産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第206号 2019.7.31発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和元年7月度(第206号) 目次
【元年6月度 産業懇談会(木曜G)模様】 6月6日(木) 12時00分〜14時00分
【元年6月度 産業懇談会(火曜G)模様】 6月11日(火) 12時00分〜14時00分
【元年6月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 6月12日(水) 12時00分〜14時00分
【名古屋いちばん物語】 No.122
【新会員自己紹介】
伊藤 通康氏

株式会社ジェイエイシーリクルートメント 名古屋支店 部長

牛込 進氏

株式会社TYK 代表取締役会長

久保園 浩明氏

シーキューブ株式会社 代表取締役社長

高木 克之氏

株式会社NTTドコモ 執行役員東海支社長

山本 嘉明氏

三菱オートリース株式会社 取締役専務執行役員 中部営業本部長

【産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会のご案内】
【9月度産業懇談会のご案内】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.13
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.129
【お知らせ】
【元年6月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 ジョン万次郎 』


日  時:令和元年6月6日(木) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 楠の間
参加者:49名

スピーカー:
中濱 京(なかはま きょう)
ジョン万次郎直系5代目

写真:中濱 京氏


 木曜グループ例会では、日本人として初めてアメリカの地を踏み、その後の日米関係にも大きな影響を与えたジョン万次郎こと中濱万次郎、その直系五代目にあたる中濱京氏をお招きして、その生涯についてお話をいただいた。

■遭難、そしてアメリカへの上陸
 ジョン万次郎こと中濱万次郎は、1827年に四国の足摺岬のそば、中濱で貧しい漁師の次男として生まれた。14歳の時、漁師として雇われて仲間と共に漁に出たことで波乱万丈な人生が始まる。近海で漁をしていた所を突然の嵐に襲われ、黒潮に乗って6日間漂流した後、万次郎たちは太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着、そこで過酷なサバイバル生活を送ることになる。火打石も、釣り道具も失ってしまった万次郎たちは、島にいたアホウドリを捕まえ、生で食べたり、天日干しにしたものを食べたりして飢えをしのいだ。そして漂着から143日後、たまたま食料となるウミガメを探しに島に立ち寄ったアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって、万次郎は仲間と共に助けられることとなる。そしてこの出会いが万次郎の人生を大きく変えた。
 船長ホイットフィールドは、万次郎を除く4人をハワイで降ろしたが、万次郎の事をとても気に入り、アメリカでの教育を申し出る。好奇心旺盛な万次郎はこれを受け、船長とともにアメリカへ行くことを決断。万次郎は日本人として初めてアメリカ本土へ足を踏み入れた。なお、ジョン・マンという愛称は、ジョン・ハウランド号にちなんだもので、万次郎は日本では中濱万次郎、アメリカではジョン・マンとしての署名を残している。ジョン万次郎という名前は、井伏鱒二氏の直木賞受賞作品「ジョン万次郎漂流記」から広がったもので、実は、万次郎自身はジョン万次郎という名前を使ったことはなかった。  

■アメリカでの生活
 異国の地アメリカへと渡った万次郎は、ホイットフィールド船長の住むマサチューセッツ州フェアヘーブンで共に暮らした。船長は万次郎をわが子のように可愛がり、小学校だけではなく高等学院にも通わせた。そこで万次郎が学んだ航海術、測量術、高等数学がその後どれだけ役立ったかは計り知れない。また日本人である万次郎を受け容れる教会を探し、宗派を変えてまで万次郎を教会に連れていった船長の行動にその隣人愛を感じる。その後、万次郎は祖国日本への思いが募り、ついに苦渋の決断で船長と別れ日本近海で捕鯨をするフランクリン号に乗船。万次郎は船乗りとして活躍し副船長の立場にもなるが、日本への帰国を決意する。そして、帰国資金を得るためにゴールドラッシュで沸くカリフォルニアへと向かう。金鉱で資金を得た万次郎は、ハワイの漂流仲間のもとへと向かい、日本に向けての出航の準備を進めた。当時の日本は鎖国中で、帰国できたとしても命の保証はなかったが、母に会いたいと、アメリカ文化を日本に伝えたい、そして何よりも自分は日本人であり、例え死罪になったとしても日本に帰りたいという強い思いが万次郎に帰国を決意させた。  

