【名古屋いちばん物語】 No.127

テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第104回 』

料亭つたも 会長・深田正雄

戦後の広小路は巨大シネマコンプレックス
なごや昭和写真帳「キネマと白球」より

 2022年3月 名古屋タイムズアーカイブス委員会代表の長坂英生氏のなごや昭和写真帳「キネマと白球」が風媒社より発刊されました。懐かしの写真に大感激したのは僕だけではないでしょう。戦後、映画館に囲まれた栄ミナミでの正雄君(昭和23年生まれ)の思い出を加えながら、長坂さんの許しを得て、写真を転載し戦後の広小路にタイムスリップできればと思います。
 戦前、名古屋の映画館は寄席や芝居・見世物小屋から活動写真で賑わう大須に集中していましたが、戦災で多くが消失、戦後の区画整理に伴い栄地区の変化とともに広小路界隈がシネマタウンとして発展してきました。名古屋では昭和33年には140館もあり、人口比では日本一といわれるほど多く、封切館は栄地区に集中していました。

写真:キネマと白球
各書店で好評販売中 定価:1760円
写真:広小路の地図
戦後の広小路はシネマストリート

 料亭の一人息子で毎日、小学校から帰り夕刻から店が繁盛しているので、邪魔にならないように映画館めぐりがお遊びの中心でもありました。特に、蔦茂の隣の下駄屋「いづみや」の木下明君(故人)は映画館の「もぎり」のおねえちゃんに顔が利き、「正雄君、つたもの惣菜持ってきてよ!そして、ステート座に行こう。」と誘ってくれました。
 調理場からチョットのおかずを失敬して映画館スタッフにプレゼント、僕らは顔パス、いつも無料で見放題、10時過ぎると静かになったお店に戻る生活でした。

ステート座(松竹映画劇場): 栄3-2

【昭和45年閉館後、スーパーダイエーから現在パチンコ・キング観光サウザンド栄】
 戦後いち早く昭和21年にオープンした老舗で入り口には大きな池と庭があり、楽しい子供の遊び場、むかえには松竹小路という飲み屋横丁があり繁華街の中心!
 松竹の封切館で『大忠臣蔵』(昭和32年)総天然色であり、初めてのワイドスクリーン作品でロングランを何度もタダ??で観賞。歌舞伎界出演者・大石内蔵助に二代目市川猿之助そして、松本幸四郎、そして山田五十鈴と嵯峨三智子の親子共演となり、当時の松竹ならではの豪華な顔ぶれでした。でも同じ映画に飽きて居眠りしていました。
 正面の喫茶「茶ばしら」(現存・駐車場)のクリームソーダの味が忘れられません。

写真:松竹映画劇場
ステート座からS29年改称
写真:東芝テレビ
広小路劇場・奥が富国生命ビル
広小路劇場:【現在は広小路本町ビル東 栄3-1】

 ステート座に続く昭和22年オープンした老舗、洋画専門で映画史上不朽の名作「駅馬車」をハラハラドキドキして何度見たことか!!ジョンフォード監督、ジョンウェイン主演・・・ジェロニモ率いるアッパッチ族が懐かしい。前庭の釣り堀で遊ばせてもらい、西横の焼け残った3階建て茶色いビルには総鏡張り「喫茶CA」、貴金属時計の山田時計舗が懐かしい。毎年1回、腕時計の分解掃除覚えていますか???

