産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】第102号 2010.11.26発行

 メールマガジン■産懇宅配便■

平成22年11月度(第102号) 目次
産懇宅配便
【22年11月度産業懇談会(木曜G)模様】 11月4日(木) 12時00分〜14時00分
【22年11月度産業懇談会(火曜・水曜第2G共催)模様】 11月9日(火) 12時00分〜15時00分
【名古屋いちばん物語】 No.10
【新会員自己紹介】
加藤 悟氏

中村土地株式会社 代表取締役

木和田 慶四郎氏 大和不動産鑑定株式会社 名古屋支社 支社長
久野 博武氏 エヌ・ティ・ティ都市開発株式会社 東海支店長
【12月度産業懇談会開催日程】
【産業懇談会新年合同懇親会 開催日程】
【お知らせ】
【アートコーナー】    からくりアート点描 No.19
【コラム】
コラム1 【花ちゃんからの健康だより】 No.80
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.25
コラム3 【苗字随想】 No.102
【22年11月度産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ『 名古屋の都市と経済 』

日  時:平成22年11月4日(木)12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 曙西の間
参加者:31名

スピーカー:
若山 滋(わかやま しげる
中京大学大学院 ビジネス・イノベーション研究科
中京大学 総合政策学部総合政策学科 客員教授

若山 滋氏

1. 人間は都市化する動物である
 明治以来、日本は新しい技術を西洋から取り入れ、大変なスピードで都市化を広げてきた。人類は唯一、自分の生態系を加速度的に変えていく動物であるが、特に産業革命以降の約200年の都市化は爆発的であった。一説によれば、産業革命以前の都市人口は世界で数パーセントであったものが、現在、先進国では70〜80%、途上国でも大変な勢いで都市化が進んでおり、人類の半数以上が都市民となっているようである。
 都市化を段階的に見ると、第一段階は約3000年前にエジプトとメソポタミアで、文字や幾何学的な石造建築が誕生したことに始まる。文字が生まれたことにより、思想や文明を文字として積み上げることが可能になった。つまり、人間の言葉が都市に蓄えられ、都市が次の世代の人間を教育することが可能となり、都市化が進行したのである。その後、紀元前5世紀頃、中国、インド、ギリシャなど、ユーラシアに帯状に広がる地域で、文字や哲学などの理論体系や普遍的思考が発達した。7〜8世紀頃になると欧州から日本までの広い地域で文字化が進んだことで、各地域で都市化が進行したのである。16世紀頃に訪れた大航海時代により、世界中が文字と出会うこととなった。これにより、南米も北米もたちまち欧州化され、現在のような世界の礎ができたのである。産業革命以後の19〜20世紀では、それまでの文字によって思想を蓄積し、文明を蓄積していた時代とは全く異なる、非常に巨大な都市化が始まった。そして現在、インターネットの発達と普及により、多くの人が部屋に閉じこもり、インターネットの都市空間で暮らすという危険な現象が世界中で起きている。今後、我々は、この不可逆的で、逆戻りすることのない都市化と、どのように向き合っていくのかが大きなテーマになるであろう。

2. インテンシブシティ
 今までの日本は田舎も都市も一律に都市化を進めてきた。しかし、人口が減り、過疎地が増加したことで、今後、我々が都市化のビジョンとして考えなくてはならないのは、集約的な都市化であろう。欧州や米国の学者が提唱したコンパクトシティという考え方は、現代の街づくりの方向性の一つといえるが、これは欧州の都市国家思想に基づいたものである。 一方、アジア圏に目を移せば、東京は通勤圏で2500万人の人々が暮らし、中国でも多くの都市で1000万人を越える人々が都市部で暮らすようになり、コンパクトシティの考え方や規模は東アジアと欧米では若干の相違があるだろう。
 今後、日本においては、東アジアの都市化現象のなかでどのように生きていくのかを考えることが必要である。都市機能はこれまでとは変化し、接触と触発、交換が重要なキーワードとなるであろう。つまり、色々な人々が接触することで触発され、無から有が生まれ、モノや情報を交換することで文化的且つ知的な生産活動が生まれるのである。言うなれば、知の空間的社会資本である。今までのように工場やオフィスビルを建設するのではなく、人間同士が話し合い、そこで知的で創造力が喚起されるような空間を作っていくことが重要なのである。
 そのために日本では、人口500万人以上を抱える、東京をはじめとした大都市が生産力を身に付け、東アジアの拠点として中国や韓国に負けない都市機能を高めていくことが重要である。これには都市を無駄に広げず、建設物も高層化し、都市機能・人口双方において集約的な都市づくりがポイントとなるであろう。つまり、これが集約的都市化(インテンシブメトロポリス)なのである。その確立にはインフラの階層化に伴う、エレベーターやウッドデッキなどを活用した街づくりに加え、私有地と公共空間の相互利用など官民の融合が不可欠であろう。

