産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第239号 2022.04.28 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和4年4月度(第239号) 目次
【4年3月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 3月2日(水) 13時00分〜14時30分
【4年3月度 産業懇談会(木曜G)模様】 3月3日(木) 13時00分〜14時30分
【新会員自己紹介】
鈴木 裕之氏

三菱HCキャピタル株式会社 常務執行役員 中部エリア営業本部長

【5月度産業懇談会のご案内】
【6月度産業懇談会のご案内】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.46
コラム2 【師、曰く】 No.11
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.162
【お知らせ】
【4年3月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 長寿命化再生建物で金融・不動産評価を変える
           〜ライフサイクルコスト削減で日本の暮らしを豊かに〜 』


日  時:令和4年3月2日(水) 13時00分〜14時30分
場  所:若宮の杜 迎賓館
参加者:17名

スピーカー:
名倉 昌孝(なぐら まさたか)
ナグラ産業株式会社
代表取締役

写真:名倉 昌孝氏

■自己紹介
 名古屋市北区に生まれ、高校、大学時代はラグビーに明け暮れた。30歳まで社会人チームでプレーしていたが、30歳の時に右の鎖骨を2回複雑粉砕骨折したのを機にサポート側に回っている。車が好きでマイカーのサーキット走行にはまり、25歳にサーキットデビューしてから様々な車に乗ってきた。現在は、イタリア車・フランス車走行会にルノーのルーテシアで参戦している。サーキット走行が趣味の方がいればお声がけください。最近はもっぱら飲み歩きとBarめぐりを趣味としており、インスタグラムのフォロワー数もそこそこ増えている。
 地元は、昔遊郭があった城東園である。高齢化により空き家や閉店した店舗が増加し、町の衰退化が進んでいることから、地元を盛り上げるため5年前より城東園祭りを開催している。当初は飲食店が出店する小さな祭りを年2回開催する程度であったが、最近は規模が大きくなり、きくち教児さんを司会に会場を広げて開催している。
 中部経済同友会には12年前に入会し、多くの活動に参加させていただいた。実は、11年前にも産業懇談会で登壇したが、今振り返ると、当時話した「今後やりたいこと」を11年かけて実現できたように思う。

■会社紹介 〜大規模修繕〜
 ナグラ産業は、昭和45年に父が吹付塗装や外壁塗装業として始めた会社である。平成16年に社長に就任し、塗装業から大規模修繕工事業へ転換した。主な事業はマンションの大規模修繕である。経営理念は建物を延命、再生、診断することにより、お客様と共にイキイキすることで、ビジョンは建物の一生のサポーターとして、LCC(ライフ・サイクル・コスト)の削減をもって、安心と喜びを提供することである。当社は、日本で唯一、国土交通大臣認定のマンション計画修繕施工協会、リノベーション住宅推進協議会、日本塗装工業会の3つの団体に登録している。
 業務は、人間でいえば人間ドックである。有資格者のビルディングドクターが建物の現状を把握し、長期修繕計画の提案とその後定期点検を含めたメンテナンスを行う。よくある建物の痛みの事例は、ひび割れ・鉄筋爆裂・鉄部の錆である。木造の場合は、腐食やシロアリ被害や雨漏りである。

