産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第222号 2020.11.30 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和2年11月度(第222号) 目次

【2年10月度 4グループ合同懇親会模様】 10月27日(火) 14時00分〜15時30分

【2年11月度 産業懇談会(木曜G)模様】 11月5日(木) 14時00分〜15時30分

【2年11月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 11月11日(水) 14時00分〜15時30分

【12月度産業懇談会について】
【産業懇談会「代表幹事講話」ならびに「新年合同懇親会」開催日程】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.29
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.145
【お知らせ】
【2年10月度 4グループ合同懇親会模様】

テーマ: 『 「笑い」が組織・社内環境を変える 』


日  時:令和2年10月27日(火) 14時00分〜15時30分
場  所:名古屋観光ホテル 3階 那古の間
参加者:52名
スピーカー:
大棟 耕介(おおむね こうすけ)
有限会社 プレジャー企画 代表取締役社長
NPO法人 日本ホスピタル・クラウン協会 理事長
愛知教育大学 非常勤講師

写真:大棟 耕介氏


 今年度の産業懇談会 4グループ合同懇親会は、水曜第2グループの企画で日本最大の道化師集団である有限会社プレジャー企画から、代表取締役社長の大棟耕介氏、クラウンパフォーマーの「とっぽさん」をお招きした。
 プレジャー企画「お絵描き隊」作成による3代表幹事の似顔絵が飾られた受付では、スティルス(足長)で長身となった「とっぽさん」が参加者をお出迎え。到着した参加者は驚きつつも写真撮影に興じ、にぎやかな雰囲気で開会した。
 片桐世話人代表からの大棟耕介氏の紹介に続き、講演が行われた。日本ではクラウン(道化師)はピエロと総称されているが、ピエロは役名の一つ。欧米では憧れの職業として認識されている。ショーにおけるクラウンは、あくまで周りを引き立てる脇役だ。
 大棟氏からは、クラウンに不可欠な2つの要素についてお話があった。アンテナを張り巡らせ、感度高く周りの状況を把握し、主役にとって良い状況をつくりあげていくこと。もう一つは観客にへりくだり、下から持ち上げるように接することで観客を主役にすることである。
 大棟氏はボランティアで入院中の子供達を訪問する「ホスピタル・クラウン」の活動に長年取り組んでいる。闘病生活により心に蓋をしてしまい笑顔を無くしてしまった子供たちがクラウンと接することで笑顔を見せていく様子がDVDで紹介された。全国に活動を展開するため、大棟氏は2006年にNPO法人日本ホスピタル・クラウン協会を設立。今では全国96病院において150名以上の仲間が活動している。コロナにより病院訪問がままならないでいるが、活動を絶やさないために是非、皆様にもご支援をお願いしたい。
(ご参照 NPO法人日本ホスピタル・クラウン協会 http://hospital-clown.jp/

 講演後は、とっぽさんによるパフォーマンスが披露された。マジックに続き、高く積み上げたイスを額の上に載せバランスをとる技や、鮮やかにつくられていくバルーンアート、参加者と一緒に取り組む皿回しなどで会場一体が笑いに包まれた。最後には片桐世話人代表が間に立ち、大棟氏ととっぽさんの息の合ったジャグリング飛び交うパフォーマンスが披露され、会場は大盛り上がりだった。
 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、講演とパフォーマンスのみとし、恒例だった夕食懇親会はやむなく中止としたが、久々に会員が集い、笑い合える楽しい会となった。

写真:4グループ合同懇親会1 写真:4グループ合同懇親会2
写真:4グループ合同懇親会3 写真:4グループ合同懇親会3

 有限会社プレジャー企画は現在愛知県内会場でのパフォーマンスのほか、オンラインサーカスショーにも取り組んでいます。ぜひ皆様の企業でご活用ください!