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【22年11月度産業懇談会(火曜・水曜第2G共催)模様】

テーマ『 名古屋城本丸御殿視察会 』

日  時:平成22年11月9日(火) 11時30分〜15時00分
場  所:名古屋城本丸御殿(名古屋市中区本丸1-1)
参加者:42名

 今回の産業懇談会視察会は、名古屋城本丸御殿(名古屋市中区本丸1-1)を見学した。
 出席者の皆様にはウェスティンナゴヤキャッスルにお集まりいただき、昼食後、同会場にて各務世話人のご挨拶の後、株式会社間組執行役員名古屋支店長の木下壽昌様より、会社概要、本丸御殿の概要及び工事の進捗状況、現場での見どころについてご講演いただいた。本丸御殿を視察した後は、建設現場内事務所にて奥野始弘様のご講演を拝聴した。

◆名古屋城本丸御殿概要
 焼失前の名古屋城本丸御殿は、天守閣のある本丸のほぼ中央に建てられた広さ約3000平米の南向きの建物。建物手前側から玄関、表書院、対面所、上洛殿、黒木書院、御湯殿書院と奥に続いていた。高さは一番高い場所で12.7m、各部屋ごとにテーマが定められ、障壁画等が飾られるなど、非常に華やかで豪華絢爛な建物であった。
 本丸御殿は1612年に建設が開始され、1615年に完成した。1945年に戦災で焼失するまでの約330年の間にも何度か増改築が繰り返されてきた。歴史的には、第I期‐創建期、第II期‐寛永期、第III期‐享保期、第IV期‐明治期以降と大きく4つの時期に分けられ、この度の復元は、第II期‐寛永期の本丸御殿復元を目指している。何故なら、寛永期には3代将軍徳川家光が上洛の際に宿泊するため上洛殿が建設されるなど、本丸御殿の歴史の中で一番豪華絢爛で文化的価値、歴史的意義が高いためである。
 また、本丸御殿の復元は「ものづくりの技、心、自然環境の大切さ」を後世に伝える一大文化事業と位置付けられている。復元過程を広く一般に公開することで、市民の新たな誇りの創出、名古屋城の価値と魅力の向上、名古屋圏の観光振興活性化、匠の熟練の技を後世に継承するなどの大きな意義もある。

◆本丸御殿視察内容
 復元工事は第1期、第2期、第3期に分けられており、各工事終了毎に公開を予定している。

  • 第1期−平成25年3月に完成予定(玄関・表書院・中之口部屋など)
  • 第2期−平成28年3月に完成予定(対面所・上台所・梅之間など)
  • 第3期−平成30年3月に完成予定(上洛殿・黒木書院・御湯殿書院など)

 9年半の復元計画のうち、現在は第1期のうち、玄関と大廊下の復元工事中である。また、10月16日〜26日まで、名古屋開府400年に合わせて、玄関部分の工事状況を一般に公開した。
 今回の視察では、素屋根内部、工事見学コーナー、木材加工場・原寸場の順に3ヶ所を視察した。
 まず、素屋根内部を視察した。素屋根は本丸御殿全体を囲う大きな屋根のことである。一般向けの公開時には、高さ9mの位置に設けられた見学通路から全体を見渡す形となるが、今回は特別に地上から見上げる形で視察を行った。全員ヘルメットを着用し、工事現場内を歩きながら、玄関棟の組み立ての様子を見学し、伝統的な木造の建築方法について学んだ。
 続いて、工事見学コーナーを視察した。このコーナーは、工事現場に隣接して設けられている為、窓からその様子を見学することも可能である。また、本丸御殿復元工事に関する説明ボード(障壁画模写の進捗等)や復元に使用されている木材について(木材の種類及びその部位)を学ぶ為に実物も掲示されていた。加えて宮大工が使用する大工道具等も展示されており、大変興味深いコーナーとなっていた。
 最後は、木材加工場・原寸場を視察した。こちらも隣接して設けられた通路から木材加工の様子を見ることが出来る。通常は窓ガラス越しの見学となるが、今回は特別に窓を開けていただいた為、ヒノキ材の大変良い香りが通路に立ち込めていた。加工場では、墨付け作業(木材面に加工の基準となる線や記号、符号を付ける)や継手刻み作業(木材の仕口や継手部分に穴を彫ったり、削ったりする加工作業)が行われていた。また、原寸場では、図面で表現しきれない部分を原寸図(縮尺1/1で描いた図面)で作図し、寸法や納まりの確認、実際に加工する為の形状の型取りが行われていた。