千歳劇場:【昭和45年閉館、現在はダイアパレス伏見 栄2-1】

 戦災で焼失したが、昭和22年に再建、31年に冷暖房完備新装オープン、大映の封切館・上階はキャバレー「キング・オブ・キングス」隣接の「バー・ニューナゴヤ」とともに進駐軍兵士とともに地元の人が一緒にダンスに興じていたようです。小学校の同級生の親が経営していたので、いつも招待券をいただき学校帰りに映画鑑賞、また、選挙で学校が投票所となり授業のないときはここで映画を観て代替していました。映画館の売店名物、平野屋の「善次郎せんべい」は今も北側チトセビルで販売されているようです。

写真:昭和31年6月、冷暖房完備の近代的施設として新装オープンした千歳劇場。
写真:「名古屋商工まつり」で広小路通を走る。戦後期の本格的花電車で、交通局は1両35万円をかけて500~600個の電球をつけた。商工まつりは10月の1ヶ月間開催。写真中央の名宝商会にはこの年公開の映画「ゴジラ」の看板が見える。(中区・昭和29年・提供=名古屋タイムズアーカイブス委員会)
納屋橋西の名宝会館・ゴジラの看板が懐かしい
名宝会館:【平成14年閉館、現在はリッチモンドホテル納屋橋 栄1-2】

 昭和10年開館の老舗、戦災にもかかわらず躯体の消失を免れ、戦後すぐに復活、名宝劇場、スカラ座、文化劇場、ニュース劇場などがあり、東宝系封切館が揃い今風のシネマコンプレックスの創始!ここには「もぎりのお姉さん」知り合いはなく、有料観賞。小学校1年生の時、名宝会館での「ゴジラ」にビックリしました。その後の怪獣映画シリーズでスリルを満喫しておりました。また、昭和30年屋上7階?に増設された名宝スカラ座はエレベーターが下の階までで、大変階段が込み合い、金網張りの非常階段で下まで降りていました。

ミリオン座:唯一現存の映画館 栄1-4

 【跡地はハートランドスタジオで、現コインパーキング。仲ノ町から、伏見ミリオン座として御園商店街に移転、そして、現在も錦2-15でミニシアターを展開】
 昭和25年開業、古川為三郎率いるヘラルドグループのグレードの高い洋画封切館で女性から人気のオシャレな映画館。店名のミリオン・由来は開業時に名古屋の人口が100万人を超えたことから。「ローマの休日」の大ヒットで有名に!

名古屋日活劇場:【現在は栄スカイル 栄3-4】

 昭和23年に「日活スタジアム」として開館、ボクシングや歌謡ショウのイベントで賑やかしましたが、昭和27年に映画館に転身、洋画の封切館!日活の名古屋旗艦店として石原裕次郎率いる石原プロダクションの作品で人気館でした。映画「太陽の季節」「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」など軒並みヒット。

写真:昭和27年8月10日、開館前の名古屋日活劇場
写真:昭和25年開館、アクションものよりも音楽ものをはじめとする「女性映画」が得意で、「ローマの休日」がヒット。1日最高6500人のダイカ亜州を動員し、4週間のロングラン上映をした。(昭和31年2月撮影)

 また、洋画からロマンポルノのロマン座、ヤクザシリーズの東映会館、ロマンスシートの丸栄ピカデリーなども大きな手書き看板を立てて繁盛していました。
 残念ながら当時広小路に15館あったシネマは現在一軒もなく、不毛の文化を嘆いております。新しい大きな再開発が栄に進捗するなか、ぜひ、映画館の再興を期待しております。
 東海高校3年生担任・日本史の長谷川昇先生のお言葉を紹介してエッセイを〆させていただきます。「映画は芸術であり文化の象徴!下手な高校の授業を聞くより、シネマを見に行け。映画に行けば出席扱いにするが、事前申請と感想を聴かせろヨ!!」