■会社紹介 〜リノベーション〜
 マンションの大規模修繕工事は、国交省による12年に1回実施の指針に従い、仕方なくやっている顧客が多い。修繕を施しても、金融評価や不動産評価は変わらず、税制優遇がある訳でもない。もっと顧客が喜ぶ価値あることを提供したいと思い、不動産事業に参入した。
 建物には法定耐用年数があり、鉄骨鉄筋コンクリート造は47年、鉄骨造は34年、木造は22年である。これは税金計算のために財務省が定めたもので、建物の耐久性を示すものではないが、およそ鉄筋は50年、鉄骨造40年、木造は30年程度で建て替えられているのが実情だ。現存する世界一古い木造建築物の法隆寺は、670年に再建されたものである。1911年に建設された鉄筋コンクリートの三井物産ビルは現在でも使われている。メンテナンスをすれば、古くても使えるのだ。日本においては、地震も課題であり、大きな地震がくるたびに耐震基準は年々変化するため、対応するには莫大な費用が必要となる。そのため建築業界では、まだ使える建物でもスクラップビルドする傾向にある。本来は、CO2削減の観点からも、法廷耐用年数ではなく適正に維持管理をして、持続可能な収益性を上げていくべきであると考えている。
 このような思いをもとに、古くても価値が認められるように、様々なブランディングを行った。家具に拘ったもの、有名な建築家に依頼したもの、部屋の中だけでなく外側もまるごとリノベーションしたものもある。東区泉2丁目の築52年の商業ビルでは、外壁は大規模修繕、内部はフルリノベーションを施し、1階をカフェ、2階以上をシェアオフィスとし、地域のコミュニティができるように再生した。今でも人気でほぼ満室状態である。
 今後は法定耐用年数の変更や、メンテナンスによる不動産評価の変更の実績作りを銀行と協力してやっていきたい。

■リノベーション事例紹介
 岐阜県羽島市にある賃貸マンションでリノベーションを行い、4月にオープンする。当初、建物はボロボロで業者が嫌がる物件であったが、大規模修繕とリノベーションの両方対応可能な当社の得意な物件であった。
 物件に対しては、まず徹底的にマーケティングを行い、入居層の設定、リノベーション方法を決定しプロデュースを行っていく。今回もマーケティングのために、羽島市のまちづくり基本条例を熟読した。羽島市は高速道路のインターチェンジがあり、新幹線の駅もあるため、企業の誘致や人口増加を目指していると感じた。また羽島市長に直談判し、将来プランを伺うことで、マーケティングの深掘りとコンセプトの明確化を行った。緑豊かな広場をコンセプトに、心安らぐアースカラー仕様とし賑わいや出会い、交流のためにマルシェも開催することとした。
 実際に着工すると、多くの課題が出てきた。浄化槽やポンプは壊れ、室内の老朽化も著しかった。ソフト面でも、ごみトラブルや廊下でのBBQやカラオケ、禁止されているペット飼育など近隣問題も多かった。外国人労働者の入居者が、ルールを理解していないのが原因だと考え、中国語、ベトナム語、ポルトガル語、英語のルールブックを作成し、気軽に入居できるようにした。またペット飼育可能とし、入り口にペットの足洗い場を設け、更には1階テナントにペットショップを誘致する。
 リノベーションした建物を起点に、交流の場が広がる、町の発展に携わっていきたい。


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【4年3月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 新幹線地下街エスカ50年の歩みと地下街よもやま話 』


日  時:令和4年3月3日(木) 13時00分〜14時30分
場  所:若宮の杜 迎賓館
参加者:17名

スピーカー:
広井 幹康(ひろい みきやす)
株式会社エスカ
取締役社長

写真:広井 幹康氏

■自己紹介
 1955年に、大須観音の近くで生まれた。当時、境内には芝居小屋や屋台があった。小学校から春日井市に引っ越し、大学は京都で過ごした。
 1979年に東海銀行に入行し、25年間東京勤務で地元の勤務はほとんどなかった。2014年に名古屋に戻り、三菱UFJ銀行グループ会社を経て2017年よりエスカ社長に就任した。今年で単身赴任8年目である。