■日本への帰国 日米の架け橋としての活躍
 万次郎たちは薩摩藩領の琉球に上陸、万次郎達は薩摩藩や長崎奉行所などで長期に渡っての尋問を受け、帰国から約2年後の1852年にやっと故郷へ帰ることができた。これは異例ともいえる長期間の取り調べで、万次郎たちは大変な危険人物、或いは重要人物として扱われていた。土佐藩では進歩的だった当時の藩主・山内容堂の命により、公式な記録として「漂客談奇」が、また漂流から米国などでの生活を経て帰国するまでをまとめた「漂巽紀略」が記された。「漂客談奇」は藩の上層部の必読書とされており、土佐の人々の目を海外に向けさせた啓蒙的な意義が大きい。のちに明治維新で活躍する人々を土佐から輩出することにもなり、山内容堂の先見の明は正しかった。
 故郷・中濱へと戻ったのもつかの間、1853年にはペリーの黒船艦隊が来航し、万次郎はアメリカ事情を詳しく知る唯一の人物として、幕府に招聘されて江戸へと向かい、ペリー来航の目的や、アメリカ事情を伝えることとなる。その際に幕府直参となり、中濱の姓を名乗ることとなるが、スパイ疑惑により万次郎はペリーの通訳からは外され、オランダ語を介しての交渉がされた。その扱いは、アメリカ第30代大統領カルビン・クーリッジの「ジョン・マンの日本への帰国は、アメリカ初の大使を日本に送ったことに等しい」という言葉と対照的だ。その後万次郎は「ボーディッチ航海術書」の翻訳や、英会話辞書「英米対話捷径」という重要な書籍も執筆している。
 また日米修好通商条約の批准のために咸臨丸がサンフランシスコに渡る際には、万次郎は勝海舟や福沢諭吉とともに、通訳として乗り込み、ウェブスターの英語辞書等、非常に重要なものを持ち帰っている。打ち首を覚悟して帰国した万次郎は、漁師から、名字帯刀を許されて武士になり、明治維新に貢献していくことなった。岩崎弥太郎や、森村市左衛門には海外に目を向けるように示唆していたと言われ、船中八策における後藤象二郎や、坂本龍馬にも影響を与えたという。
 日米で波乱万丈な人生を送った万次郎は、1898年、71歳でその数奇な生涯を終えた。  

■ホイットフィールド家と中濱家
 ホイットフィールド船長と万次郎の偶然の出会いから始まった両家の関係は、鎖国や太平洋戦争を乗り越えて続いた。1940年、太平洋戦争の直前にはルーズベルト大統領の命を受けて、ホイットフィールド家4代目のウィラード氏が平和の使節として来日している。また、戦争直後には軍服姿のアメリカ兵が、ウィラード氏の依頼を受けて中濱家の様子を窺いに来ていた。その思いは兄弟の安否を気遣う気持ちと変わりない。万次郎とホイットフィールド船長から教えられることは、人間対人間の愛・友情は、国や時代を超えて不変であるという事だ。170年以上経った今日でも、両家の子孫は強い絆で結ばれ、その友情は多方面に広がっている。これからも両家の関係を大切にし、日米の絆としての情報発信ができればと考えている。  


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【元年6月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 火曜グループで生まれたシナジー効果
                  医療とゴルフのイノベーション 』


日  時:令和元年6月11日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 伊吹の間
参加者:32名

スピーカー:
森田 英靖(もりた ひでやす)
株式会社日本ピーアール 代表取締役

写真:森田 英靖氏


■会社概要
 日本ピーアールは、1970年に父が創業した会社で、来年で創業50年を迎える。まだ映像広告会社が確立していなかった当時、ゼネコンから仕事を頂き、ダム建設時の記録映画の様なものを作っていたと聞いている。家庭用ビデオが普及していなかった1981年に、B to Cの映像ビジネスとしてブライダルビデオ事業を始めるなど、画期的なビジネスをしていた。1991年に名古屋大学の医学部からオペの撮影依頼を受けた際には、学会発表用のコンテンツを表現するためにCGのシステムを導入。まだワープロの時代にCG映像を製作していたのは弊社くらいであろう、当地では稀で先鋭的な会社だと自負している。
 お客様のニーズに対応するために多様な仕事に挑戦し、パンフレット制作、ホームページ制作など事業を拡大。今では映像だけでなく、広告事業全体を扱っている。

■映像広告業界の変化
 映像広告業界の市場規模は、昨年時点で売上1,843億円、対前年134%の成長市場であり、今後も右肩上がりに伸びていくだろう。スマホで動画を見ることが一般的になり、動画広告を見る機会が増えていることが要因だ。
 動画広告の形態も多様化している。YouTubeで言えば、動画を配信するYouTuber(ユーチューバー)の収益構造の基本形は、広告の再生回数を基準にYouTubeから広告収入を得るものだが、昨今では、企業とタイアップした動画を作り、広告塔として生きるユーチューバーも出現。ほかにも、動画配信中にファンがおひねりを投げられる「投げ銭」、月間一定額を支払うスポンサー登録、有料会員登録による有料会員限定コンテンツの提供などの仕組みがある。今や、子ども達があこがれる職業として、プロ野球選手等よりも上位にYouTuberが入っている。
 今後5Gが普及し、さらに自動運転が発達すれば車中は動画コンテンツを楽しめる空間になる。さらに映像広告の市場は拡大していくだろう。

