産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第184号 2017.9.29 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成29年9月度(第184号) 目次
【29年9月度 産業懇談会(火曜G)模様】 9月5日(火) 12時00分〜14時30分
【29年9月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 9月13日(水) 12時00分〜14時00分
【29年9月度 産業懇談会(木曜G)模様】 9月14日(木) 12時00分〜14時00分
【名古屋いちばん物語】 No.101
【新会員自己紹介】
遠山 孝次氏

東洋リース株式会社 代表取締役社長

【産業懇談会4グループ合同懇親会のご案内】
【11月度産業懇談会のご案内】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【保健師からの健康だより】 No.162
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.107
コラム3 【苗字随想】 No.184
【29年9月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 三菱ケミカル(株)四日市事業所 視察会 』


日  時:平成29年9月5日(火) 12時00分〜14時30分
参加者:24名

スピーカー:
横尾 憲二(よこお けんじ)
三菱ケミカル(株)中部支社長


 今回は、三菱ケミカル(株)中部支社長横尾憲二氏がスピーカーを務められ、三重県四日市市にある同社四日市事業所の視察会を実施した。

 初めに、執行役員四日市事業所長の上南善生氏がご挨拶された後、横尾支社長より会社概要のご説明と、四日市事業所総務部の木部慎也グループマネジャーから四日市事業所の概要説明が行われた。
 その後、同社ショールーム「KAITEKI SQUARE Yokkaichi」やカスタマーラボの見学、また、事業所内をご案内いただいた。要旨は以下のとおり。

火曜グループ1
【横尾憲二中部支社長】
火曜グループ2
【上南善生執行役員四日市事業所長】

1.三菱ケミカル(株)および同社四日市事業所 概要
 2017年4月に三菱化学・三菱レイヨン・三菱樹脂の三社を統合し、三菱ケミカル(株)として発足。4支社、7研究所、16事業所で売上高2.4兆円と日本最大の総合化学メーカーである。素材から機能商品まで幅広いフィールドで、社会・環境課題の解決に向けて多彩なソリューションを提供し、KAITEKI※の実現を目指している。
 四日市事業所では、1952年に操業開始、四日市コンビナートに約200万m2の工場を構え、四日市地区の従業員1500人に加え、グループ会社も含めて約3500人が働いている。主な製品概要は、アクリル酸エステルなどの石油化学製品、PET、PBTなどの樹脂製品、タイヤ向けカーボンブラック、エポキシ樹脂、シュガーエステル、Liイオン二次電池用電解液の機能商品などの、幅広いフィールドで事業展開している。

 ※「KAITEKI」とは、「時を越え、世代を超え、人と社会、そして地球の心地よさが続く状態」を表し、環境・社会課題の解決にとどまらず、社会そして地球の持続可能な発展に取り組むことを提案した三菱ケミカルホールディングス オリジナルのコンセプト。

2.KAITEKI SQUARE Yokkaichi(KSY)見学
 三菱ケミカルホールディングスグループ(MCHC)の将来に向けた取り組み、KAITEKIを実現するための最先端技術が、具体的な開発事例とともに紹介されている。
 エントランスゾーンには、MCHCグループが提案する未来の車「APTSIS号」が展示されていた。車体重量は490キログラムと一般乗用車の半分以下で、同グループの技術を総結集し、軽量素材で作られたコンセプトカーである。APTSIS号の前で、記念写真の撮影後、自動車分野を中心としたテーマゾーン、コアテクノロジーゾーン、住環境ゾーンを順に見学。最先端の製品や技術を、実際に手にとりながら体感することができた。

 
火曜グループ3
【APTSIS号】
火曜グループ4

3.カスタマーラボ見学
 お客様とともに新しい自動車部品の開発を行なう狙いで2007年に開設。歩行者保護試験機、マイナス40度から80度という極地から砂漠地域までの環境を再現できる大型環境試験室、多目的成形機などが備えられている。顧客と共同で製品試作を行うための施設であり、こうした摺り合わせ技術が日本のモノづくりの競争力を高めていることを学ぶことができた。