 今回の視察会では、各自デジタルカメラや携帯電話で記念撮影をしながら、係の方の説明に熱心に耳を傾けている様子が印象的であった。本丸御殿は、現存した昭和初期の109枚の実測図や約200枚の古写真をはじめ、1049面もの障壁画など、豊富な史料が大切に保管されている。歴史的文化遺産である城郭の史料が、これほど多く残されている例は他にはない。これら第一級の史料をもとにした実証的な復元は名古屋城でしか成し得ないプロジェクトである。そのような意味でも、今回の視察では歴史的に貴重な工事現場を視察することができ、大変有意義なものとなった。
 視察、奥野様ご講演後の質疑応答も活発に行われ、最後に片桐世話人よりご挨拶をいただき、視察会は閉会となった。

名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿


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【名古屋いちばん物語】 No.10

テーマ『 日本一の補佐役 豊臣秀長(中村区出身) 』

(株)アクティオ名古屋支店
支店長 水谷文和

 日本一の補佐役として紹介したいのが、豊臣秀吉の6歳年下の弟、豊臣秀長。秀吉が家を飛び出したため、家業を継いで20歳過ぎまで百姓をしていた。その後、秀吉の急な出世に伴い、信頼できる家臣が必要となったため、秀吉によって武士に転身させられた。武士に転身してからは、一途に秀吉の補佐役として仕え、秀吉を太閤にまで押し上げた。
 補佐役とは、No.1に同体化して仕える人のことであり、No.2や次期No.1とも異なる。戦国の世も、現代も変わらないのは、補佐役によって組織の良し悪しが決まるということ。役柄の性質上、補佐役にスポットが当たることは少なく、記録に残ることも少ない。
 今回は、20歳から武士の世界に入り、享年52歳で亡くなるまで秀吉の補佐役として仕えた秀長の隠れた功績にスポットを当てて紹介したい。
 豊臣秀長は、天文9年(1540)に尾張中村に生まれる。幼名は「小竹(こちく)」と言い、その後、「小一郎」、秀吉の家臣になったあと「木下小一郎長秀」「羽柴小一郎長秀」と名乗った。更に活躍の機会が増えると、信長の家臣である丹羽長秀と同じ名前では不具合があるとして、以降は「秀長」で通した。
 兄の秀吉は、織田信長の草履取りから始まり、天下を取るまでに大出世した。サクセスストーリーの典型的な事例として取り上げられることが多いが、急激な出世は組織内の軋轢を生みやすい。秀吉の出世は、美濃攻めの拠点として墨俣城(別名:一夜城)を築城したあたりから目立ち始め、その後の浅井・朝倉を滅ぼすまでが一つの転換期となる。ここまでは、戦が中心の活躍であったが、浅井を滅ぼしたあとは十二万石の大名となり、近江地方を統治する能力が必要になった。近江を統治するにも、任せられるだけの人材が追いつかない。これまでは戦の上手い人材を雇えば良かったのだが、戦が落ち着けば、読み書き・そろばんが必要になる。組織内では、武断派と文治派、昔からの家臣と新たに雇い入れる家臣の待遇など問題が起きやすい。領地内では、田畑の境界や、水利権の争いなどトラブルが絶えない。
 秀長は双方の話をよく聞き、公平なジャッジで問題を解決していった。負けた方のフォローにも余念が無い。金銭で解決できるところは自らの負担で相手の体裁を傷つけないよう配慮が行き届いている。内部の揉め事は秀長が対応することで、秀吉は諸問題に煩わされることなく快進撃を続けることができた。秀吉が中国攻めを任されて、山陰地方を攻め始めた頃、ライバルの明智光秀は丹波・丹後平定後の自領の内治に手間取って、秀吉に遅れを取っていた。統治能力が必要なことを証明する事例である。
 内部の調整ばかりが、秀長の補佐役としての能力ではない。百戦錬磨の四国:長宗我部元親、寺社勢力が強く治め難い紀州:雑賀・根来衆、九州:島津の平定など、厳しい条件の戦ほど秀長に任されることが多かったが確実に結果を残している。九州平定の際には10万人の軍隊の総大将として組織をまとめた。
 秀長は多くの仲間に恵まれた。軍師では蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛、政治では千利休など。家臣には築城名人の藤堂高虎がいる。藤堂高虎は、秀長の家臣になるまでに4人も主を替えている。「主は自分で選ぶ」という考えだ。当時は1人の主に終生仕えるのが一般的であるが、珍しい武将だ。一方、雇う側も主人を何度も替えている浪人は信用ができないところであるが、秀長は常識にとらわれずに良い人材は信頼して登用した。その藤堂高虎が命を掛けて仕えたのだから、やはり魅力的な主だったのだろう。
 秀吉は太閤となり名実ともにNo.1になった。そして秀長は日本一の補佐役となった。しかし、天正19年(1581)に優秀な補佐役を失った豊臣政権の末路はご存知の通りだ。千利休、甥の関白秀次に切腹を命じるなど考えられない事件が続く。無益な朝鮮出兵で多くの犠牲も出した。秀長が生きていれば、このような悲惨な行動にはならなかったはずだ。秀長亡き後、文治派の石田三成が組織の仕組みを重視したこともあり、武断派との軋轢は深まり、徳川家康との戦いとなった大阪の陣では、豊臣方(西軍)から徳川方(東軍)に寝返る武将も多く出た。
 豊臣秀長が亡くなった大和郡山城の旧跡は奈良県に残っているが、大手門が復元されているだけで、詳しい記録は少ない。記録の少ないのは補佐役に徹して表に立つことが少なかったからだろうか?私が秀長に関心を持ったのは、藤堂高虎の書籍を読み続けているときに、秀長の人間性に興味を持ったからだ。意外に知られていない秀長という人物を、少しでも多くの人に知ってもらうことを願いたい。