■日本の地下街
 1930年に開業した上野駅の「地下鉄ストア」が日本初の地下街であるが、地下街というよりは売店の規模が大きくなった程度であった。本格的な日本初の地下街は、1957年に開業した名古屋の「ナゴヤ地下街(現在のサンロード)」である。1965年頃より日本の地下街は急速に拡大した。しかし1980年の静岡駅の地下街でのガス爆発の影響で、規制が厳しくなり増加の伸びは鈍化していった。現在日本には79の地下街がある。
 日本最大面積の地下街は、クリスタ長堀で約8万m2もある。当社は16位で約3万m2であるが、全国の駅毎の地下街の総面積を見ると、2位と3位を栄駅と名古屋駅が占め、それぞれ約8万m2ある。名古屋が「地下街のまち」と言われる所以である。名古屋は、夏が熱くて冬が寒いため地下街が発達した。また戦後の復興により、道路整備されたことも地下街の発展に寄与した。世界最大の地下街はカナダで約120万m2もある。カナダは雪が多いため、こうした地下街が発達した。
 地下街で最も人的被害が懸念されるのが火災である。火災の発生防止のために地下街では、レンジ自動消火装置、スプリンクラー、防火シャッター、不燃材料の使用など多重の対策を行っており、エスカでは一度も火災は発生していない。
 また、地下街は高い耐震性を持つ。阪神淡路大震災の際、三宮駅前のサンチカは、震度7の直下型地震が発生したが、陳列した商品が落下した程度で、構造物に影響はなかった。地下街は箱物であるため地震と連動して動くからだ。ただし、電気が止まると明かりがなくなることと、ガス漏れには十分注意が必要である。当社でも耐震診断を行い、柱に炭素繊維を入れるなどの補強や天井の修理を行った。

■エスカの50年のあゆみ
 当社ができる前の名古屋駅西は、駅西銀座があり露店で大変賑わっていた。名古屋市による戦後復興と新幹線用地の確保として駅西の開発がスタートした。
 東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開幕した1964年に「名古屋駅西駐車場株式会社」が設立され、エスカの事業はスタートした。事業特許の取得にあたっては、名古屋駅西口の土地を保有する名古屋市と国鉄の多大なご協力を得るとともに、公共性な性格を有する事業として、地元の方々だけでなく名古屋の有力企々にも出資していただいた。工事は1970年3月に着工し、軟弱な地盤対策や既に開通していた新幹線の地盤沈下防止対策を取るなどの難工事であり、1971年11月に完成し、12月1日に開業した。
 当社の名前「ESCA」の由来は、E:駅西、S:ショッピング、C:センター、A:アベニューである。開業当初、世の中は高度成長から安定成長への転換期であり、名古屋には松坂屋北館や名鉄セブンなど新たな商業施設は続々と誕生したが、当社のある名古屋駅西口には、エスカ以外の商業施設はまだなかった。
 名古屋駅西口の転機となったのは、1985年の生活創庫アピタ・名鉄ニューグランドホテルの開業であった。生活創庫アピタは若い女性で賑わい、エスカの人出も増加した。更に、1989年に開通した地下鉄桜通線との地下連絡通路の影響もあって、1991年度にエスカ地下街の売上高は過去最高を計上し、1992年度には最高の営業収入を記録した。
 しかし、1993年以降バブル景気が崩壊し、また、1998年の大規模店舗立地法成立により、郊外にショッピングセンターが相次いでオープンし、都心の商業施設は厳しい状況に置かれた。また、名古屋駅周辺では2000年3月にジェイアール名古屋タカシマヤの開業により東口に人が集まるようになり、2003年には生活創庫名古屋駅前店が閉店し、ビックカメラへと変わった。こうした影響を受け、2004年の地下街総売上高は、ピークであった1991年の4割減となるまで長期の低迷時期となった。しかし、この間、ジェイアール名古屋タカシマヤの開業に先立っての大規模リニューアルやディズニー映画とのタイアップなど様々な手をうち、反転を目指した。
 2005年になると、愛知万博開催やセントレアの開業により名古屋への来訪者が増加し、エスカでは名古屋駅からエスカへの誘客のための積極的な広告を展開するなどして、2005年の地下街総売上高は増加に転じた。また、レストランバー「ZETTON」の東京進出から、「名古屋めし」ブームに火がつき、エスカでは名古屋めしは全て味わえるように名古屋めしの飲食店の出店を強化した。特に、矢場とんは本店以外で初めて出店したのがエスカである。通常の地下街は、飲食店は2〜3割程度であるが、名古屋めし路線の強化によりエスカの飲食店売上比率は5割を超えている。
 近年は、名古屋駅周辺に、大名古屋ビルジング、JPタワー名古屋、JRゲートタワーなど超高層ビルが建設され、大規模商業施設・駐車場が新設され競合が激しくなり、また、名古屋めしの競合施設も増加した。しかしインバウンド客は2010年の1000万人から、2019年には3倍に増加し、この取り込みによる売上増加を目指した矢先、2020年初めからコロナの激震に襲われた。2020年度は、前年比で来街者数は42%減、地下街売上高は55%減、駐車場台数は33%減と大きな影響を受けることとなった。昨年秋から徐々に回復してきてはいるが、まだまだ予断を許さない。
 現在は、With/Afterコロナの商業施設のあり方、「モノからコトへ、さらにトキ、イミへ」の消費行動の変化への対応を模索し、従来にはない業態の出店を加速している。最近では、出張者が新幹線を待つ間に利用するシェアオフィスや、コメダ初のテイクアウト店も出店していただいた。
 客層は開業当時とは変わり、ESCAの意味も大きく変わってきている。E:Essential、S:Sustainable、C:Connected、A:Advanced。名古屋でなくてはならない、関わる人と長く豊かに、様々な人とニーズがつながり、時代に合わせ常に進化する街を目指し、夢のある100年企業として、SDGsへの取り組みを行うなど、全てのステークホルダーとの共生、共創を目指していきたい。