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【2年11月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 コロナと、コロナ後の名古屋の未来 』


日  時:令和2年11月5日(木)14時00分〜15時30分
場  所:若宮の杜 橘の間
参加者:18名

スピーカー:
藤井 英明(ふじい ひであき)
株式会社ゲイン
代表取締役会長

写真:藤井 英明氏


■OPEN THE DOOR 正しく恐れて活動再開
 ・空気を入れ換えよう → 感染対策はしっかりと
 ・外の景色を見よう  → 正しい知識を得よう
 ・一歩ずつ外に出よう → 閉じこもってばかりもいられない
 ・いつか店を開けよう → 経済を再活性しよう

■活動の経緯(新型コロナウイルスは「怖い」から「賢く付き合う」へ)
 コロナに対する世間の対応に疑問を持っていたところ、同じような考えをお持ちの免疫学者であるペンシルベニア大学准教授の上林拓氏を紹介され、4月から意見交換を始めた。今では名古屋の様々な分野のメンバー18名が毎朝、オンラインミーティングで情報交換を行い、活動の再開に向けて発信を行っている。

■世界のコロナ死亡者ランキング
 人口100万人当りの死亡者数は11月現在、北中南米、欧州が上位10国を占めており、1位のペルーで1075人、10位のフランスで553人となっている。一方、下位10国は東アジアが中心となっている。モンゴル・ラオスは0人、10位のバングラデシュは37人、日本は死亡者数14人で8位となっている。理由は定かではないが、日本を含む東アジア諸国の死亡者数が極端に少ないことは事実である。

■免疫の3原則
 ウイルスによる発症や重症化は免疫機能が健全に働くかどうかに加え、免疫の3原則と言われる「感染時のウイルス量」×「基礎疾患の有無」×「年齢」が関係している。例えば、ウイルスの増加が1日で2倍になると仮定すると、ウイルス取込量が10と1000の場合では1週間後のウイルス量は640と64,000と大きな差になる。手洗いやマスク着用でウイルスの取込量を減らすことは感染予防に有効だ。一方、肺疾患や糖尿病などの基礎疾患を持つ人、高齢の人はリスクが高くなることも事実である。

■新型コロナが収束するには
(1)集団感染による集団免疫の確立
 ウイルスに対する免疫が一番強く備わる方法は自然感染から治癒することである。免疫で守られている人口の割合が高くなると集団免疫を獲得することができる。死亡者数が極端に少ない東アジアでは何らかの免疫を保持しており、集団免疫が確立しているとの見方もできる。
(2)ワクチンによる集団免疫の確立
 ワクチンの開発は副作用など安全性の確立に時間がかかり、短期間でできるものではない。また、自然免疫に比べ効果、持続性は乏しくワクチンを軸とした収束には長く険しい道のりが予想される。
(3)治療薬の開発
 治療薬でウイルスを除去することはできない。治療薬は重症化を和らげる目的で開発されるものである。治療薬を用い、重症化率を低下させながら自然治癒で集団免疫の獲得を目指すのが現実的だ。ウイルスを除去するには、自身の免疫機能で除去するしかない。
(4)完全隔離によるウイルス消滅
 新型コロナウイルスは感染力が高く、既に広域に感染範囲を広げており無症状の感染者が多い事から隔離によるウイルスの消滅は不可能である。コロナの収束に残された道は医療負担を避ける程度に、徐々に自然感染しながら抵抗のある人を増やし、集団免疫を得ることである。