【参考書籍】
豊臣秀長   学研文庫  志木沢郁
豊臣秀長(上下)  PHP文庫  堺屋太一
大和郡山城跡

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【新会員自己紹介】

加藤悟氏
木曜グループ

加藤 悟(かとう さとる)
中村土地株式会社 代表取締役

【中村土地株式会社】
〒453-0835 名古屋市中村区上石川町2-33-2
tel:052-782-1690 fax:052-782-1656

 中村土地株式会社の加藤 悟と申します。
 この度、産業懇談会木曜グループに参加させていただくことになりました。私は37年間のサラリーマン生活を終え、本年10月から家業として先祖代々不動産賃貸業を営む当社の社長を務めております。
 地元の経済界をリードしておられる皆様方との交流を通じてご指導、ご鞭撻を賜わり、自分自身の啓発、研鑽につなげて参りたいと存じます。
 私はサラリーマン時代の大半を豊田、刈谷の三河地区に勤務しておりましたが、自分自身は名古屋市中村区に生まれ、名東区で育ち、現在も名東区に居住する生粋の名古屋人であります。自分自身の啓発が、名古屋の良い文化をより多くの人に理解していただくきっかけになれば、名古屋人として大きな喜びだと思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。

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木和田 慶四郎氏
水曜第2グループ

木和田 慶四郎(きわだ けいしろう)
大和不動産鑑定株式会社 名古屋支社 支社長

【大和不動産鑑定株式会社 名古屋支社】
〒450-0002 名古屋市中村区名駅3-28-12(大名古屋ビル)
TEL:052-561-1030 FAX:052-561-1031
URL::http://www.daiwakantei.co.jp