4.四日市事業所内見学
 四日市第1コンビナート(塩浜地区)最大の敷地を占める四日市事業所内を見学。
 巨大なプラント設備や、事業所中に張り巡らされた総延長約200kmの配管、赤白のコントラストが眩しい高さ約180mの煙突をバスから眺めた。
 事業所周辺には多くの民家が隣接していることから、地元との良好な関係を築くことは不可欠であり、同社も地域貢献に取り組み、地域住民との共存共栄に努められているとのことであった。

火曜グループ5


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【29年9月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 認知症と間違われる高齢者てんかん 』

日  時:平成29年9月13日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 2階 曙の間
参加者:25名

スピーカー:
福智 寿彦(ふくち としひこ)
医療法人福智会 理事長・院長

福智 寿彦氏

 今回は、医療法人福智会 すずかけクリニック院長 福智寿彦氏にスピーカーにご講演いただいた。「病気を排除するのではなく、みんなが知恵を出し合って社会生活できるようにするのが正しいありかた」と考え、就労サポートや「パープルデー」をはじめとした啓発活動にも精力的に取り組んでいる。

1.学問としての精神医学
 人間は身体的存在であるだけでなく、心理的・社会的・実存的な存在でもある。したがって身体医学のような科学的、生物学的なアプローチだけではなく、心理学的や文化科学的なアプローチも必要である。精神医学には以下の特徴がある。(1)精神科領域の疾患は原因不明なものが多く、疾患の捉え方が様々である。(2)正常/異常あるいは健康/病的の判断をするときに社会的基準の影響を大きく受け、個人の主義やイデオロギーに左右されやすいため、現代のような価値基準が多様化している時代には判断が難しい。(3)精神障害の治療には社会的存在としての人間性を回復する必要があるため、社会の中での地域医療体系の確立が重要である。

2.精神医療の歴史
 中世においては、悪霊説、瀉血(シャケツ)、シャーマン、魔女狩りのように、病気ではなく悪魔の仕業と捉えられ、癲狂院(テンキョウイン)で鎖に繋いでおくという迫害の歴史であった。18世紀になって初めて、精神障害が病気として見なされるようになり、フランス人ピネルが精神障害者を鎖から解放して精神医療がスタートした。19世紀にはクレペリンやフロイトなどの著名な精神医学者が現れ、統合失調症や躁鬱病の概念や精神分析理論が形成された。1930年代からはマラリア療法や電気けいれん療法などの治療や、1950年代以降にはクロプロマジンの処方など薬物療法の基礎が生まれ、今日の精神療法につながる流れがようやくみられるようになった。
 現代の精神医療で主流となる考えが確立されはじめたのは1963年の「ケネディ教書」以降のことである。この頃から入院医療から地域でのケアへと転換が進み、診療室での1対1の関係から周囲の支えを借りた支援へ移行が進んだ。私たち医者も患者さんの症状だけでなく人生にも注目するようになり、診察室での対話だけでなく生活支援が治療の近道として捉えられてきている。

3.日本における精神医療の現状
 人口に対する精神病床数の推移をみると、年々病床数を減少させている欧米各国に対し、日本は高止まりで圧倒的に多く先進諸国の中でも対応が遅れているといえる。また、日本では他国と比較して圧倒的に入院期間が長いのも特徴で、精神障害に対する社会の受入れに問題があることもその一因と考えられる。なお、日本では自殺者の数が多いことも問題となっているが、自殺者数の推移や原因・動機別年齢階級別自殺者数によると健康問題に悩んで自殺する人の割合が大きい。

4.てんかんとは何か
 てんかんをもつ人の割合は、1人/100人と最も有病率の高い神経疾患のひとつである。てんかんというとけいれん発作をイメージする人が多いかと思うが、てんかんの発作症状には、けいれんを生じる強直間代発作(GTC)のほかにも、ミオクロニー発作、欠神発作、単純部分発作(SPS)、複雑部分発作(CPS)があり、発作といっても多様である。

5.高齢者のてんかん
 子どもがかかる病気というイメージをもつ人も多いが、何歳でもてんかんを発症する可能性がある。特に脳血管障害や神経変性疾患等と関連して、60歳以上ではてんかんの発症率が上昇する傾向にあり、加齢と共にてんかんをもつ人が増加する。高齢で発症するてんかんは、目立たない発作が多く、発作後のもうろう状態が長くつづくため、認知症の症状と間違われるケースが多いのが特徴である。認知症のほかにもてんかんと紛らわしい症状をもつ疾患があり、てんかんと診断するにあたっては発作症状の詳しい観察内容が重要となる。特に発作の映像があればそれだけで診断がつく場合もあり、非常に効果的である。