■重症化や医療崩壊のリスクを減らすには
(1)リスクの低いグループと高いグループに分ける
 50歳以下で基礎疾患を持たない、重症化リスクの少ないグループから活動を再開すれば爆発的な感染や医療崩壊を防げる可能性は高い。逆に、60歳以上の高齢で基礎疾患を持ったグループは十分に注意しながら保護、行動していく必要がある。
(2)感染時のウイルス量を減らすため、マスクや手払いなどで防護する
 感染しても軽症で済むように、感染時のウイルス量を減らす必要がある。しかし、過剰なアルコール殺菌はアレルギーなど免疫異常の疾患を引き起こす恐れがある。人間は昔からウイルスと共存している。人が持つ免疫機能を適正に機能させ、抵抗力を下げずに健康を保つには適度なウイルスが必要である。
(3)免疫機能を高めるように、健康的な生活習慣を心掛ける
 免疫機能をしっかり機能させるためには、栄養バランスの良い食生活や適度な運動、十分な睡眠をとるなど、健康的な生活習慣を送るように努力することも大切である。

■日本人の新型コロナウイルスに対する抵抗力
 日本人の感染による死亡者が他国より少ない理由として、日本人のHLA型(ヒト白血球抗原)がウイルスに対する抵抗力を示しているのではないかという説がある。多様性のある欧米人のHLA型に比べ、日本人のHLA型は偏っており、その型が偶然Covid19の抗原に一致した可能性がある。また、普段からマスクを着用する生活習慣がウイルス量を減らすことに影響していると考えられる。マスク常用により肺からの感染が少なく、腸からの感染が多い事も肺疾患の発生率や重症度が低い理由と考えられる。BCGワクチンの非接種国は接種国に比べ死亡率が約3.8倍高いデータがある。何らかの関連性はあるが、今のところ機序は不明である。
 これから毎年3000人超の死者を出すインフルエンザ流行の季節になる。今年はコロナ対策も相まって例年ほどの感染者は出ないのではと思っている。逆に、過度な除菌が定着してしまうと抵抗力が落ち、ウイルスに弱い若者が増加することを心配している。清潔と抵抗力の関係も考えてみる必要がある。


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【2年11月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 苦難のたびに変革を迫られた第一生命の歴史 』


日  時:令和2年11月11日(水)14時00分〜15時30分
場  所:若宮の杜 橘の間
参加者:18名
スピーカー:

写真:渡辺 克久氏

渡辺 克久(わたなべ かつひさ)
第一生命保険株式会社
常務執行役員中部営業本部長

写真:関川 正博氏

関川 正博(せきかわ まさひろ)
第一生命保険株式会社
中部法人営業部部長


■第一生命の信念
 当社は皆様に保険金をお支払いすることをお約束している保険会社として創業118年になる。保険契約には保険金が支払いできない免責事由がいくつかあるが、当社は「戦争その他の変乱」、「地震、噴火または津波」の事由で一度も免責を行使したことがない。
 日本を襲った関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災-、これらの発生当時、奇しくも当社社長が生命保険協会長の職を担っていた。そしていずれも、保険金支払いをいち早く宣言、保険金支払いを実行した。

■相互会社第一生命の誕生
 第一生命の創業は明治35年9月(1902年)。利益至上主義の生命保険会社が続々と誕生しては潰れる当時の状況を憂慮した矢野恒太が、利益を目的としない会社組織である日本で最初の相互会社として創業した。矢野は創業当時より「お客様第一主義」を標榜し、「最大の会社たらんとするにあらずして、常に最良の会社たらんとするにあり」を会社の本領とした。
 創業時は借家を社屋として社員10名でのスタートであった。2年後の明治37年(1904年)には第一生命にとって最初の苦難である日露戦争が勃発した。創業間もなく、財務的に厳しい状況であり、戦争は免責事由でもあったが、お客様第一主義の信念から業界でいち早く保険金全額支払いを表明した。信用と営業努力により大正10年(1921年)には5大生保の一角に躍進し、京橋交差点に地上7階建ての「第一生命相互館」を設立した。建物の頑丈さ、目立つ外観に加え、日本初の貸し店舗ビルとして話題となった。