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【新会員自己紹介】

写真:鈴木 裕之氏
木曜グループ

鈴木 裕之(すずき ゆうじ)
三菱HCキャピタル株式会社
常務執行役員 中部エリア営業本部長

【三菱HCキャピタル株式会社】
〒460-8407 名古屋市中区丸の内3-22-24 名古屋桜通ビル
URL:https://www.mitsubishi-hc-capital.com/

 三菱HCキャピタルの鈴木でございます。
 このたび産業懇談会木曜グループに参加させていただくことになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 弊社の前身であるセントラルリースは、昭和44年中部財界のご支援をいただき設立されました。さまざまな変遷をたどり、昨年4月三菱UFJリースと日立キャピタルがひとつとなり、「三菱HCキャピタル」として新たな一歩を踏み出しました。
 リース会社の枠を超えたアセットビジネスを積極的に展開して、お客さまとともに社会価値を創出することで持続可能で豊かな未来に貢献してまいりたいと考えております。
 私は福岡の出身で縁あってセントラルリースに入社して中部地区にはこれまで通算15年間お世話になっております。
 中部地区のお客さまとのご縁を大切にし、微力ながらお役に立てるように今後とも努力して参る所存でございます。
 何卒ご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。

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【5月度産業懇談会のご案内】

 5月産業懇談会は下記のとおり実施いたします。
 5月18日開催の5月度産業懇談会水曜第1グループにつきまして、全てのグループの皆様にご案内しております。
 定員は引き続き、先着25名を目安に、会場収容人数の50%となるよう運営します。
 何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 会合にご参加いただける際は、マスクのご着用・手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

5月10日(火)
12:30〜14:30

『再生可能エネルギー熱や未利用熱を利用したヒートポンプによるカーボンニュートラルやSDGsに向けた取り組み』(仮題)
ゼネラルヒートポンプ工業株式会社
代表取締役 柴 芳郎 氏

名古屋観光
ホテル
集合・食事
18階 伊吹の間
講演
3階 桂の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

5月18日(水)
12:30〜15:30

『愛知県立芸術大学「法隆寺金堂壁画模写展示館」見学会』

若宮の杜
迎賓館
水曜第2グループ

大倉偉作
香川裕子
高見祐次

5月25日(水)
12:30〜14:30

『日本のドローン産業をめぐる最新動向』
有限会社 舘 専務取締役
一般社団法人国際無人航空機協議会 代表理事
舘 良太 氏

若宮の杜
迎賓館
集合・食事
2階 桜の間
講演
1階 橘の間

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

5月12日(木)
12:30〜14:30

『双日の海外工業団地における“脱炭素”に向けた取組』
双日株式会社
中部地区管掌兼名古屋支店長 高桑 政治 氏
双日株式会社 エネルギー・産業インフラ事業部
担当部長 上原 敦 氏