■日本ピーアールの目指す姿・産懇でうまれたシナジー効果
 今現在、我々が取り扱っている広告は、そこまで進化していない泥臭い部分もある。実際の映像制作会社の業態は、テレビ番組制作、広告代理店の下請け、ブライダルの三種類に分けられる。日本ピーアールはこれらの中間に位置し、できるだけお客さまとダイレクトにつながる業態を保つ努力をしている。当社のお客様は、ものづくり市場、建設現場市場、医療市場の3つに分けられる。
 ものづくりのお客様は、製品紹介ビデオや会社案内を製作している。ブラザー工業の事例では、発売前から新しいミシンの売り込み方を企画し、CADデータを預かってCGで動画を製作した。広告の形態として、紙媒体、動画、展示会・・・と提案させていただく内に、業態が広がっていく。建設現場の事例では、山を掘削して高速道路ができていく過程の記録映像や、現場で働く方々の研修用ビデオを作らせていただいた。3つ目の医療市場では、大学病院の発表用の資料制作等のお仕事を頂いている。産業懇談会でのつながりで言えば、尚豊会の与那覇先生にはプレゼン資料、ホームページ、パンフレット制作の仕事を頂いた。
 ありがたいことに産業懇談会のなかでネットワークが築かれ、いろんなシナジー効果がうまれている。もし日本ピーアールでお手伝いできることがあれば(産懇スピーカーのときの資料製作等・・・も含めて)ぜひお声掛けいただきたい。

 産業懇談会でうまれたシナジー効果の事例として、日本ピーアールで制作した資料を使い医療法人尚豊会 理事長・与那覇靖先生から「癌を予防するために」と題したご講演を頂いた。さらに二つ目の事例としてキャリオ技研(株)開発のゴルフパターCAERUSのテレビCMが紹介され、富田世話人からは日本ピーアールに製作依頼し、動画製作した過程についての感想もいただきました。

火曜G写真1 火曜G写真2

与那覇先生による日本ピーアール製の資料でのプレゼン

産懇でシナジー誕生の瞬間!
医療法人尚豊会×キャリオ技研×日本PR


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【元年6月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 能と仏教 』


日  時:令和元年6月12日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 伊吹の間
参加者:37名

スピーカー:
藤井 圓(ふじい えんりゅう)
株式会社玄同鑑定事務所 代表取締役

写真:藤井 圓


■自己紹介
 私は富山の高岡の生まれで、大学入学をきっかけに名古屋に来た。卒業後、就職をしたものの性が合わずに退職、職を変わる中で、善光寺別院願王寺の娘だった妻と出会い、お寺の世界に入ることになった。結婚後すぐに比叡山での修業を受け、「権律師」という資格を取り、中村区の大黒寺で住職を始めた。まだ若かったことから、仕事が住職だけでは寂しいと、当時できたばかりだった不動産鑑定評価を始めた。
 私が住職を務める大黒寺の本尊は三面大黒天といい、三つの顔の内、向って正面が大黒天、右側が弁財天、左側が毘沙門天になっている珍しい大黒様だ。
 三面大黒天は豊臣秀吉の念持仏で、必ず小さい三面大黒天の像を持って戦に臨んだといわれている。真ん中の大黒天からは富や財産、右側の弁財天からは愛、左側の毘沙門天からは勇気をご利益として頂ける非常にありがたい大黒様なので、皆様にもぜひお参り頂きたい。

■仏教の基本的な考え方と「空仮中」
 まず仏教の基本的な考え方として、根本的動機には「死」がある。そもそも釈迦の出家の理由も、「生死」の苦悩から逃れたいというものだった。結局、釈迦は悟りを開くわけだが、簡単に言うと、最終的に死からは逃れられないということが悟りだ。死から逃れられない人生をどうするかという実践哲学が仏教であり、その目標は仏になること。そのために善を行う。釈迦の悟りの核心は「縁起」、縁って起こる、つまり物事の存在は相依相対(相対的)であるということにある。仏教の考え方では、全ては相対的なものであり、自ら単独で絶対的に存在するものではない、すなわち「空」である。物体が確実にそこに存在するという西洋哲学の考え方とは全く異なる。
 天台宗の基本の考え方は「三諦円融」にあり、空仮中(くうげちゅう)で表される。相対的な存在である「空」、現実的世界の「仮」、そして「中」は空と仮の円満なる統一、つまり空にも仮にも偏らないことだとされている。天台宗では、中という立場を非常に重要視しており、比叡山延暦寺にある根本中堂も、物事の根本は「中」であるというところから名前が来ている。空仮中というと馴染みが薄いかもしれないが、序破急や、真行草、守破離といった考え方も、空仮中の考え方から出たものだ。