『写真出典・引用』
なごや昭和写真帳「キネマと白球」 発行所・風媒社 より 令和4年3月刊
編集者:名古屋タイムズアーカイブス委員会代表の長坂英生氏

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【新会員自己紹介】

写真:小木曽 順務氏
火曜グループ
小木曽 順務(おぎそ じゅんむ)
株式会社おぎそ
会長

【株式会社おぎそ】
〒509-5401 岐阜県土岐市駄知町1468番地
URL:http://www.k-ogiso.co.jp/

経歴:昭和25年西尾市(浄徳寺)で生まれ、外航商船士官(鳥羽商船卒)として乗船、昭和52年には陶磁器業界に転針、平成10年頃全国学校給食用食器材質別調査を行う中、儒学者佐藤一斎の愛弟子の山田方谷(高梁市)が備中松山藩を「理財論」で財政再建、この偉業を目にし、食器販売で差別化の必要性を痛感する。
 後、横井小楠(熊本市)、広瀬淡窓(日田市)、細井平州(東海市)、中江藤樹(高島市)、河井継之助(長岡市)、安積艮斎(郡山市)の記念館で温故知新を体感、平成17年「作る責任と使う責任」の重さに覚醒でき、結果、全国販売した食器の欠けを「自ら回収し食育に貢献するリサイクル食器づくり」を考案し、同業他社と差別化したおぎそ製Re-食器事業を確立する。(第3回ものづくり日本大賞優秀賞)
 平成20年には事業継承、平成25年には業界初の広域認定(環境省特例)を取得、平成28年には地域未来牽引企業認定を受け、令和4年3月、PETボトルで作った学校給食用食器(Re-PET食器ogiso)を津山市に初納品、今では下記団体に参加し「学校給食用食器は素材を問わずエコマーク」と資源保護の普及啓発に努めています。

参加団体

  1. (一社)全日本船舶職員協会
  2. NPO法人故郷の海を愛する会(鳥羽商船)
  3. NPO法人いわむら一斎塾(恵那市)
  4. (公財)安岡正篤郷学研修所 (埼玉県嵐山町)
  5. (一社)令和人間塾・人間学lab.(姫路市)
  6. 海ごみから革新的な社会モデルを考える会/代表

現況(海ごみ問題を改善するための取組)
 今日廃プラ再生原料化技術が揃い始めましたが海に静脈はない。官民連携で再生原料化技術を組み込んだ静脈を創り上げる事で日本商船隊が抱える海事系廃棄物と回収した海ごみは処理でき、海洋プラ問題は改善できます。
 よって、この海事履歴と広域認定取得までの事業履歴と、また培ってきたネットワークを活かし「海ごみから革新的な社会モデルを考える会」(Party of Ocean Green Innovative SOciety)を設立し、参加者で海の静脈づくりを具現化するための課題を把握し、構想を資料にまとめ、関係省庁に提言しています。

  1. 海ごみの静脈づくりに活用できるリサイクポート(国交省)は既に整備されている。
  2. 廃プラ再生原料化技術(経産省)は揃ったが、同等素材の廃プラを大量に集める静脈がない。
  3. 日本商船隊(2,500隻)の廃船舶係留索(5,000t/年間))が中国で焼却処分(環境省)されている。

 伊勢湾会議の課題(海洋汚染と漂流ごみ)は、リサイクルポート三河港に廃船舶係留索と海ごみを再生原料化する複合型再生処理施設が整備できれば(案)、回収した海岸漂着ごみも、河川ごみも搬入できます。
 この静脈システムづくりの可能性調査の一環で、国交省担当部局と環境省海洋環境課とリサイクル室を訪ね「なぜ、静脈ができないのか」、国交省と経産省と環境省が連携し、海事業界の排出量の実態調査と静脈システムの整合性を環境省「エネルギー起源CO2の排出削減対策事業」で確認することが必要と進言、この整合性が確認できれば、国交省港湾局管理の全国22港のリサイクルポートに工業化した再生処理事業を興すことができます。
 ぜひ、伊勢湾問題を解消させるために「廃船舶係留索の実態調査の必要性」を進言して頂きたい。
 よろしくお願いします。

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【産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会
のご案内】

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。
 恒例となっております4グループ合同の懇親ゴルフ会を下記のとおり開催いたします。