■関東大震災と第一生命館の完成
 新社屋完成の2年後に二度目の苦難、関東大震災が発生する。幸いにも社屋は倒壊を免れ、帳票や現金が残っていた。政府から金融機関に「支払猶予令」が出されたが、保険金を速やかに支払うことを決断し、一躍世間の注目を浴びた。この経験から矢野恒太の脳裏に「本社は頑丈足るべし」の考えがインプットされる事となる。昭和13年(1938年)には関東大震災の火災で焼失した警視庁跡地に我が国初の「潜函工法」による地上7階、地下4階の新社屋「第一生命館」が完成した。
 昭和7年には業界第2位となる。業界1位を目指す当時の社長に、矢野は創業時からの本領「最大でなく “最良”を追求する」ことを諭した。
 当時、もう一つ「結核」という苦難があった。矢野恒太は同業の生命保険会社に「日本結核予防協会」の事業に助力を求める活動を行い、自身も医学博士北里柴三郎と「通俗結核予防の心得」を自費出版するなど日本結核予防協会の理事として活動に奔走した。更に、昭和10年には死因の第1位であった結核の予防・治療を行う「財団法人保生会」を設立した。

■太平洋戦争そして第一生命館の接収、高度経済成長・バブル経済へ
 昭和18年、陸軍東部軍管区司令部が社屋の6、7階に入り、屋上には高射機関砲陣地が築かれ高射砲が4門設置された。更に、地下には内閣情報局、内務省防空総本部をはじめ6省の分室が陣取った。当時、第一生命社員による高射砲演習も行われていた。
 原爆が投下された広島では支店長の決断で、契約者の申し立てに対して全て保険金を支払い、残された書類を元に契約者を一軒、一軒周り安否確認、保険を受け取るように案内した。10ヶ月間で処理した件数は東日本大震災時の2倍以上の3233件にのぼった。
 終戦後の昭和20年9月、連合国軍の東京進駐が始まると第一生命館の接収は免れないと判断し、下級士官ではなく司令部に接収される方が望ましいと考え、自ら図面や資料を提出、司令部が接収することとなった。その後、6年10ヶ月にわたりマッカーサー率いる司令部による接収が続いた。マッカーサーが執務を行った部屋、当時の家具は今も本社ビルに残されている。

■相次ぐ生保の破綻、東日本大震災と株式会社化
 戦後の再建から高度経済成長、バブル期(1946年〜1997年)には保有契約高は120億から32兆へ約25,000倍となった。しかし、1996年4月に約半世紀ぶりの保険業法改正が行われた。保険業法改正は保険業界にとっては非常に厳しい影響があり、翌年から次々と生命保険会社が破綻した。新しい保険業法は配当を出す「相互会社」を認めず、つぶれない事が一番重要な事となり、配当よりも内部留保を積むことが重要視されるようになった。第一生命もバブル崩壊を機に縮小する市場に対して「相対優位」だけではなく、持続的な成長を遂げるための大胆な経営改革が必要となった。2010年に株式会社化し、東京証券取引所に上場した。株式会社化には高いハードルがあり、820万名の契約者への説明に加え膨大な社内業務と300億円の費用を要した。
 上場の翌年には更なる苦難、東日本大震災が発生した。今までの苦難を乗り越えた経験を活かし、甚大な被害を受けた5拠点に臨時窓口を設置して安否確認やお見舞い、手続き活動を行った。グループ全体での保全活動には総勢6万人が携わった。全職員が自発的に行動し被災地におられた86万名の顧客の99.99%の安否確認ができた。このことが生命保険事業を行う上で我々の誇りとなり、苦難を乗り越えれば一段の成長ができる事を再確認できた。
 これまでは病気や障害、死亡など何かあった時のプロテクション(保険)が第一生命の役割であったが、これからは健康を維持する、病気にならない、軽症で済ますなどプリベンション(予防・早期発見)の分野にも役割を拡大させ人々のQOL(Quality of life)に貢献をしていきたい。