■能の歴史的な背景 舞台芸術としての勧進能
 能の大成者である世阿弥とその父である観阿弥が所属した結崎座は、大和猿楽四座の一つとして、興福寺・春日大社に所属していた。興福寺における能の歴史は古く、古くは奈良時代に散楽として庶民の娯楽と同時に呪術的な意味合いで行われたものが分離したとされる。興福寺が大和猿楽四座のひとつ円満井座を所有したのは鎌倉時代だった。興福寺では実際に松をバックにして能を上演し、この松(影向の松)を伝って神が降りてくるとされていた。能の舞台の鏡板に必ず松が描かれるのはこれが理由だ。当初の能は、勧進能という形で、寺社の建立、改築などの際に寄付を募るために、入場料を取って公開されていた娯楽としての舞台芸術で、屋外で薪能という形で行われることが多かった。なお、能を大衆に分かり易く演劇化したものが歌舞伎で、演目として重なるものは多い。例えば、歌舞伎の勧進帳は能で言えば安宅になる。

■能と仏教の関係 天台思想の影響
 仏教が能に与えた影響は大きい。基本的にお寺で上演された舞台芸術であることから、そのすべてに仏教思想が現れているが、現存する謡曲約200曲のうち75番は特に仏教色が強い。世阿弥が大成した能の基本的な形を「複式夢幻能」といい、前場では多くの場合は旅の僧などの「ワキ」が、幽霊である里人に会い、土地のいわれや所縁を聞く。そして後場で、当の亡霊が現れて生前の苦しみや思い出を語りつつ舞い、それを僧の読経で鎮めて成仏させるという形を取る。そして成仏するのは人間に限らず、山や川までもが成仏する。一切衆生悉有仏性(すべての生あるものはことごとく仏性を持つ)、草木国土悉皆成仏(草木も大地も成仏できる)という、天台思想の影響が見られる。先般亡くなった梅原猛先生は、能は「天台本覚論」の考え方に基づく宗教劇だとしていた。能には天台宗の総本山である比叡山延暦寺を崇敬した演目もあり、菅原道真の霊を天台座主が鎮魂する「雷電」が特に有名で、これを演じる際には、九州の天神様をお参りすることが演者の責務とされている。

この他にも奥深い能の世界をご紹介頂き、最後には、参加者全員で能の代表的な祝言曲「高砂」を謡いました!


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【名古屋いちばん物語】 No.122

テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第99回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

久屋大通公園:小袖川と久屋町

 久屋大通公園・北は外堀通、南は若宮大通へ約2kmにわたる都市公園で、名古屋市のシンボルロード100m道路です。現在、北エリアとテレビ塔エリアの再整備を進めており、2018年、三井不動産を代表とする企業グループが事業者に決まり、全国初の「Park-PFI制度」による再開発事業がスタート。来年3月のオープンを控え、生まれ変わった市民の憩いの広場への期待が高まっています。

 いまは工事で何もなくなってしまいましたが、今回は、久屋町の昔をお話いたします。
 戦国時代から、泉が湧いていた北端は海抜12m、南のフラリエは海抜6mと大きな谷となっており豊かな小袖川が流れ南の現在のフラリエあたりで精進川に合流していたと思われます。川沿いには街道ができ美濃から三河を結ぶ駿河街道につながる要路であったようです。

住吉の語り部写真1
慶長(1596年)以前の尾張古図(上図):名古屋城は図の北に1610年に建設されました。築城前は那古野の中心・万松寺西に小山があり、南北に小袖川が流れていました。(熱田三六氏提供)

 久屋町の由来は、初代藩主義直がこの町を通った時「この町の名前は、何と呼ぶのか」とお尋ねになった。お供をしていた者が「干物町です」とお答えした。
 「これからますますこの町は繁昌しなければならない。干物町という名前では何か物足りない。今から町名を改めて久屋町にせよ」とおっしゃった。久しく家屋のある町という意をこめて、初代藩主が名づけた町が、久屋町である。(『花の尾張の碁盤割』 P.87より)

 テレビ塔の南には松の木の下に小袖川の由来の看板が地元発展会により立ててありました。
 恋の伝説が残る「小袖懸けの松」です。平家全盛期である平安時代、藤原頼長の長男で太政大臣であった藤原師長は、治承三年の政変とよばれる平清盛のクーデターが起こると、清盛によって井戸田村(現在の瑞穂区)に流されました。師長は、琵琶の名手として知られており、井戸田で琵琶を奏で自らを慰めていたようです。師長町や妙音通の名称由来ともなっています。師長の身辺の世話をしていた娘(井戸田村 横江村長の娘「槐」)と契りあっていましたが、まもなく帰京を許可されます。師長は、土器野里(現在の清須市)まで見送りにきた娘に形見として琵琶の白菊を与えました。娘は後を追おうとしますがそれもかなわず、別れを悲しむあまり、松に小袖を脱いで掛け、与えられた琵琶を抱いたまま、小袖川に身を投げてしまったのです。

