドボール部に所属し、学生時代は勉強よりもスポーツに勤しんでおりました。結果、学生時代のつけが社会人になって回り、未だに上司・部下に頼りっぱなしというのが実情です。
 そのような中、経済界の生の声を学ぶ機会をいただき、身の引き締まる想いです。ホテル業界の立場より中部経済の発展に貢献できますよう、努力いたします。よろしくお願い申し上げます。

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4月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

4月9日(火)
12:00〜14:00

『企業市民として、地域社会とともに歩む』(仮)
東海東京証券株式会社
常務執行役員企画・管理本部長 合田 一朗 氏

東海東京証券
オルクドール
ホール

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

4月17日(水)
12:00〜14:00
『企業理念にこだわって経営、
      そして現在クイックスが目指すものは!』
株式会社クイックス 取締役会長 服部 晋吾 氏

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間

水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

4月10日(水)
12:00〜14:00

『スマホdeリレー®で起こした3つのイノベーション
〜受け身体質から主体性をもつ組織への意識変革〜』
株式会社構造計画研究所
名古屋支社長 妹尾 義之 氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

4月4日(木)
12:00〜14:00

『ドラマの元祖〜今熱い講談の魅力とは!』
講談師 一龍斎 貞弥 氏
ご講演と演目「角屋船の由来」をご披露いただきます。
名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

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5月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

5月21日(火)
12:00〜14:00

『醸造酒から考察した国際ビジネス』
キャリオ技研(株)代表取締役 富田  茂氏
長瀬電気工業(株)代表取締役 屬 ゆみ子氏
(*試飲を行いますのでご自身の運転でのご来場は
  お控えください

名古屋観光
ホテル
3階
桂の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

5月22日(水)
11:00〜16:00

尾張四観音龍泉寺 見学会
(宗教法人龍泉寺 代表役員 佐藤 正延氏)
(定員20名のため水曜第1グループ優先)

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
高見祐次

5月8日(水)
10:00〜17:00

中部国際空港セントレア 見学会
(定員30名のため水曜第2グループ優先)


名古屋
商工会議所
(バスで移動)

木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
吉田憲三

5月13日(月)
9:30〜16:00

独立行政法人日本原子力研究開発機構 
東濃地科学センター瑞浪超深地層研究所 見学会
(定員20名のため木曜グループ優先)

名古屋
商工会議所
(バスで移動)

◆ご参加いただく方には別途詳細案内を郵送いたします。

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

○メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.9
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 「チキンサラダ」から「チキングリル」へ 』

 先日産業懇談会、水曜第1グループの会で、名古屋大学に行ってきた。久しぶりの大学は、やたら綺麗になっていて、一般の見学ツアーなども定期的に開催されているらしく、学生のみならず見学者も相まって賑やかなキャンパスになっていた。大学といえば、何か閉鎖的で、一般人には程遠い特別な場所というイメージがついて回っていたが、産官学の連携が進み、また、ノーベル賞受賞者の数も増えたことで、老朽化した建物の建て替に合わせて、科学館や博物館としての機能も持ち合わせた、地域に開かれた場所に生まれ代わりを遂げようとしているようだった。

写真:名古屋大学NIC見学会
名古屋大学NIC(ナショナルイノベーションコンプレックス)見学会にて
写真:ES総合館
NICに隣接するES総合館(2階にはノーベル賞展示室)
画像は名大HPより

 思い返せば1980年代のバブル景気幕開けの頃、本山から南進し、名古屋大学を貫く四谷通りの、お洒落化計画が進んでいた。やれ竹下通り風にするだの、表参道だのと、少しばかり流行に敏感なテナントが集まり始め、意外に盛り上がっていた。多分そこにあるのが名古屋大学でなく、私立のお金持ち大学だったとしたら、いまだに、最先端のイケてる“ストリート”だったのではないかと思われる。なぜなら、地下鉄名城線の名古屋大学駅ができるまでは、あの通りは名大の通学路で、両側に並ぶテナントのイメージとは、ちょっと違う感じの学生が、朝な夕なに溢れていたからだ。私の友人も「卒業するまで、一度たりとも通りにあったカフェでお茶したことはなかったんだよね」と、なぜか胸を張っていた。かく云う私も、おしゃれカフェでなく、構内にある南部食堂で、よくサークルの打ち合わせをしていた。姉の誘いもあって、高校生の頃からそのサークルに入っていたので、勝手知りたるキャンパス内、今ほどセキュリティも厳しくなかったこともあって、自由気ままに闊歩していた。また立地も私には好都合、当時八事にあった放送局でアルバイトをしていたので、学内は駐車場代わりになっていた。
 そんなある日、メニューボードに「チキンサラダ」とあり、おや、珍しくハイカラ系なものが出てるとついつい釣られ、食券を買ってみた。どんな調理をされてチキンが出てくるのか、グリルか、蒸しか、はたまた茹で、もしかしたら唐揚げ!!…などと想像をめぐらし、ワクワクして待つこと数分、「はい、チキンサラダね」と白衣のおばさんが差し出した皿を見て衝撃。なんと山盛りキャベツの千切りの上に、申し訳なさそうに乗せられた、マグロのオイル漬け、商品名は「シーチキン(・・・)」。そりゃ期待する方が間違っていたのは重々承知。でもさすがにマグロと鶏肉は区別してよ〜、シーチキンがチキンって…(><)。その日は一日不機嫌で、周りに愚痴りまくっていたのを未だに覚えている、40年もたっているのに。食べ物の恨みは、実に恐ろしい。