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12月度産業懇談会について

 新型コロナ感染症が拡大傾向にあり、愛知県においても「厳重警戒」に移行されたことを受けて、座長および主催者判断により、12月度産業懇談会の忘年会は全グループ中止とさせていただきます。
 ご参加予定の皆様におかれましては何卒ご理解くださいますようお願いいたします。

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【産業懇談会「代表幹事講話」ならびに「新年合同懇親会」開催日程】

産業懇談会「代表幹事講話」ならびに「新年合同懇親会」のご案内

 恒例の産業懇談会4グループ新年合同懇親会を、下記の通り開催いたしますのでご案内申し上げます。
 盛田 淳夫 筆頭代表幹事からご講話をいただくとともに、親睦を深める機会として、合同懇親会を開催いたします。
 さらに、産業懇談会は、令和3年(2021年)に設立40周年を迎えることから、記念セレモニーも企画しております。
 今回はコロナ感染拡大回避の観点から、産業懇談会の会員に限定させていただきます。
 なお、感染状況により、開催方法を変更することがありますことをお含みおきくださいますようお願い申し上げます。

日時 令和3年1月15日(金)17:30〜20:00
              17:30〜18:30 盛田 淳夫 筆頭代表幹事 講話
              18:45〜20:00 新年合同懇親会(着席)
場所 ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋
講演・懇親会:7階 ザ・グランコート
ご講話演題 「コロナ禍の創業100周年に想うこと〜過去・現在、そしてこれから」
本状ご案内先 代表幹事および産業懇談会会員の皆様

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.29
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 長崎は晴天なり 』

 久しぶりに飛行機に乗って長崎まで出かけた。今年は海外にも行けず、会社で浮かない顔をして仕事をしている姿を、社員が見るに見かねたのか「長崎の現場、様子見に行きませんか?」との気遣い。有り難く頷いて、Go Toトラベルで予定を組んで現地に乗り込んだ。このGo To流行りで飛行機は平日にもかかわらず満席。搭乗時のデイスタンスや機内の換気は徹底しているようだが、降りた後はきっとぐちゃぐちゃな密になるのだろう。実はこの長崎行も現地工場でコロナの発生があって一週間遅れていた。

一抹の不安を感じてはいたが、長崎行き、371便の窓から差し込む朝陽の中に、雲間からいつか見た山の頂が姿を現すと、コロナよりもっと強烈な、昔の記憶が蘇ってきた。そうだ…20年前溶岩ドームが崩れて大きな被害を出した普賢岳、火砕流という言葉を何度となく原稿に書き込んで、その意味を皆が脳裏に焼つけた。噴火の前年には、旅番組で島原特集を組んでいたが、その行程も焼き尽くされて、取材をさせて頂いた現地の方の安否をひたすら願っていた。今のように携帯電話もなければネットもなく、生中継は、中継車から基地局まで何スパンも(経由させながら)電波を飛ばさなければならない。必然スタッフの数は多くなる。あの火砕流を取材していたテレビ制作スタッフと、それを避難させようとしていた現地の消防団員の最後の声が今でも思い出される。そんな思いをよそに、普賢岳の雄姿は朝陽に映えて美しい。自然とは、何とも激しく、優しいものか。

普賢岳と雲海
普賢岳と雲海

 空港に到着すると現地アテンドの運転手と合流。ホテルチェックインまでの時間、市内観光のガイドをしてくれた。長崎に立つ前、友人が「長崎は田舎だから、あまり都会風味を出さない方がいいよ」なんてアドバイスをくれたから、正直に運転手に聞いてみると「いえいえ、長崎は日本初国際都市です。そんな排他的な街ではないですよ。地元の人といっても、今も華僑(華人)が多いですし、遡ればポルトガル人、オランダ人商人がかなりの数日本女性と結婚して子孫を残していますから、私たちのご先祖もよそ者ですわ!」といって一笑した。まあ私の場合、名古屋にいてもよそ者感満載だから、どこに行っても変わりはないけど。