住吉の語り部写真2
小袖掛けの松の由来:工事で撤去されましたが、どうなるか?
住吉の語り部写真3
尾張名所図会:小袖塚 川沿い

 1610年名古屋城築城とともに、藤野といわれた台地の山や川が整地され、碁盤割の城下が建設され清須越しという、大都市移転が行われました。

 久屋公園・テレビ塔の北東の足から20mぐらい離れたところに、巻紙を連想させる石碑と、その横の地上には副碑と教育委員会による説明パネルが建っていました。
 「蕉風」とは、松尾芭蕉とその門人によって確立された俳句の作風。俳諧は連歌から生まれ、当初は“洒落”や“滑稽”を主とする言葉遊びでしたが、松尾芭蕉は“さび”を重んじ閑寂で気品高い芸術をめざしました。芭蕉は伊賀上野に生まれ、1684(貞享元)年に伊賀上野から江戸に下る途中名古屋に立ち寄り、名古屋の青年俳人らと連句の会を催して句集「冬の日」(芭蕉七部集の一)を刊行しました。「宮町筋久屋町西入ル南側」の借家に住んだその場所がここです。
 家主は傘屋久兵衛、身元引受人は大和町の備前屋野水で尾張の町衆がスポンサーであったようです。弟子の河合曾良を伴って「奥の細道」の旅に出たのは、この5年後の1689年のことです。発祥碑は俳諧師が持つ「控え帳」をデザインしたもので、「こがらしの身は竹斎に似たる哉」を筆頭にした「冬の日」巻頭の表六句が刻まれています。
(愛知県・発祥の地コレクションHPより一部引用)

 テレビ塔北東・桜通り南にあった菖風発祥の碑、多くの樹木と草花に囲まれた緑の歴史空間がなくなり寂しい限りです。新しい開発でどのようになるか気がかりです。

住吉の語り部写真4
住吉の語り部写真5
葛飾北斎「北斎大画即書引札」名古屋市博物館蔵

 百年余り後には、葛飾北斎も名古屋大好き文化人で、文化9年(1812)の秋、関西旅行の途次、南久屋(現在のラッシク)門人牧墨僊(まきぼくせん)宅に半年ほど滞在しました。その折、北斎が描いたという三百点余りの絵を、永楽屋東四郎(えいらくやとうしろう)が文化11年(1814)に出版したのが『北斎漫画』です。文化14年(1817)に再び来名した北斎は、同年10月5日、本願寺名古屋別院〔西別院〕にて120畳敷(縦約18m、横約11m)の紙に大だるまの半身像を描くイベントを行いました。北斎のスポンサーは斯波氏家臣小林城を治めた牧一族のお武家様であったようです。芭蕉も北斎も尾張藩の文芸への開放政策・出版業育成が逗留のきっかけと思われます。

 江戸時代の町割りでは久屋町は北の外堀通り1丁目より広小路に面する8丁目まで8ブロックありましたが、度重なる町名変更や道路建設のためなくなってしまいましたが、現在南端の8丁目6番地・名古屋中央教会のみ一軒が表示住居として現存しています。

住吉の語り部写真6
「久屋町」唯一の住居表示・名古屋中央教会
住吉の語り部写真7
中央教会から開発工事中の久屋大通公園を望む。緑の大樹がなくなり寂しくなりました。

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【新会員自己紹介】

写真:伊藤 通康氏
水曜第1グループ

伊藤 通康(いとう みちやす)
株式会社ジェイエイシーリクルートメント
名古屋支店 部長

【株式会社ジェイエイシーリクルートメント】
〒460-0003 名古屋市中区錦2-9-27 NMF名古屋伏見ビル10階
TEL:052-857-5221
URL:http://www.jac-recruitment.jp/

 JACリクルートメントの伊藤と申します。
 今回中部経済連合会、専務理事:小川様のご紹介賜りまして令和元年入会させて頂きました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

 弊社は人材紹介会社として特に(1)ミドル層以上のご転職フォロー(2)海外子会社含めグローバル対応が業界1と自負しており得意分野です。加えて下記3点の武器に 企業/求職者との「ご縁とタイミング」を演出しております。

 「両面型」(コンサルタントが企業/求職者の双方を担当)、「専門性」(業界別に担当領域をカテゴライズ)、「規模」(700名以上のプロフェッショナルの経験と知見を有する) 引き続き良いサービスが提供出来ます様鋭意努力させて頂ければ幸いです。
 今後もご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。