日時
令和4年10月1日(土) 9:00スタート
場所
明智ゴルフ倶楽部かしおゴルフ場
対象者
代表幹事、直前代表幹事、産業懇談会会員
(参加者は会員限りとし、代理出席はお断りさせていただきます)
備考
定員に到達次第、募集を締め切りさせていただきます。
ご参加される方には、別途詳細のご案内を送付いたします。

※定員に到達したため、申込みを締め切りいたしました※

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【産業懇談会4グループ合同懇親会】

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。
 恒例の4グループ合同懇親会は、火曜グループの企画により「即席寄席」を開催いたします。
 落語家の笑福亭鶴笑氏、江戸曲独楽回しの柳家三亀司氏、講談師の旭堂鱗林氏をお招きし、日本の伝統芸能を披露していただきます。

日時
令和4年10月4日(火) 17:30~20:00
場所
名古屋マリオットアソシアホテル16階 アイリス
定員
産業懇談会会員 先着65名
(本会方針および会場の収容人数から定員を設けさせていただきます。)
会費
お一人 12,000円(後日請求させていただきます)
スケジュール
17:30~18:30 ご公演
  • 落語家 笑福亭鶴笑しょうふくていかくしょう
  • 江戸曲独楽回し 柳家三亀司やなぎやみきじ
  • 講談師 旭堂鱗林きょくどうりんりん
18:40~20:00 懇親会(着席コース料理の予定)
その他

※申込みを締め切りいたしました※

お問い合わせ先
担当:鶴田・菱川 Tel:052-221-8901 FAX:052-221-8925

本会会合にご参加いただける際は、マスクのご着用・手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。

<公演者ご紹介>

笑福亭鶴笑(しょうふくてい かくしょう)氏/落語家

写真:笑福亭鶴笑氏

 落語家。兵庫県出身。六代目笑福亭松鶴に入門。髪型落語協会所属。1998年今までの落語をより楽しめるよう、手作り人形を使った”パペット落語”を発明。2000年シンガポールへ移住。パペット落語を中心に英語をはじめとして現地の言葉で落語を演じ、海外での落語・日本文化の普及に努める。2004年イギリスに文化交流市使として渡り、ロンドンを活動拠点とする。2008年活動拠点を日本に戻し、繁昌亭大賞爆笑賞を受賞。2015年パペット落語で厚労省/児童福祉文化特別推進賞受賞。ほか国内外で多数受賞。
 日本人として初めて世界三大コメディーフェスティバルを制覇したほか、芸術選奨文 文部科学大臣新人賞(2002年)をはじめ海外での大きな賞も多数。

柳家三亀司(やなぎや みきじ)氏/江戸曲独楽回し

写真:柳家三亀司氏

 1978年(昭和53年)、柳家小三亀松に入門し、江戸曲独楽をはじめとした芸を習得して大須演芸場を中心に活動。1986年(昭和61年)には日本ボクシングコミッション中部事務局に所属してリングアナウンサーとなった。1994年(平成6年)には当時WBCバンダム級世界王者の座に在った薬師寺保栄と暫定世界王者・辰吉丈一郎との統一戦でリングアナを務めている。2010年(平成22年)には落語家の雷門獅篭、雷門幸福、雷門福三、講談師の古池鱗林(いずれも芸名は当時)と共に「東海地方に演芸を広げ隊」(通称:海演隊)を結成。2012年(平成24年)には大須大道町人祭に初参加した。2014年(平成26年)から、橋の下世界音楽祭(愛知県豊田市)にも参加、幅広く活動している。

旭堂鱗林(きょくどう りんりん)氏/講談師

写真:旭堂鱗林氏

 愛知県内の短期大学を卒業後、幼稚園教諭に。その後ブライダルコーディネーターを経験。1999年東海ラジオレポート・ドライバーとしてタレント活動をスタート。東海地方を中心にテレビ・ラジオ出演、司会業等を務める。2006年上方講談師 旭堂南鱗(きょくどうなんりん)の講談道場に通い、2009年には鱗の一字が与えられ古池鱗林としてタレント・講談師としての活動を始める。現在は瀬戸市出身の棋士、藤井聡太さんの生い立ちについて語る「藤井聡太物語」を各地で口演している。関西演芸協会所属。現在大須演芸場などに出演。愛西市観光大使・熱田区おしゃべり大使(広報大使)・白鳥庭園広報大使・名古屋観光文化交流特命大使・瀬戸広報大使。