6.てんかんと社会
 てんかんをもつ人が社会生活を送る上では、運転免許の取得や就労など様々な壁にぶつかることがある。てんかんが正しく社会に認知されていないために生ずる不利益も多く、偏見をどう解消するかもてんかん治療の上で重要な問題と位置づけられており、こうした生活環境の整備がこれからのてんかん治療のテーマとも考えている。

7.てんかん啓発活動 「パープルデー(3月26日)」
 「パープルデー」とはてんかんに対する正しい情報を発信するとともに、紫色のものを身につけることで当事者を勇気づけることを目的とした啓発キャンペーンで、カナダを発祥とし全世界で関連イベントが開催されている。日本でも2015年から取組みが開始され、誰でも気軽に参加できる活動として徐々に賛同の輪が広がっている。


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【29年9月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 井伊直虎、直政の時代 ― 徳川四天王 井伊直政の原点 』

日  時:平成29年9月14日(木) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 2階 曙の間
参加者:44名

スピーカー:
市橋 章男(いちはし あきお)
全国歴史研究会 おかざき塾歴史教室主宰

市橋 章男氏

 今回は、全国歴史研究会 おかざき塾歴史教室主宰 市橋章男氏をお招きし、ご講演いただいた。現在放送中のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」のエピソードや古文書の内容を含め、丁寧に歴史をご解説いただき理解を深めることができた。市橋氏は岡崎で歴史教室を主宰されている。

1.「開国の元勲」―国家を開いた二人の井伊氏
 井伊直政は、家康の天下平定に向けた小牧・長久手合戦・関ヶ原の合戦中の赤備え・赤鬼として知られる侍大将としての軍事的な活躍及び、関ヶ原合戦後の大名仕置、毛利氏・島津氏との交渉など、徳川の外交官としての活躍から、寛永諸家系図伝では「開国の元勲」と評されている。
 一方、井伊直弼も日米修好通商条約調印など、日本の開国近代化を断行した功績、尊王攘夷派を粛清、安政の大獄、井伊の赤鬼、桜田門外の変など歴史上でも有名。国家を開いた井伊直政・直弼の二人は「開国の元勲」に相応しい活躍をしたといえる。

2.井伊家の悲劇
 遠江(とおとうみ)国は、遠州とも呼ばれる今の静岡県西部地方にあたる。井伊家は遠江で平安時代末期からの由緒正しい国人衆(こくじんしゅう)と呼ばれる地頭職にある在地武士であったが、南北朝の争いでは南朝についたため、以降は勢力が衰退。20代目の井伊直平の代より今川氏に服属を強いられ翻弄され続けていた。
 21代目の井伊直宗は今川義元の命で今橋城攻めを行い戦死。臨時当主の直満は武田氏との内通嫌疑により斬死。子の10歳の亀ノ丞も命を狙われたため信州市田郷に隠遁。その後、直虎の父である22代直盛は桶狭間の合戦で戦死。直虎の許嫁であった23代直親も松平元康との内通を疑われて殺害され、井伊家は存続の危機を迎えた。

3.「おんな城主」井伊直虎の誕生
 井伊家の当主が次々と命を落とすなか、次期当主候補の虎松がまだ幼かったため、1565年龍潭寺の南渓和尚の計らいで、当時既に出家していた次郎法師が女性でありながら臨時当主として井伊城を任された。
 井伊谷徳政(借金を帳消しにする令)を巡る今川氏真との支配権争いと家老小野道好との対立の結果、井伊城を一時乗っ取られたが、徳川家康の遠州進攻により小野道好は逃亡、井伊家は存続することができた。
 自らの許嫁と結ばれることが叶わなかった直虎だが、後見人として面倒をみた許嫁の子の虎松(24代直政)は、後に徳川四天王の一人として徳川家康の天下統一に貢献することとなった。


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【名古屋いちばん物語】 No.101


テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第78回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