 大和不動産鑑定株式会社名古屋支社の木和田でございます。
 このたび産業懇談会水曜第2グループに参加させて頂くことになりました。
 どうか宜しくお願い申し上げます。
 弊社は昭和41年3月に奈良県で開業し、平成17年8月には名古屋市中区栄2丁目にて名古屋支社を開設。本年7月には現在の事務所である大名古屋ビルの6階に移転しました。
 現在、大阪、東京本社のほか6支社及びシステム評価部と補償部で不動産鑑定及び公共の固定資産評価と土地評価を専業として取り組んでいます。
 私は愛知県東三河で生まれ育ち、東京で就職し、大阪、名古屋に転勤もしましたが、地元愛知に対する愛情は大変深いものがあります。
 業種を超えた会員の皆様方と懇談できる当会に参加できることを心から感謝致しております。今後、産業懇談会、委員会で多くの方々からの意見を拝聴して、皆様のご指導、ご鞭撻を賜りたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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久野 博武氏
水曜第2グループ

久野 博武(ひさの ひろむ)
エヌ・ティ・ティ都市開発株式会社 東海支店長

【エヌ・ティ・ティ都市開発株式会社】
〒460-0003 名古屋市中区錦一丁目10番20号
Tel:052-232-1011 fax:052-232-1012
URL:http://www.nttud.co.jp/

 NTT都市開発の久野でございます。この度、産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくことになりました。 前任者河田 正同様、よろしくお願い申し上げます。
 出身は長崎県佐世保市で名古屋の地は初めてとなります。
 当社は親会社であるNTTから譲り受けた優良な資産を基に、NTTグループ唯一の総合不動産会社として、オフィスビルの開発・賃貸事業・分譲事業を軸に成長してまいりました。名古屋においても、アーバンネット名古屋ビルやブロッサの開発・運営、マンションブランド「ウェリス」の展開など、長年培った開発力により、上質かつ快適なビジネス空間と暮らしを提供しております。
 これからも、常に時代の変化を読み取り、柔軟な開発思想、高い建築品質、情報インフラなどの先端技術で「人」「街」「自然」が互いに調和し、美しいハーモニーを奏でる快適な都市空間を創造していきたいと考えております。
 この度、産業懇談会へ参加させていただきましたことに感謝申し上げますと共に、ご指導ご鞭撻を賜わりますようお願い申し上げます。

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【12月度産業懇談会開催日程】


グループ名 世話人 開催日時 場所
火曜グループ
各務芳樹
深田正雄
12月14日(火)
18:00〜20:00
料亭 蔦茂
電話:052-241-3666
名古屋市中区栄3-9-27
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇
12月22日(水)
18:00〜20:00
料亭 蔦茂
電話:052-241-3666
名古屋市中区栄3-9-27
水曜第2グループ 片桐清志
見祐次
12月8日(水)
18:00〜20:00
松山閣 松山
電話:052-527-8841
名古屋市中村区名駅4-7-1 ミッドランドスクエア4階
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助
12月10日(金)
18:00〜20:00
札幌かに本家 名古屋駅前店
電話:052-583-0012
名古屋市中村区名駅南1-17-20

4グループ共通事項

会費 実費精算の上、後日ご請求いたします。
出欠のご連絡 ご出席いただける場合は、御案内に同封のFAX返信用紙にご記入の上、各会申込締切日までにご連絡願います。(代理出席はできませんのでご留意ください)
※開催日の2日前までにお取り消しなくご欠席の場合は、会費を申し受けますので、悪しからずご了承ください。
事務局連絡先 電話:052−221−8901 (担当:片岡・山田 )
その他 全会場、「中部経済同友会」で予約をしております。
それぞれの会場の地図がご入用の場合は、事務局までご連絡ください。

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産業懇談会新年合同懇親会 開催日程

産業懇談会「代表幹事のご講話」ならびに「新年合同懇親会」のご案内

 平素は産業懇談会の活動にご協力いただき、ありがとうございます。
 今回の産業懇談会4グループ新年合同懇親会は、水野筆頭代表幹事からご講話をいただくとともに、年のはじめに、産業懇談会メンバーの皆様に益々親睦を深めていただきたく存じますので、お誘い合わせのうえ、是非とも多数ご出席下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