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【11月度産業懇談会のご案内】

 11月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。
 定員は引き続き、先着30名を目安に、会場収容人数の50%となるよう運営します。
 何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 会合にご参加いただける際は、マスクのご着用・手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

11月8日(火)
12:30~14:30

『中小企業に採用力を』
株式会社ジーエスコンサルティング
代表取締役 河野 一平 氏

名古屋観光
ホテル
3階 桂の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

11月16日(水)
12:30~14:30

『「自然」を五感で楽しむサステナブル建築』(仮題)
久武正明建築設計事務所株式会社
代表取締役 久武 正明 氏

若宮の杜
迎賓館
1階 橘の間

水曜第2グループ

大倉偉作
香川裕子
高見祐次

11月9日(水)
12:30~14:30

『関連会社の甘えを払拭、自立ある会社づくりを目指して』(仮題)
大同マシナリー株式会社
取締役社長 川西 邦仁 氏

名古屋観光
ホテル
3階 桂の間

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

11月10日(木)
12:30~14:30

『「車両リース」から「モビリティサービス」への進化
~三菱オートリースの取り組み~』
三菱オートリース株式会社
執行役員 中部営業本部長 山本 岳彦 氏

名古屋観光
ホテル
2階 曙西の間

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.51

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 「断捨離」じゃないし… 』

 若かりし頃、引っ越し魔だった私の夢は「身軽な暮らし」。車一台に必要なものを載せて、どこでも生活できる人でありたいと思っていた。マンションを購入してからはすっかり定住モードだが、それでもシンプルに、持ち物は最小限で暮らすことはずっと続いている。うちを訪ねたことのある友人は、みな口を揃えて「ごみ箱は?」と聞くのだが(笑)我が家にはごみ箱すら全室あわせて一個、キッチン備え付けのものしか無い。とにかく物の少ない暮らしで、お陰で物持ちがよく、収納家具とか無駄な買い物をしないで済んでいる…とは言っても頂き物やらなんやらで知らないうちに増えているものもあったりして、来月には還暦だし、一度身綺麗にするかと諸々整理を始めることにした。
 そんな折、某所で若いミュージシャンと隣り合わせ、音楽談議に花が咲いた。

写真:DX7
デジタル音源の世界を変えたDX7

ゴールドディスクをいくつも持っているコンポーザーなのだが、最近の音造りについて話が及んだ際、シンセサイザーの音色すら、今はネットでダウンロードするのだと聞き、私は学生バンドしていた頃、ヤマハのDX7が発売されて、なけなしの小遣いを握りしめて決死の覚悟で楽器屋に飛び込んだのだと話すと、DX7は伝説のキーボードだという。「初号器、うちにあるわよ。クローゼットでここ10年ばかり冬眠中。カートリッジか基盤が死んでるから修理するか捨てるか決めかねてる。欲しいならあげるけど」というと、「ぜひとも!!」の即答で、彼のもとへお輿入れが決定した。
 二十歳のころ、学生バンドでキーボードのお助けメンバーをしていたことがあった。同好会の部室にあった楽器は、それはそれはボロくなかなかモチベーションが上がらない。そのころYMOで坂本龍一さんが発売直後のDX7をステージで演奏しているのを見て「すごーい!あれ欲しい」と衝動買い。かれこれ40年前のことだ。とはいえ使用したのはほんの2年ほど。貧乏で始まった東京の生活には持って行けず、実家の防音室でピアノ教室(妹が教えていた)に来る子供や、甥の遊び道具となっていた。
 時は流れ、もちろんフランスに行くときもお留守。帰って来ても実家から外に出ることはなくすっかり飾り物になっていた。で、10年前再び声楽を始めたので発声練習用に現在の自宅に持ち帰り、電源を入れてみるも音が出ない。修理してもよいのだが、ヤマハの工場までの精密機械運搬料と修理費用を考えると、新しくて操作が簡単なキーボードを買った方がリーズナブルと思い、あえなくクローゼットの置き物になってしまっていた。ネットオークションでは壊れたDX7も結構なお値段で取引されているが、現金化するのも気が進まないまま…、それからさらに10年が経ち、やっと熱望してくださるパートナーの所にお嫁に出すことができた。ウエスで包んで彼の所に届けると、大事そうに抱え(重量は20㎏)玄関先でカバーを外し「わっ!!本物だ!」と嬉しそうな独り言。きっと修理を終えたら、そのうち誰かのレコーディングやライブ会場でいい音を奏でてくれるに違いない。