アメリカ村建設で幻となった白川町

 ―ウィキペディアによれば―
 白川町は「付近を流れていた紫川に由来する。紫川は清流に戻ることを願い、明治に白川と名称を改めている。前身である光明寺町はその名の通り、同名の寺院に由来する町人町であった。また、石切町は南寺町とも称される地域であり、竹藪が開発され元治元年(1658年)に町家となった町であった。明治4年光明寺町および石切町を併せ、愛知郡白川町として成立」と記されています。

 江戸時代初期には、光明寺、塔頭・十王堂、願故院、摂取院、養林寺、壽経寺、誓願寺、西光院・・・と寺町を形成し本町との間・西側に町衆が住んだように思われます。
 紫川に沿った「十王堂」には閻魔大王などが祀られ、参拝や地獄絵解きに多くの町人が集まったといわれています。

地図1
宝暦12年名護屋路見大図より【拡大地図
地図2
白川町・昭和34年左側はアメリカ村【拡大地図
 現在、同地は石切町にちなんでか、「石のまちかど」白川公園のモニュメントとなっています。
 名古屋市は、第2次大戦の空襲で焼け野原となった白川町の各寺院に協力を求め、墓地は平和公園へ、本堂庫裏は市内か周辺へ移転させ、昭和21年に米国進駐軍将校の家族住居『アメリカ村』を建設、同町の殆どが昭和33年末まで接収されることとなりました。返還後、白川通り南は「白川公園」、北地区は民間の旧地主に戻りましたが、都築紡績(株)などの大手企業による開発が進展してまいりました。
 戦後の同町の国勢調査の人口推移表を見ると、昭和25年ゼロ人、アメリカ村米軍家族191人(実際は132世帯といわれています)、昭和30年には3-4丁目を中心に50人、復帰後、昭和40年には58人の住民登録がされていました。そして、昭和42年に新住居表示のもと、すべて栄2丁目となり白川町は消滅しております。
住吉1
白川公園北東角「石のまちかど」
光明寺・塔頭十王堂跡地、
北には紫川の流れ

 返還後の白川町筋の変遷を三蔵通りから南へご紹介してまいりましょう。角の脇田(株)、小島専蔵商店は今も元気に営業、名門(株)森本商店は郊外に移転、中でも岩田和楽器店は尺八、三味線、箏などの専門店として好事家の贔屓があるようで、唯一の木造店舗です。

住吉2
和楽器店・岩田家全景、唯一の木道店舗
住吉3
岩田和楽器店・ショウウィンドウ:三味線・尺八が並ぶ

 角には服部(株)は創業明治35年、歌舞伎幕の製作から始まり、国旗、のぼり、トリバナの扱いでは老舗、日の丸国旗の元祖ともいわれています。おむかえの伊藤内科は伊藤清次先生がお住まいにもなり、地元の町医者として私の両親もお世話になっていましたが、いつぞや診療所も閉鎖され不便を感じております。
 岩田ビルはマドラス・岩田工機・湯ノ島館・岩田産業を経営する岩田グループの本拠。
 他は全てマンション・学校・診療所や駐車場などとなりましたが、大橋大吉さんの裏庭の巨木が本町衆の大店の面影を残しています。また、西脇羅紗店のご邸宅もコインパーキングとなってしまいました。

住吉1
白川通り角:左・伊藤内科、
右・服部(株)元江口さん跡地
住吉5
大橋大吉商店裏庭と倉庫・コインパーキング
 白川町4丁目も様変わり、小間物卸の(株)味岡屋さんはご長男の長崎守利氏が宝グループ会長でもあり、宝不動産の開発による高級賃貸マンション「ルシェット白川公園」が工事進捗中。唯一、人形の守田さんの倉庫が現存、新日本教文さんも老舗となりました。南の花木さんは、本町通りが宝石卸店舗で、公園側がご自宅となっており元名古屋市議会議長斉藤実氏夫人のご実家です。同様に、高取羅紗店のご自宅が現存していますが、今は廃屋のようになっているのが寂しい限りです。
 現在、元白川町は緑いっぱいの白川公園の魅力と都心回帰ブームで、大手の袋物問屋の跡地などを活用して4つの高級マンションの建設が進んでいます。カバンのマツモトさん跡には「プレサンスロジェ白川公園」42戸が完成し、鞄卸の(株)エリットさん跡地「緑と暮らす、栄・私邸」The Gran Alt Sakae(95戸)は来年2月竣工予定、販売も好調で坪単価@300万円を超える価格で完売間近と聞いています。
住吉6
高取さん宅木造住居、
奥は人形の守田さん通用口