妄想チキンサラダ リアルチキンサラダ
写真:チキンサラダ1
チキンソテーに色とりどりの野菜
あとはパンがあれば完璧ランチ!
イラスト:矢印
写真:チキンサラダ2
再現だけに多めにツナのせてみました

 そんな残念な南部食堂も、今ではこぎれいなカフェテリアになっていた。構内にはコンビニエンスストアや、フレンチレストランもでき、技術の進歩と 共に、食堂も進歩を遂げたようだ。

 その技術の最先端を行くのが宇宙開発であろう。先日JAXAの探査機「はやぶさ2号」が小惑星「竜宮」にアタックし、大成功をした。それは彼方宇宙空間で40kmの高さから、甲子園のマウンドめがけて着陸するほどの難易さだったとか。その技術というか、「何度も計算をしてはじき出しました」というスタッフの、その脳内は一体どんな神経回路をしているのか。計算と一口に行っても、どんな計算かすら、凡人には想像もつかない。また最近では、再び月の探査を開始しようという動きもあって、思い出されるのがアポロ計画だ。何かで聞いたのだが、その当時のオペレーションルームのメインコンピューターシステムは、現在のスマートフォンの100分の1くらいの性能しかなかったそうで、宇宙船本体に至っては、1000分の1だったそうだ。よくもそんな状態で月くんだりまで行ったものだと別な意味で感心しつつ、やはりそれを支えた人間の中には想像もつかない天才がいるのだなと改めて思い知った。
 翻って大学の食堂…。こうなったら最先端の調理マシーンを導入してみたらどうだろうか。現在活躍中の寿司握りロボット、チャーハン製造ロボット、たこ焼きロボット、などなど、ヨーロッパにはさらにフレンチを作れるロボットもあると聞く。そしてチキンサラダのリベンジに、“Poulet Grill”チキンのグリルなどロボットに作ってほしいものだ。

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コラム2 【保健師からの健康だより】 No.180コラム【保健師からの健康だより】

株式会社 スズケン
保健師 丹羽 香織

『 姿勢とインナーマッスルを意識して腰痛予防・改善を 』

 暖かくなり活動しやすい時期になりました。一方で季節の変わり目には様々な不調を感じることも多く、その一つに腰痛があります。診断の有無に関わらず腰痛に悩まされている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 腰痛は原因が特定できるものとそうでないものに分けられます。これまで腰痛の8割以上は原因が特定できない腰痛とされていましたが、近年では8割が原因を特定できる腰痛であると言われています。そのうち椎間板ヘルニアや内臓疾患の影響によるものなどを除くと、姿勢の悪さ(猫背、腰を反らした状態)、足を組む習慣によるゆがみ、本来使われないはずの筋肉が使われることで生じるコリなど、姿勢や動作が腰に負担をかけることで起こる腰痛が多い様です。そしてそれらはインナーマッスルがうまく使われていないことが影響していると考えられています。インナーマッスルとは、体の内側にある筋肉の総称で体を安定させ姿勢を保つ働きをしています。笑いすぎたり走ったりした時にお腹が痛くなることがありますがまさにその部分です。
 姿勢(背骨の並び)とインナーマッスルをキーワードに、腰痛の予防・改善策として知られている手軽なエクササイズをご紹介します。

■姿勢(背骨の並び)を正す

長時間立ったり歩いたりしたとき

前かがみが続いたとき、重い荷物を持ったあとなど

腰痛予防・改善01 腰痛予防・改善02

■インナーマッスルを動かす

ドローイン
(お腹をへこませながら息を吐ききる)