名古屋観光
ホテル
2階 曙東の間
講演
3階 桂の間

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【6月度産業懇談会のご案内】

 6月産業懇談会は下記のとおり実施いたします。
 定員は引き続き、先着25名を目安に、会場収容人数の50%となるよう運営します。
 何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 会合にご参加いただける際は、マスクのご着用・手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

6月14日(火)
12:30〜14:30

『介護保険制度を持つ日本と韓国、介護保険制度を持たない台湾』(仮題)
東京経済大学 現代法学部 教授
西下 彰俊 氏

若宮の杜
迎賓館
集合・食事
2階 桜の間
講演
1階 橘の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

6月15日(水)
12:30〜14:30

『TSUCHIYA(株)における業務の効率化』(仮題)
TSUCHIYA株式会社名古屋支社
取締役副社長執行役員 河村 亨 氏

若宮の杜
迎賓館
集合・食事
2階 桜の間
講演
1階 橘の間

水曜第2グループ

大倉偉作
香川裕子
高見祐次

6月8日(水)
12:30〜14:30

『徳倉建設、社員を大切にこんなことやってます』(仮題)
徳倉建設株式会社 執行役員
営業本部副本部長 井村 孝一 氏

若宮の杜
迎賓館
集合・食事
2階 桜の間
講演
1階 橘の間

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

6月2日(木)
12:30〜14:30

『くらしの礎を「創る」「担う」「つなぐ」Just For the Earth』(仮題)
JFEエンジニアリング株式会社名古屋支店
理事 支店長 霜 知宏 氏

名古屋観光
ホテル
2階 曙東の間
講演
2階 曙西の間

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.46
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 特別技能講習 』

 桜が咲いて、あっという間に季節が進み、浮かれ気分はどこへやら、私は何年か振りに作業着&ヘルメットのフル装備になることになった。

 一宮にあるコマツの教習所には、朝早くから建築関係の作業者が集まってきた。4月初旬の2日間、春の特別技能講習会があり、これに合格すると建築機材の初めの一歩となる3t以下のショベルカーとトラックショベルの研修終了証が授与される。その資格を取るために、普通自動車免許があればOKということだったので、60の手習い気分でエントリーした。
 資格さえ持っていればワイナリーで何かと都合がよさそうだし、朝早いけど、どうせマスクだし、みんな作業着だしと、早朝5時の起き抜け、シャワーを浴びて化粧もそこそこで現地に向かった。

写真:コマツ教習所

受付を済ませると順に案内されたのは「写真室」!?初日から衝撃的大失敗だ。マスクを外して終了証に張り付ける写真を撮らなければいけなかった。撮影ブースに入って、鏡を見ながらどこをどういじっても「寝ぐせのオバサン」にしか見えない。ま、身分証明書ではないから滅多に人に見せることもないだろうと覚悟を決めてパシャリ。この写真付終了証は更新がないので一生この写真のままだが、逆に一生見ないかもしれないからと仕上がりのことは忘れて教室に向かうことにした。
 受講者は23名。うち女性は私と30代のきれいなお嬢さんの二人。やはり皆さん建築関係の方のようで、新入社員もいれば転職組や技能実習生の外人もいる…そんな構成か。ざっと見て私が最年長。講習は一日目が教室でのテキスト授業8時間、二日目が実技となっている。あらかじめ決められた席に着き、渡されたテキストを見て、本日2回目の衝撃。機械のことなどさっぱりわからん。専門用語もちんぷんかんぷん。なんとなく理解できるのはエンジン回りの(自動車に置き換えられそうなポイント)事ぐらい。これはボケボケ座っている場合でなく、しっかり勉強しないと講習後の試験で自滅する。試験は20問で12点以上が必要なのだという。ある程度出題内容は講義の中で知らされるが、予備知識のない私は丸暗記か内容を頭に叩き込むしかなく、知恵熱覚悟で講習に臨んだ。ところが、これまた気の抜けた話だが、筆記用具を持って行っただけで、メモ用紙もノートもない。カバンの中から、使えそうなレジュメの裏紙を探し出し、一時間終わるごとに、記憶すべきことをメモに書きだす。今まで書いたことのないカタカナや熟語たち…。