 平成26年3月25日中日新聞特集:河村たかし市長と小生の対談
 「さらなる発展を遂げる栄エリア。歩いて楽しく、住みやすい街へ。」の記事をご紹介しますので、ご興味あればご一読いただければ大変うれしく思います。
 昭和25年、人口ゼロ人の焼け野原だった白川公園周辺は、時を経て、都心のオアシスを求めて多くの人が集まる、オシャレで便利な新しい居住地区となりつつあります。歩いても住んでも楽しい栄ミナミの町づくりの成果ともいえるでしょう。

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【新会員自己紹介】

遠山 孝次氏
火曜グループ

遠山 孝次(とおやま こうじ)
東洋リース株式会社
代表取締役社長

【東洋リース株式会社】
〒464-0851 名古屋市千種区今池南29番24号 川島第一ビル1階
TEL:052-744-1125
URL:http://www.toyo-lease.com

 この度、産業懇談会に入会させて頂きました遠山孝次です。
 職業は、自動車リースとエステートリースです。メインの自動車リースでは、メーカーを問わず様々な車種を扱うという強みがあり、国産車から輸入車、またトラック、バス、フォークリフトなど幅広く取り扱っており、保険(損害、生命)の代理店もやっています。ニーズに対し、幅広い提案でお答えできるので、お客様の意向に寄り添えるカーリースを提供しています。
 趣味は、ゴルフ、カラオケ、おいしいお店を探すことで、ゴルフは5年程前から再開し、お店は安くておいしいところが好きです。是非、お誘いいただければと思います。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

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【産業懇談会4グループ合同懇親会のご案内】

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。恒例の4グループ合同懇親会について下記の通りご案内申し上げます。今回は木曜グループの企画により、ジャズピアニスト西嶋 雅子氏をお招きし、ジャズコンサートを開催いたします。
西嶋氏は、中部地区を拠点に国内外でご活躍するジャズピアニストで、今年1月にはBlueNote名古屋でご公演を行われました。当日は、ボーカル、ベース奏者を加えたトリオによる臨場感あふれるジャズ演奏をお楽しみいただきます。
 今回は、産業懇談会活動を広く知っていただくため、中部経済同友会すべての会員の皆様へご案内しております。また、ご家族・ご友人の皆様のご参加も可能です。お誘い合わせのうえ、ぜひ多数のご出席をいただきますようお願いいたします。

西嶋 雅子氏
日時 平成29年10月3日(火) 17:30〜20:00
場所 ウェスティンナゴヤキャッスル 2階 天守の間
TEL: 052-521-2121
会費 お一人 10,000円
(当日、受付にて頂戴し領収書をお渡しします。)
当日の予定
17:00 受付開始
17:30〜18:30 ご公演
18:40〜20:00 懇親パーティー(着席ビュッフェ)

<ご公演者> ジャズピアニスト 西嶋 雅子氏
ボーカル・Juju 菫氏、ベース・徳田 智史氏

(西嶋氏ご略歴)
作編曲・アンサンブル等の総合的音楽を鍵盤楽器中心に学び、11歳でプロのディプロマを取得。ヤマハ音楽院在学中より、コンサート・ブライダル演奏多数。NHK「お母さんと一緒」歌のお姉さんによるコンサートでの伴奏や米国ミシガン州ブルームフィールドでは市創立記念演奏も行う。SKE48専用劇場オープニングセレモニーの楽曲アレンジを担当。トヨタジャズスクウェア2014に出演、メナード美術館にてピアノソロ演奏。2017年1月にはBlue Note名古屋での公演など、中部地区を拠点に国内外でご活躍中。

その他
  • ご出席の場合は事務局へお申込願います。
  • ご家族・ご友人の方にもご出席いただける場合は、お名前とお役職をお知らせ下さい。
  • お申込後のキャンセルは、9月28日(木)までにお願いいたします。それ以降のお取り消しは会費を申し受けますのでご了承願います。
お問い合わせ先 担当:光家・多田 Tel:052-221-8901 FAX:052-221-8925

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11月度産業懇談会のご案内
水曜第1グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

11月14日(火)
12:00〜14:00
竹田印刷株式会社
専務取締役経営統括本部長 井川 誠氏
『竹田印刷93年と自分の64年;そしてNOW』
18階
伊吹の間
水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