アームレッグレイズ
(左右逆の手足を挙げて最低10秒は保つ)

腰痛予防・改善3 腰痛予防・改善4

※強い痛みがある時以外は実施可能とされていますが、不安な場合は医療機関でご相談ください。他にもゆっくりと動きながらポーズをとるヨガや太極拳などもおすすめです。

 また、腰痛にはストレスが関係していることも明らかになっています。ストレスにより、痛みを抑える脳内物質が分泌されにくくなることで痛みを感じやすくなったり、自律神経のバランスが崩れることで肩こりや頭痛など様々な症状を起こしやすくなります。他にも「また腰痛になるのでは」という不安があるとそれ自体がストレスになる上、体を動かさくなることで治りにくくなったり再発したりします。今は安静の指示が出ていない場合多少の痛みであればできる範囲で体を動かす方が良いとされています。

 日本人の国民病とも言われる腰痛ですが、中には緊急性の高い病気である場合もあるので、腰痛の他にも気になる症状があるときは医療機関でご相談ください。

参考資料:東京大学22世紀医療センター運動器疼痛メディカルリサーチ&マネジメント講座HP

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.125
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 天皇メッセージ 』
矢部宏治著・小学館刊

 4月でいよいよ平成も幕を閉じます。あなたにとって、平成とはどんな時代だったのでしょうか。
 「深い闇を体験し、その中でもがき苦しんだものだけが、長い思索ののち、光のような言葉をつむぎ出すことができる。そのプロセスに例外はない。そうした境地に到達できた人を、私は『偉い人』だと思っています。
 本書の主人公である明仁天皇は、まさにこれまで、そういう人生を歩んでこられた方でした。」と、著者は「はじめに」で述べています。
 この本では、今上(明仁)天皇と美智子皇后の32のお言葉や御歌を取り上げてその背景を説明することで、お二人のお気持ちはもちろんのこと、平成という時代、さらには戦後の日本を解き明かすことも試みています。お言葉は、象徴天皇の在り方、災害、近隣諸国、戦争をしない国、次世代への想い、など広く深い事柄に及びます。お言葉の背景を飾る須田慎太郎による写真も、私たちの想像を膨らませてくれています。
 1945年8月2日、奥日光に疎開しておられた明仁皇太子に、陸軍中将が戦況の説明に参上しました。そのとき皇太子が仰った「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」というお言葉に、胸が詰まりました。

 *2015年刊行の『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館)に一部加筆し、第Z章「次の世代へ」を新しく加えたものです。

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【平成31年3月号編集後記】

 名古屋城本丸御殿で開催された「夢童由里子の世界展」を見学してきた。平日の午前中早い時間帯だったが、多くの見学者が来訪していた。最近は海外からの観光客が増えているが、本丸御殿も例外ではない。復元とは言え、建物の大きさと美しさは国境を越えて人を引き付ける。襖絵や天井画や釘隠しも忠実に再現されており、その見事な職人技は見る者の心を打つ。
 フラッシュさえ使用しなければ撮影が自由と言うのも嬉しい。おそらくSNSで世界に拡散されていることも来訪者を呼び込む要因になっていることだろう。本丸御殿復元を提唱した夢童さんの慧眼に今更ながら敬服する。提唱するだけでなく、実現に向けての活動が見事だ。1994年に「本丸御殿フォーラム」を設立し市民運動を展開、翌年には名古屋の春の風物詩となった「春姫道中」をプロデュースした。2009年の着工から3期9年、総工費130億円のプロジェクトを動かしたのはこうした市民運動がもたらしたと言っても過言ではなかろう。
 惜しむらくは本丸御殿の完成(2018年6月)を見届けることなく、2015年3月に夢童さんが急逝したことだ。今回の展示は夢童さんへの感謝と追悼の企画だ。夢童さんは見届けられなかったが、作品の人形は言わば夢童さんの分身であり、子供たちだ。各地に展示され、今も時を刻んでいるからくりモニュメントが本丸御殿で動く様子は感動を覚える。
 夢童さんの「夢をつなぎ、紡ぎ出す姿」は中学の道徳の教科書にも掲載されている。「夢童由里子の世界展」は、夢を描くことの素晴らしさと、その夢を持ち続けるエネルギーと、何としても実現するという情熱が大事だと語りかけていた。我々もその声をしっかり胸に刻んで未来をしっかり見据えて着実に前進したいとの思いを強くした。

(片桐)