写真:ショベルカー1

PC慣れの弊害あるあるで、読めるけど書けない。ずいぶん脳が退化したものだ。また困ったことに担当教官は昔コマツ機材の販売整備をしていた方で、かなり踏み込んだ機械のお話までされるし、ついには「物理の沼」にまで足を突っ込む寸前だった。とにかく覚えて、日も傾きかけるころ試験を受けた。回答は○×方式。帰りがけ答え合わせで私の間違いは2問。ほっと一息つく。
 翌日、近くのコンビニでランチ用に(一日目は仕出し弁当を注文)おにぎりを買い込んで、いざ実践。

 二班に分かれて、ショベルカー、トラックショベル(トラクターのような小型ブルドーザのこと)に交代で乗車することになった。ちなみに、建築機械は細かい分類と正式名称があるが、ここでは省略。敢えてショベルカーとトラックショベルとして体験談をお話ししようと思う。

イラスト:ショベルカー2
ミニショベルは土壌調査用かな

 私たちの班は午前中ショベルカー教習となった。まずはいきなり教官が乗り方の説明とそのコントロール方法を実践して見せて、「では乗ってみましょう」。待て待て、このクラス、初心者の集団のはずなのだが…なぜか皆さん乗りなれているようで、聞けば1度2度、会社で乗り方教えてもらっていたとか、違うタイプの機械の免許はすでに持っているとか…。本当のド素人は私だけのようだった。いざ自分の番になり、多分他の受講者より年の近い教官に「先生、私本当に初めて乗ります。全部細かく指示してください」とお願いし、ショベルカーの運転席に生まれて初めて乗り込んだ。まず困ったのは、シートベルトをすると足が床につかず、ギリギリつま先立ちだ。

ショベルカーの操作ではフットコントロールがないので助かったのだが、左右に伸びたギアが前後左右の微妙な調整を必要とする。多分昔のファミコンとかeスポーツ好きの人には楽勝かもしれない。習うより慣れろというけれど、人数が多いので乗れたのは結局2回。こんなんで合格できるんかいな…??

 昼を挟んで今度はトラックショベル。こちらは自動車の様に足でアクセルを使うので心配したが何とか足は届く。ショベルのギアも右側だけ、前後左右に動かす(そうはいっても簡単ではないけれど)操作で、安心したのもつかの間、運転が結構難しい。左手でハンドルに付いているバーを回しながら走行するのだが、車体が真ん中で切れていて前後輪を真っすぐにするのに一苦労。こちらは何とか3回乗らせていただいた。私が時間を食ったせいでほかの受講生の皆さんにはご迷惑をおかけしたが、でも、みんな上手だからいいじゃん!と開き直り、実習を終える。

イラスト:ショベルカー3
トラックショベルは土壌改良で大活躍しそう

 2日の講習を終えて、晴れて終了証を手にし、どうせろくな写真じゃないからと確認もそこそこにケースに仕舞い、会場を後にする。この2日間、5時起きだったのでワインを我慢し一生懸命早起きをしたので、一人打ち上げは必須。帰宅後早々に家を出て、友人のワインバーでショベルカー話と、いよいよ始まるワイナリー造りへのワクワクをつまみにシャンパーニュを頂く。眞に美味なり。
 次はフォークリフトの免許に挑戦だ!!