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写真:牛込 進氏
水曜第2グループ

牛込 進(うしごめ すすむ)
株式会社TYK
代表取締役会長

【株式会社TYK】
〒507-8607 岐阜県多治見市大畑町3-1
TEL:0572-22-8151(代表)
URL:http://www.tyk.co.jp/

 株式会社TYKの牛込 進でございます。このたび産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくことになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 当社は、鉄鋼用耐火れんがの製造販売をしております。主に機能用耐火物を製造しております。
 代表的な製品として、二次精錬用超高温焼成のマグネシアクロムれんが、連続鋳造用耐火物、流量制御用耐火物、灰溶融炉用レンガと築炉、多方面にわたるセラミックス、及びセラミックスと金属の複合材等があります。
 私は、昭和33年に大学を卒業し、当社に入社いたしました。技術系の学校を出たのですが、まず2年間本社で経理の仕事をし、その後はずっと営業の仕事をして参りました。お陰さまで、広い人脈を築くことができました。
 本業の仕事は景気の波があり、何回も倒産の危機を味わいましたが、今日まで乗り越えて参りました。大学の同窓生が入社してくれたことが、大きな力となりました。現在では、高炉メーカーのある国々にすべて関係させていただいております。
 また趣味として、囲碁、50年続けている登山、仕事も兼ねて世界中を旅行することを楽しみにしております。
 最後になりますが、この会に参加させていただくことで、新たな人の輪を得て、人生をより豊かにしたいと思っております。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

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写真:高木 克之氏
木曜グループ

久保園 浩明(くぼぞの ひろあき)
シーキューブ株式会社
代表取締役社長

【シーキューブ株式会社】
〒460-0018 名古屋市中区門前町1-51
TEL:052-332-8001
URL:http://www.c-cube-g.co.jp/

 このたびシーキューブ株式会社の代表取締役に就任し、ご縁を頂いて中部経済同友会に入会させていただきました久保園浩明です。
鹿児島県の出身ですが、2008年〜2012年の4年間、中部圏で情報通信設備の保守に関する仕事に就いておりましたので、今回が2度目のこの地域での仕事・生活になりました。
 当社は中部圏を中心に、電気通信事業者様の情報通信設備の構築や保守ならびに企業や公共機関のお客様が利用されるICTを活用した情報サービスを提供する会社で、昨年創立65周年を迎えました。
 先の中部圏勤務の頃から、毎年春には中部圏各地の名桜を巡る小旅行を楽しんできました。4年間ではまだまだ回り切れなかったとの思いもあり、より多くの隠れた名桜に巡り合えることを楽しみにしているところです。
 また社会人野球の観戦が一つの趣味でもありますが、この中部圏には多くの企業・クラブチームがあり、毎年の大会予選やオープン戦などで白熱の試合が繰り広げられていますので、トーナメント制での緊迫したゲームの観戦を楽しみにしています。
皆さまと共に中部圏の発展に少しでも貢献していけるよう取組めればと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

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写真:高木 克之氏
木曜グループ

高木 克之(たかぎ かつゆき)
株式会社NTTドコモ
執行役員東海支社長

【株式会社NTTドコモ】
〒461-8565 名古屋市東区東桜1-1-10 アーバンネット名古屋ビル
TEL:052-968-7100
URL:https://www.nttdocomo.co.jp/

 6月18日付でNTTドコモ東海支社に着任しました高木克之と申します。
 このたび谷誠の後任として産業懇談会木曜グループに参加させていただくこととなりました。

 初めての名古屋勤務となりますが、妻が名古屋出身で味噌煮込みうどんなど、名古屋のお料理は大好物です。また、スポーツファンとして中日ドラゴンズや名古屋グランパスの試合をライブで観戦できるのを大変楽しみにしています。

 皆様方のご指導、ご鞭撻を頂戴しながら、少しでも地域のお役に立てるよう努力したいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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写真:山本 嘉明氏
木曜グループ

山本 嘉明(やまもと よしあき)
三菱オートリース株式会社
取締役専務執行役員 中部営業本部長

【三菱オートリース株式会社】
〒460-0002 名古屋市中区丸の内3-22-24 名古屋桜通ビル2階
TEL:052-950-0233 FAX:052-971-6050
URL:https://www.mitsubishi-autolease.com/

 三菱オートリース株式会社中部営業本部の山本でございます。
 この度、6月27日付けで前任の夏目の後任として着任し、後を継いで産業懇談会木曜グループに参加させていただくことになりました。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 弊社は、セントラルオートリース鰍ニ三菱オートクレジット・リース葛yびダイヤモンドオートリース鰍フ3社が経営統合(2009年2月)したオートリース会社で、お客様のニーズに応じ、国産車から外国車まで全自動車メーカーのクルマを扱っています。