日時

平成23年1月24日(月)17:30〜20:00
17:30〜18:30 水野筆頭代表幹事のご講話
18:30〜20:00 新年合同懇親会

場所 ウェスティンナゴヤキャッスル
講演会:2階 青雲(東)の間 / 懇親会:2階 青雲(西)の間
電話:052-521-2121
ご講話演題 『地球資源問題の現状と課題』
懇親会費 お一人 6,000円
※当日、講演会場受付で頂戴いたします。
※講演会のみご出席の場合は会費不要です。
本状ご案内先 代表幹事および産業懇談会メンバーの皆様
事務局連絡先 電話:052−221−8901 (担当:片岡・山田)
そ の 他 ・食事の手配など準備の都合上、ご出席の場合は御案内に同封のFAX用紙で1月18日(火)までに必ずお知らせ願います。(代理出席はできませんのでご留意ください。)
・懇親会のお取り消しにつきましては、1月20日(木)までにお知らせください。それ以降にご連絡いただいた場合は、会費を申し受けることになりますので、悪しからずご了承願います。 

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

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【アートコーナー】
からくりアート点描 No.19

コンピュータ制御・からくり人形 「天遊舞地(てんゆうまいち)」

梅の花(愛知県愛知県長久手町鴨田208)


天遊舞地

湯葉と豆腐の創作懐石料理「梅の花」より依頼され13年前に設置したもの。

玄関の暖簾をわけて入るとすぐに、大きなケース入りからくり人形が目にはいる。
作動時間がくると、お食事途中のお客さんが、からくり人形を見るため中座する人が、今でも多いという。嬉しいですねぇ。

●依頼主 (株)「梅の花」
●竣工 1997年9月14日
●作動時刻 11時、13時、15時
(希望あれば別途随時)
●作動時間 4分

天遊舞地
人形ケースの廻りもお洒落なデザインが施され、
苔も青々として美しい。
天遊舞地
カラクリ箱からせり上がり、
クルクル廻って見物客からやんやの拍手。
天遊舞地

湯葉と豆腐の創作懐石料理「梅の花」

戸建ての店舗は、170席もあってお庭も有りまるで旅館の佇まい。竣工当時、長久手町随一の大きさを誇る、和食の店として大賑わい。

来年、市に昇格する長久手は、初めて家康と秀吉が対峙した「小牧長久手の戦い」として全国にその名を知られている。


コメント>
 「小牧長久手の戦い」 で長久手という地名の入った「梅の花」。地鎮祭の日、「梅の花・藤が丘店」という祝詞の言葉に私は驚いた。営利目的の事業である。だから、ターミナルとして賑わっている「藤が丘」という名称を使うことによって、大量の入れ込み客を狙いたい、それが本音であっただろう。その気持ちも解らないではない。
 しかし、建設する場所は長久手町である。儲け主義で地名を変えては、長久手のよさ・いにしえが消えてしまう。
 そこで、夢童は大演説をぶった。
 土地は、今、生きている人の利害だけで名前を変えてはいけない。例え大金で買い上げていても大地は、たまたまそこを使用するものが「お借りしている」という思想でないと、昔からの土地の精霊に申し訳が立たない。という意味のことなどである。
 当時、同席した副社長以下は夢童の剣幕に困惑し、この話は持ち帰り社長に伺いを立てるということに。後日、九州が本店の社長がこの件で来名し話し合いをした。
 しかし、既に電通を通じ、大型パンフレット、TVのCM,、チラシなど完成していて、名前を変更するには数千万円の赤字となる。ここは「藤が丘店」で決めたいと社長が言われた。本当に愕然とし、がっかりもした。
 1週間後、くだんの社長から再度、話あいをしたいとの連絡。
 このワカラズヤのトンカチと何度話してもなぁ。と思いつつ2回目の会合を。
 「私は大地に対しての考え方が傲慢だったかもしれない。今の赤字を恐れるより、未来に大望を持ちたい」。
 「梅の花」に長久手という名前が刻まれた瞬間だった。私は社長に握手を求めこの英断に賛辞を送った。

 数年後、強運なことに「愛知万博」は「長久手会場」という名称で開催され、全国からもこの「長久手店」にお客が吸い込まれた。社長の名は梅野重俊(当時45歳)さん。2002年6月には東証二部上場を果たしている。今ではこの「(株)梅の花」は全国に関連店を含め230店を展開。今年、CMが第50回ACCCMフェスティバルの最優秀賞であるACCグランプリ・総理大臣賞を受賞した。