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コラム2 【師、曰く】 No.11
コラム【師、曰く】

妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)

 ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメントの応用、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を、今回も一筆。

『 小話 』

 田坂講義では、時折、ウィットに富んだ小話や、皮肉を込めた小話で、日頃のピンと張りつめた空気が和む一瞬がある。

 ローマ帝国の独裁者シーザーと腹心ブルータスが、珈琲の品評をしている。シーザーが一口飲み、通ぶる。「香ばしい香りのブラジルも捨てがたいが、やはり、酸味と苦み甘みのバランスが絶妙なブルーマウンテンだな。お前もそう思うだろう。ブルータス。」 視線を外すブルータス。「違うと申すか!」声を荒げるシーザーに、ブルータスは珈琲を掲げ、「まろやかなコクとほのかな酸味。私の愛する珈琲はこれです!」がっくり膝を落としたシーザーが、最後の一言。「ブルータス、お前 モカ・・・」

 田坂講義は経営者やマネージャー、リーダーの集まり。権力の執行者が集まっている。であるがゆえに、権力の執行者が陥る落とし穴に対して、非常に厳しい。裸の王様という寓話がある。権力の及ぶ従者達は、その目に何も纏っていないと映っても、王が「どうだ、この高貴な私に相応しい衣装は!?」と得意げに尋ねると、「素晴らしいです!」と、忖度し言う他はない。しかし、権力の及ばない町の子供は、「なんで王様は裸なの?」と素直に問う。似たようなアネクドート、小話がある。ある国でクーデターが起こった。新たな独裁者となった者が、民衆が自分を受け容れているのか知りたくなった。そこで、労務者に扮装し、街の映画館に入った処、自分の政権の宣伝広報が流れた。すると、周囲の民衆は皆総立ちして拍手が鳴り響いた。自分はこれ程までに民衆に受け容れられていたのかと、満面の笑みを浮かべ、満足気に周囲を見渡していると、隣に立っていた男が言った。「おい、おっさん、拍手しな。拍手しねえと、殺されちまうぜ。」

 毎年1月に開催される世界経済フォーラム年次総会、ダボス会議。例年参加されていた田坂先生は、2009年、某専制国家元首の基調講演を聴講された。ダボス会議を冠する著書にも記されているが、登壇した姿が、妙に威厳をもたせ、虚勢を張っているように見えたという。一流と目される聴講者は、登壇者が何を話すか以上に、「人物」なのか、はたまた小心者なのか、一挙手一投足を見てじっくり品定めしている。企業の経営者が登壇すれば、その評価で会社の株価まで左右される。登壇者のプレッシャーは並々ならぬもの。専制君主は、自国で演説をぶれば、民衆は皆、本音か否かは別として総立ち拍手する。皆、自分の従僕だという安心感のなかで喋ることができる。しかし、一歩外に出れば、裸の王様なのだ。「おい、おっさん」と言われるかもしれない。ダボス会議では、登壇者は内面の緊張と虚勢、人物の器をシビアに見抜かれる。

 権力の執行者は、「人物」であらねばならない。権力を持とうが持つまいが、市井の私も「人物」に近づくべく、悪戦苦闘しながらも、魂を磨く努力を怠るまい。修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。

写真:名古屋の街並み (名古屋支社からの展望、美しい名古屋の街並みと名古屋城)

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.162
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 月夜の森の梟(ふくろう) 』
小池真理子著・朝日新聞出版刊

 『愛の領分』で第125回直木賞を受賞した夫の藤田宜永を2020年1月に亡くした著者(『恋』で第114回直木賞を受賞)が、2020年6月6日から2021年6月19日まで朝日新聞に連載したエッセイ集です。最後のエッセイ「かたわれ」は次のように終り、50回にわたる連載は幕を閉じました。

 元気だったころ、派手な喧嘩を繰り返した。別れよう、と本気で口にしたことは数知れない。でも別れなかった。たぶん、互いに別れられなかったのだ。
 夫婦愛、相性の善し悪し、といったこととは無関係である。私たちは互いが互いの「かたわれ」だった。時に強烈に憎み合いながらも許し合い、最後は、苔むした森の奥深く、ひっそりと生きる野生動物の番いのように、互いがなくてはならないものになった。「かたわれ」でなければ、そうはならなかった。
 半身として残されることになった私だが、この連載を通し、喪失の哀しみを共有し合える大勢の読者と繋がることができた。稀にみるほど尊い経験だった。

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【お知らせ】

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