 昨今は安全運転、運転者の労務管理や安全配慮義務への社会的要請も高まり、企業の車両管理業務の負担が大きくなっています。弊社はこうした多様化・複雑化するお客様のニーズにお応えすべく、リースというファイナンス機能に加え、車両のメンテナンス管理・自動車事故の削減等によるクルマに関わるトータルコストの削減という「ソリューション機能」をお客様にご提案しています。

 中部地区は、弊社の重要なマザーマーケットです。これからも地域に根差した活動を行い、この地域の発展に微力ながらお役に立てれば思っております。皆様方のご指導、ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。

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産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会のご案内

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。恒例となっております4グループ合同の懇親ゴルフ会を下記のとおり開催いたします。

日時 令和元年8月3日(土) 7:00スタート
場所 木曽駒高原カントリークラブ
対象者 代表幹事、直前代表幹事、常任幹事、監事、産業懇談会会員
(参加者は会員限りとし、代理出席はお断りさせていただきます)
備考 定員に到達次第、募集を締め切りさせていただきます。(※)
ご参加される方には、別途詳細のご案内を送付いたします。
※定員に到達したため、申込みを締め切りいたしました※

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9月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

9月10日(火)
12:00〜14:00

『名古屋駅の開発について』
名古屋ステーション開発株式会社
取締役社長 坂田 一広氏

名古屋観光
ホテル
3階
桂の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

9月25日(水)
12:00〜14:00

『 「The Next Wa-fu」
     〜新たな和風感性の発信〜 』
株式会社ワーロン
取締役社長 渡辺 敬文氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
高見祐次

9月11日(水)
12:00〜14:00

『三井不動産グループのまちづくりと
             中部エリアでの展開』
三井不動産株式会社
中部支店長 村元 祐介氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
吉田憲三

9月12日(木)
10:00〜15:30

『トヨタ博物館 見学会』

名古屋
商工会議所
(バス移動)

※9/12(木)木曜グループ見学会ご参加者の方には別途詳細の案内を送付いたします。

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.13
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 CLOS DE VOUGEOT の夕べ 』

 パンの焼ける匂いで目が覚めた。
 クイーンサイズベッドの傍らには、山のように積んだ飾り枕。
 ああ、昨日夜ボーヌに到着したんだった。今回もまた3泊5日の強行渡仏、しかも今夜、6月15日がシャトーでの8時間にも及ぶ饗宴。そこに出席するため、名古屋での仕事のやり繰りで来る前から結構ぐったりしていた。昨年来ブルゴーニュのシュバリエ本部から、何度か出席の催促があったのを調整不能で断り続け、これ行かないといい加減怒られるかも…、でかなり無理をした。
 毎度の事ながら、一人旅は家を出て現地ホテルに到着するまでにかなりの体力を消耗する。セントレアからANAで成田経由、エールフランスに乗り継ぐというパターンは、お察しの良い方ならお分かりと思うが、成田到着から出発まで猶予は40分しかない。航空会社が違うのでと、国内線で荷物のピックアップなどしてた時には、結構冷や汗もの。なので、セントレアANAカウンターでわがまま言って荷物をパリまでスルーしてもらう。あとは、成田で手荷物だけ持って一旦国内線ゲートを出て、北ウイングの国際線保安検査場にダッシュ、そして一番端っこの搭乗口まで競歩よろしくひたすら歩く。と、搭乗時間10分前くらいにはゲートに到着できる。但しラウンジで一杯飲みたければ、ダッシュあるのみ。今回はANA到着が少し遅れたので、ラウンジは断念し、さっさと飛行機に乗り込んでウエルカムシャンパンを、コップにナミナミ注いでもらう。
写真:招待状
ブルゴーニュ騎士団からの
招待状

 飛行機が滑走路に向かうエンジン音を聞きながら、自分が纏っている鎧を一枚ずつ剥してゆく。これから向かう場所には、どんな肩書もキャリアも、何の武器にもならない。ましてや社会的ステイタスなど無いに等しい私が、屁のツッパリでつま先立ちしたところで、陳腐なだけ。そこで必要なのは「私」というブランドのみ。離陸する飛行機の翼に、脱ぎ捨てたものを全て乗せて吹き飛ばし、「私」を取り戻してゆく。とはいえ、年々衰えるフランス語脳には、かなり不安が付きまとうが…。