制作
夢童由里子
〒459-0024 名古屋市名東区本郷2-150
電話:052-774-6891 携帯電話: 090-2610-5925
E-mail:mudo@r9.dion.ne.jp
夢童アートHP:http://mudou-art.com/

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【コラム】

コラム1 【花ちゃんからの健康だより】 No.80
花ちゃんからの健康だより

株式会社 スズケン
保健師 佐藤 花子

『 ビタミンCで風邪予防  』


  寒い冬を迎えようとしています。特に急に寒くなったせいか、クリニックはとても混んでいるようで、予防接種を受けるため、待っている間に風邪をもらいそうで、諦めて後日にした人がいます。発病しないためには感染しないこと。そして感染しても発病しないように、防衛機能を十分に働かせることが必要ですね。

 風邪の季節になると、野菜や果物など食べて、ビタミンCをたくさん摂りましょうと保健指導することが多い。その理由は、寒さであるストレスに対して、副腎がストレスホルモン分泌し体温を上げる。その際にビタミンCをしっかり使ってしまう。その結果、ビタミンCの補給がなければ免疫機能が弱くなり、ウイルスや細菌に負け、風邪をひいてしまうからである。ほとんどの動物は自分の体内でビタミンCを作ることができるのに、人間と同属のサル、モルモットなどは作ることができない。したがって、飲食するしかない。しかも飲食して摂ったビタミンCの3分の1は吸収できずに体外にでてしまう。つまり、たくさん摂るしかない。
 ビタミンCの一日の栄養所要量が2000年4月から100mgと改定された。それまでは半分の50mg。果物のうちビタミンCが多いのは、アセロラ、キウイフルーツ、レモン、みかん、柿など。特に秋の果物の柿は1個の重量が重く、1個で多くのビタミンCが取れる。渋柿は渋抜きするとビタミンCが減る。みかんについては皮が実より3倍ビタミンCが多い。リンゴにはビタミンCが少ない。しかし、なぜか体内にビタミンCをため込む効果が高いそうである。

●果物でビタミンC100mg/日をとるには・・・
  レモン1個・・・・・・・100mg
  柿1個・・・・・・・・・140mg
  キウイフルーツ1個・・・140mg
  みかん3個・・・・・・・100mg
  リンゴ1個・・・・・・・ 12mg
  アセロラ100g・・・・ 1700mg(ダントツに多い)

 冬場、沖縄に住む人と北海道に住む人では明らかに体内ビタミンC濃度に違いがあり、北海道の人は、ビタミンCをため込んで防衛しているようだ。ストレスの多い人は、さらにビタミンC不足になるので、サプリメントでの摂取も有効である。

あれこれ工夫して風邪の予防に努め、今年を元気に締めくくりましょう。

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.25
コラム【理念経営物語】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『仏教発見!』
西山 厚著・講談社現代新書

  感動的な本です。過日、著者の西山さん(奈良国立博物館学芸部長)と食事をしながらお話を伺う機会に恵まれましたが、お人柄のよく出た本だと感じました。
 「自分は徳もないのに天皇になった。一生懸命やってはいるが十分ではない。仏教の力でなんとか天地をゆたかにしたい(中略)人間だけではなく、そのほかの動物も植物も、みんなが栄える世にしたい。だから大仏造立を決意したのだ」という聖武天皇(こんな為政者がいるだろうか!)の想いの根底にある『華厳経』の世界は、人間と塵を平等とみなす、という。
 唐招提寺の釈迦如来像の内に納められている文書には、人の名前に交じりクモ・ノミ・シラミなどの名も書いてあり、これらすべてが仏になれるよう願っているとのこと。

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コラム3 【苗字随想】 No.102
コラム【理念経営物語】