写真2 写真3 写真4
市内にはこの時期でも花が咲き誇り、冬桜も見ごろ

 浦上天主堂からオランダ坂、グラバー邸、めがね橋などお決まり観光コースを一回りしながらも、高台からは社員たちが仕事に励んでいる造船所が見える。過日の日経新聞にも掲載されていたが、造船所では生産ラインを航空機のエンジン製造用に整備し直すための工事が行われている。国内産ジェットが凍結になったとはいえ、そこにはエアバス社のエンジン用ラインを設置することになっているのだそうだ。長崎県には県民の雇用を潤沢に確保できる主だった産業がないので、企業の投資や誘致には県を上げて取り組んでいるという。そういえば空港から市内に入る高速の途中にあるソニーの半導体工場も増設していたっけ。

投資といえば、JR長崎駅前の再開発も進んでいるようで、駅の北側には、ジャパネットたかたの創設者、高田会長が、故郷に錦を飾るべく私財を投じて地元J2サッカーチーム「Vファーレン長崎」のホームスタジアムを建設中だ。2022年には長崎新幹線も開通するというし、これからどんどん賑やかな街になってゆくのだろう…と思っていたら、運転手曰く「長崎新幹線は、きっと間に合わんのですわ」。どうやら福岡から長崎まで延伸する新幹線の線路、途中の佐賀県が難色を示しているらしい。長崎側も、福岡側もすでに線路や駅の建設が進み、つい先日は新幹線の車体や名前「かもめ」まで発表されたというのに。苦肉の策で当分は『佐賀県内は在来線に乗り換える』ことになるらしい。

写真5
本当に走れるのか、かもめ!

何か、どこかで聞いたことが有るような話!?と思って、リニアですったもんだの静岡県民にこの話をすると「佐賀と一緒にしないでください!静岡は新東名の工事で往生した経験があるんです!!」と真顔で怒られた。何事も表裏一体、メリット・デメリットはついて回るものだ。

 夕刻、元気で頑張る社員たちの労いと発注元の皆さんと、お行儀よく会食をし、Go Toの電子クーポンでお得に済まそうと思ったら「すみません、紙のクーポンしか使えません!」よくよく聞くと長崎市内はほとんど電子クーポンが使えないのだそうだ。なんと不便な…でも使わないと勿体ないので、翌日長崎空港で土産物を購入することにした。

 セントレアに戻り、自分の手荷物の多さを改めて実感する。こんなお土産で手がふさがるなんて、まるで海外旅行にでも行ってきたかの様じゃないか…なんてぼやきながら駐車場に向かいつつ、「そっか、長崎も本土じゃないから海外か、海超えてゆくし」などと屁理屈で納得しながら車に乗り込んだ。ここ数日のコロナ事情だと、暫くはまたお出かけもお預けになることだろう。それを思えば間違いなく良い旅だった。市内にワインバーがなかったことを除けば!

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.145
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 あぶない法哲学 』
住吉雅美著・講談社現代新書

 著者は、「法哲学には二つの顔、つまり天子の顔と悪魔の顔がある」と言います。天子の顔とは、憲法や民法などの実定法がより良く正義を実現できるよう改革するための指針を示すことであり、悪魔の顔とは、現行法体系の基礎原理やそれを支えている人間社会の習俗とか常識それ自体を徹底的に疑って容赦なく批判してゆくことだそうです。
 なぜ臓器を売買してはいけないのか? なぜ賭博は犯罪とされるのか? 政府と暴力団は本質的に同じではないのか? なぜクローン人間を作製してはならないのか? などを考えるのは、悪魔の顔のほう。
 「勉強したくない。働きたくない。結婚したくない。子育てしたくない。だけど楽しく暮らしたい」と物心ついた時からそう思っており、自分の研究を「悪ガキ風」と呼ぶこの独身女性法哲学者は、私たちの常識に大きな揺さぶりをかけ、自分の頭で考えることの楽しさを提供してくれています。

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