 パリの空港でレンタカーをピックアップし、おおよそ400km、ブルゴーニュはボーヌのホテルに向かう。前回同様ナビとの相性は最悪なので、勝手知りたる道と走り出すも、パリを侮っていた。空港はどんどん拡張され、思いもよらない道ができていて、高速入り口まで用もないのにカーゴゲート1・2・3を回ってしまった。そんなことが有るにせよ、私にとってフランスは<楽>なのだ。大体の人が「フランス人は不親切」とか「プライドの塊」とか言うけれど、何故か私の接するフランス人は優しく、とても親切で、その気遣いに常に感謝している。「それは日本人女性がモテるから」なんて言われたりもするが、とりわけ優しいのはフランス人女性なのだ。途中土砂降りの高速を飛ばし、22時近くにホテルに到着すると、美人レセプショニストが「お腹すいてない?」「車はそこに乗り捨てておけばいいから」「部屋に用意してほしいものは無い?」等々おもてなし言葉のシャワーをかけてくれる。「とにかくバーカウンターで一杯飲みたいのです」というと、遅い時間にもかかわらず、あれやこれやワインを抜栓してくれたりする。それは私が余程子供に見えるのか、哀れに見えるのか…なんて捻くれた考えも浮かんだりもするが、ここは素直に感謝なのだ。

写真:オレンジジュースマシーン
愛しのオレンジジュースマシーンハート
 ボーヌの常宿 Le Cepは、17世紀にできた老舗ホテルで、ルイ16世が母親とこの街を訪れたとき、王様の宿にと用意されていたのがhotel dieu(療養施設)と知り、母親のためにちゃんとした宿をと用意したのがこのCepだったという由緒正しいホテル。戦火を逃れ、地震もない場所で、当時の面影もそのままに、調度品も17〜18世紀のもので揃えられている。このホテルを選ぶ理由は2つ。1つには、ブルゴーニュ騎士団の饗宴会場となるClos de Vougeotまでの貸し切り連絡バスが出ること、もう1つは朝食を共にするパートナーが居ること!というと、誰もが「男?」と想像するだろうが実は、この写真のオレンジジュースマシーンハート。注ぎ口にあるレバーを押すと、生のオレンジが上の籠から降りてきて、そのまま皮を割って直生絞りで、出来上がる。なんともラブリーなマシーンで、毎回真ん前のテーブルに座って彼女(マシーンは女性名詞)と共に朝食をとっている。なにせ私が一番好きな食べ物はオレンジで、地球最後の日に食べたいのは何か?と聞かれると、世界で一番美味しいオレンジ!と即答している。出来ることならこのマシーンを家に持って帰りたいとすら思っている、と言い続ければ、いつの日か誰かが届けてくれるのではなんて淡い期待を持っていたりするのだ。
 さて騎士団の饗宴、毎回テーマが設定されているが、今回はワインと宇宙。で、スペシャル叙任に選ばれたのは、ロシア人宇宙飛行士のゲンナジー・パダルカ氏。宇宙滞在記録世界第6位のすごーいスペースマン。私と背中合わせの席だったので、写真をお願いしたら「君は日本人だね、WAKATA君を知っているかい?僕は彼と一緒にミッションをしていたんだよ、よろしく伝えてくれないか?」と頼まれた。若田さんは有名人だから知っているだけなのに…!そこでお願いです。同友会のどなたか、若田光一さんとお知り合いではないですか?パダルカ氏が、このように言っていたとお伝え願いたく。他にも、宇宙絡みのゲストも多数。フランス本国からは、空軍の偉い人やら、航空宇宙局の局長やら。6月の例会は夏休み直前の年間最後の会なので、世界中からバカンスを兼ねて、千人弱のシュバリエたちが集まってくる。なので本部の余興(理事たちが六か国語でコントを披露する)にも力が入っている。内容は「宇宙船Clos du vougeot号にようこそ」。機内安全アナウンスにひっかけて、ウイットに富んだ寸劇が繰り広げられる。悲しいかなフランス語か英語ができないと、全文の理解は難しいが、1フレーズだけ各国語を入れてくれる。自国の言葉が聞こえたら、みな全力で拍手をするのだが、今回日本人は10人足らず、みなさん内容をあまり理解できなかったようなので、日本語が聞こえたときには、一人スタンディングオベーションで、全力で拍手した。会がお開きの時には、本部総裁と幹事長に、いつも日本を気にかけて下さることに謝意を伝えると「本部がどれだけ日本のために楽しい会を催しているか、帰国したらちゃんと皆さんに伝えるように」と、こちらも頼まれた。これなら私にもできるお使いだ。7月の日本総会の折には間違いなくお伝えしようと思っている。

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.129
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 老境まんが 』
山田英生編・ちくま文庫

 老境をテーマにした漫画だけを編集した文庫です。永島慎二「生命(いのち)」・手塚治虫「ブラックジャック―湯治場の二人」・水木しげる「なまけ武蔵―晩年の武蔵」・つげ義春「長八の宿」・白土三平「ざしきわらし」など、名作が一堂に会しています。
 ちくま文庫は、10点以上の漫画文庫を出版しており、山田英生による編集ではこのほかに、書物や書店を扱った『ビブリオ漫画文庫』と貧乏をテーマに取り上げた『貧乏まんが』があります。最近では、石ノ森章太郎の『佐武と市捕物控』シリーズの刊行が始まりました。

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