 そんな中、「断捨離始めたの?」と誰かに聞かれ、「ん~ちょっと違うかな」と心の中で思う。随分前にお笑いコンビ、ウッチャンナンチャンの番組で、降格が決まった中間管理職がデスクの持ち物を「いるもの」「いらないもの」と書かれた段ボールに未練がましく仕分けするというコントがあったが、この頃はそれを断捨離と言っている。断捨離の基本は「1年使わないものはさっさと捨てる」らしいのだが、そもそも使わないものは買わない私にはそぐわない言葉で、「でも洋服はさ~捨てないと」と言われても、なんだかんだ、3年ターンや5年ターンで回している服もある。年に一度しか着なくてもお手入れはしているので全く痛まず、一年着なかったからと言って捨てる服はないなあ~と、元アパレルの友人に話すと自分もそうだという。「1000円で買ったTシャツすら5年持つし」に共感しきり。「買い足す前に大事に使おう」が基本だよねと盛り上がった。

イラスト:いるもの
イラスト:いらないもの

 そもそも断捨離という言葉、仏教用語か何かありがたい言葉だと思っている方が多いようだが、これは50年ほど前に作られた造語だということをご存じだろうか。当時日本に入ってきたヨガの精神を特徴づける言葉としてインストラクターの方が作った言葉だ。それが巡り巡ってお片付けの合言葉になっている。当のヨガはというと断捨離とは関係ないところでダイエット(これは脂肪の断捨離か!?)やリラックスの手段としての道を確立している。使いまわしのしやすい言葉はほかにも沢山あって、例えば一時期使われ過ぎの感がある「○○ソムリエ」という職業呼称について、ワインの専門用語を他の職業に使うな!なんて抗議もあったのだが、よくよく調べてみると語源は「王様の旅のお世話係」のことで、そのお世話係がワインも選んで給仕していたので、当時の習慣が現在の職業呼称になったとされている。長く使い続けると語源との微妙なニュアンスの違いができるもので、ソムリエ呼称についても、結局ワインに特化したのは後付けで、もともとお世話係だから何に使ってもよいのではという考え方が一般的になった。そうは言ってもなんでもソムリエにしてしまうのは日本くらいだけど。

 以前、実家の離れを取り壊したとき、出てきたのは客用布団・座布団の山と配膳用の箸やら風呂敷やら。昔は冠婚葬祭のおもてなしはすべて家でしていたことを思い出した。それだけでなく、押し入れ一個分の紙袋と包装紙を見つけた時には大爆笑。そんな時代だったよねと、懐かしく思いながらリサイクルに出した。日本人のもったいない精神と断捨離は、この先どうやって折り合いをつけてゆくのか、少しばかり楽しみでもある。

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コラム2 【師、曰く】 No.16

妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)

ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメントの応用、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を今回も一筆