片桐清志

「万と苗字」

 先回は「百」姓の3倍ある「千」姓に注目してみた。そうなると「万」と苗字の関係を見たくなるのが人情だ。
 「万」で始まる苗字の総数は、残念ながら112種しか見つからなかった。「萬」でも45種(そのほとんどは「万」と重複)しかない。苗字でも「万」は庶民には縁遠い存在のようだ。
 一字姓の「万」さんもいて、バン・マン・ヨロズ・ヨロイとお読みする。「萬」さんの場合もマン・ヨロズ・マイとお読みする。
 万と他の数字の組合せでは「万兆(バンチョウ)」「万千百(マチオ)」がある。「萬」姓には該当する苗字は見つからなかった。
 「百」姓「千」姓同様、数量表現と間違えそうな苗字に「万世・萬世(マセ)」「万代・萬代(マンダイ・バンダイ・ヨロズヨ・マデ等)」「万俵・萬俵(マンビョウ・マンダワラ等)」「万石(マンゴク他)」「万台・萬台(マンダイ)」「万場(マンバ・バンバ)」「万城・萬城(マンジョウ・バンジョウ・マキ等)」「万戸・萬戸(マント)」「万燈・萬燈(マントウ・マンドウ)」「万羽(マンバ・バンバ)」「万尾・萬尾(バンオ)」「万足(マンソク・マンゾク)」「万町(マンマチ)」「万里(バンリ・マンリ・マリ・マデ)」「万年(マンネン)」「万月(マンゲツ)」「万字・萬字(マンジ)」「万条(マンジョウ)」「万行(マンギョウ・マンコウ)」「万本(マンモト)」「萬部(ヨロズベ)」がある。
 おめでたそうな苗字には「万久(マク)」「万亀(マンキ・ナキリ等)」「万喜・萬喜(マンキ・マキ)」「万宝(マンボウ)」「万寿(マンジュ・マス)」「万成(マンナリ)」「万徳(マントク)」「万福(マンプク・マンブク)」「万財(マンザイ・バンザイ)」「万金・萬金(マンキン・マンガネ)」などがある。
 「万事・萬事(バンジ・マンジ・マジ)」「万全(マンゼン)」「万屋・萬屋(ヨロズヤ・マンヤ)」「万年青年(オモトノヒラ)」「万才・万歳(マンザイ・バンザイ・ナガヨ)」「万能・萬能(マナ・マンノ)」「万力・萬力(マンリキ・マンリョク・マタカ等)」などは日常生活にも登場するため紛らわしい。
 ランキングでは「万代」の2079位(佐久間 英氏ランキング表)を筆頭に、万野(2560位)・万田(3295位)・万谷(3970位)が上位に登場する。
 因みに「万名」さんもやはり居て、そのまま(マンナ)とお呼びする。

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【平成22年11月号編集後記】

  先日孫たちと一緒に、さいたま市にある「鉄道博物館」に行ってきた。本博物館はJR東日本が、創立20周年の記念行事として3年前に開館したものだ。日本の鉄道史に残る産業遺産とも言うべき実物車両が多数展示されている。最近ではさまざまな産業博物館が各地に整備されてきたが、規模の点でも、質の点でも第一級の企業博物館だ。
 訪問した日は祝日だったこともあり、家族連れや鉄道ファンで大いに賑わっていた。入場者数でもトップクラスだ。人気の秘密は質の高さだけでなく、各種展示品が見るだけでなく、展示車内に実際に入れる体験型の展示が多いことにありそうだ。損傷した場合の修理が困難な歴史的遺産や子供の安全に配慮し、見るだけの展示ものもあるが、明治時代のものも含め大半の展示は車内に自由に入れるようになっている。古い展示品に触れさせながらの維持は大変だろうが、子供たちの目の輝きを見ると体験型展示の素晴らしさを実感する。おもちゃや絵本の写真、TV、映画等で見たことのある車両が、実物に触れることで親しみを増す。頭で理解するだけでなく、体で理解することの大切さを改めて教えられた。当地区にも来春3月にはJR東海が「リニア・鉄道館」を港区金城埠頭地区にオープンさせる。当地区の子供たちにも夢と感動を是非とも味わってもらいたい。

 産業懇談会でも今月は復元中の本丸御殿の見学会を行った。写真や模型でしか見ることのできなかった本丸御殿が元の場所に建設中だ。豊富な資料に基づき、史実に忠実に技術的にも価値の高い作業を間近で見ることができた。見学時に抱いた疑問も、間組さんのご好意で見学後の意見交換会でよく理解できた。完全復元は平成30年なので、まだまだ先だ。工事の進行に合わせて再度見学会を企画し、温かく見守っていきたい。
 今月号の「産懇宅配便」ではその本丸御殿の見学会模様を紹介できた。また、新しい都市機能の在り方を若山先生からご披露いただいた。さらに今月号でも新たに3名の新会員をご紹介できた。交流の輪がどんどん広がるのは喜ばしいことだ。

(片桐)