『 自然の声 』

 4年半の東京との兼務を経て名古屋専任となり、愛知に根を下ろせたのが感慨深い。30年間、新中野を拠点に、都内や横浜、横須賀、厚木、仙台や高知で仕事をしてきたが、名古屋で働けることが実に嬉しい。住居は蒲郡と決めていた。正確には三谷。私は、海が近くにないと駄目なのだ。神奈川でも週末の半分は、小田急線に30分揺られ湘南に通った。海は、一日居ても飽きない。波乗りも、泳ぎもしない。ただ、海を眺め、海辺を歩き、海の見える店で、海を感じて過ごすのだ。

 田坂先生は富士山の麓に住まう。霊峰富士を感じながら暮らしたかったそうだ。毎週火曜、多摩大学大学院の社会人向け講義にも、ご自身で富士から車を運転し品川まで通われていた。講義の後、論文指導の日などは22時を回ってからの帰路になる。それでも、富士の麓に居を構えたのには、理由があった。 私達は日々、人間関係の問題、リーダーシップの問題、能力開発の問題、進路選択の問題、人生の逆境の問題など、様々な問題を処さねばならない。それらは、考えても答えが見えないことが大半。No.9に記したが、そこで重要なのが、「感性」。考えることよりも、感じる力、感性を高めることが大切だと。その感性を磨く幾つかの技法の一つをご紹介したが、今回は別の一つ、「自然の声に耳を傾ける」 という技法だ。

 ただ自然に触れれば良いのかというと、そうでもないらしい。現代人には 「独り、在る」 大切な時間が失われていると。確かに、物理的に一人でいても、常にネットや携帯で誰かと繋がっている。敢えて、「独り、在る」 という時を過ごす。さらに、自然に身を浸し、自然と一つになることだという。共生を超える「自然(じねん)」の思想だ。英語で書くとわかり易い。Living with Nature ではなく、Living as Nature。 鳥の声、虫の音、雨の音、太陽、青空、雲、月、星、富士が囁きかけてくる声を聴くことだと。田坂先生が最も大切にする自然の声は、風の音だそうだ。風にも仏性が宿ると言われ、先生のコラム定期便「風の便り」、インターネットラジオ「風の夜話」にも、「風」への思いを感じる。余談ながら、占星術では2021年から「風の時代」と言われ、耳にしたこともあるのでは。目に見える豊かさの「土の時代」から、自由、平等、知性、精神性など、目に見えないものの価値が高まるのが、「風の時代」。まさに時代潮流そのもの。余談はさておき、自然と一体となることは、我々が生きるこの社会、自然、地球、宇宙への深い思いであり、その思いこそが感性の原点だと。哲学者、宗教家であるクリシュナムルティの言葉、 「あなたは世界であり、世界はあなたである」 に通ずると。その深い意味が解るまでは、まだまだ修行が必要だろう。

 私も、名古屋で精一杯働き、週末は三河湾を眺めながら、自然の声に耳を傾けよう。 修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。

写真:竹島
(夕暮れの竹島)

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.167

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 論争 関ケ原合戦 』
笠谷和比古著・新潮選書

 9月15日(慶長5年・西暦1600年)は「天下分け目の戦い」の日です。この日本史上最大の野戦について、今なお激しい論戦が繰り広げられているようです。この分野を代表する学者によるこの本は、学術的でありながら読み易く理解しやすい内容です。
 著者の論の核心は「西軍蹶起(決起)の二段階論」です。当初(第一段階)は石田三成と大谷吉継の二人だけの行動であったものが、第二段階で淀殿と豊臣奉行たちもそれまでの立場を変えて三成方に与したというもので、このことが、関ケ原合戦のみならず徳川幕藩体制の基本構造を形成した、と論じます。
 その上で、「直江状は偽書」「三成は家康の誘い出し作戦にひっかかった」「開戦直後に小早川が裏切ってあっという間に終わった」などの通説・俗説などを検証していく過程はとても愉しく読めました。

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