11月15日(水)
10:00〜17:30
株式会社ジェイテクト
伊賀試験場(テストコース) 見学会

名古屋
商工会議所
集合
(バスで移動します)

水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

11月8日(水)
12:00〜14:00
サンデン・リテールシステム株式会社
東海・北陸支社長 井上 真純氏
『e-mesh moderno
  〜クラウドベースの温湿度モニターサービス〜』
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

11月2日(木)
12:00〜14:00
有限会社三渓 代表取締役 下村孝爾氏
元 マルサンアイ(株)代表取締役
全国味噌協同組合連合会 元会長 下村 釟爾氏
『お茶に観る四季観』(ご講演・茶会)
*定員30名程度(定員超過の場合は当グループの方を優先とさせていただきます)
*ご参加の方には後日実費を請求させていただきます。
18階
伊吹の間
御嶽の間
<ご参考>
産業懇談会水曜第1グループ (株)ジェイテクト 伊賀試験場(テストコース)見学会

日時:平成29年11月15日(水) 10:00〜17:30(予定)
見学先:株式会社ジェイテクト 伊賀試験場
     三重県伊賀市丸柱2254-1 TEL:0595-42-9020
スケジュール:
10:00
10:00〜12:00

名古屋商工会議所 正面玄関 集合・出発(バスにて移動)
名古屋都市高速・東名阪自動車道(名張経由)で伊賀市内へ

12:00〜13:00 昼食(元祖伊賀肉「森辻」)
13:00〜13:30 移動
13:30
13:30〜14:00
14:00〜15:00
15:00〜15:30
株式会社ジェイテクト 伊賀試験場 到着、視察開始
・概要説明
・試験車両試乗
・質疑応答、記念写真撮影
(※天候等により、内容が変更となる可能性があります)
15:30 現地出発(バスにて移動)
17:30 名古屋商工会議所 到着・解散

(道路事情等によりスケジュールが変更になる場合がございます。)

定員:30名程度(申込多数の場合は水曜第1グループの方を優先させていただきます。)
参加費:バス代等、実費をご請求させていただきます。(費用概算5,000〜6,000円程度)
備考:ご参加いただく方には別途、詳細案内を送付いたします。

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

○メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。

メールマガジンの配信を ○希望しない

○2016年6月24日より、本メールマガジンの運用ルールを明確にさせていただき、本会をご退会された方は自動的に配信を停止させていただくことといたしました。誠に勝手ながら、ご了承くださいますようお願いいたします。
なお本メールマガジンは、中部経済同友会ホームページ「産懇宅配便ポータルサイト」からすべてのバックナンバーをご覧いただけます。ご退会後はウェブ上で引き続き閲覧いただければ幸甚に存じます。

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【コラム】

コラム1 【保健師からの健康だより】 No.162
保健師からの健康だより

株式会社 スズケン
保健師 鳥巣 妃佳里

『 ウォーキングで視力を守りましょう 』

 先日、会社帰りに空を見上げると夕焼けでうすく色づいた空に、いわし雲がたなびいていました。例年であれば9月はまだ残暑が厳しい印象があるのですが、すでに朝晩の風も涼しくなって秋の訪れが感じられます。紅葉にはまだ早いですが、少しずつ外に出かけやすい気候になってきましたね。

 さて、10月10日は目の愛護デーです。オーストラリアのブライアン ホールデン視覚研究所は昨年、「2000年時点では世界人口の22.9%にあたる約14億人が近視(うち約1億6000万人が強度近視)で、2050年には同49.8%にあたる約47億6000万人が近視(うち9億4000万人が強度近視)になる」、つまり50年で近視は約3.4倍(強度近視は約6倍)に増えるという推計を出しています。強度近視は日本国内の失明原因 第5位ですが、2050年には1位になるとも言われています。人は外界からの情報のおよそ9割を視覚から得ているといいますから、とても怖い話ですね。
 近視になる原因には大きく分けると「遺伝」と「環境」の2つがあり、注目されるのは「環境」の影響です。良く知られているところでは、近業(パソコン、ゲーム、スマホ、本などを近くで見てする作業)を長時間行う、あるいは暗いところで行う生活習慣が眼精疲労を引き起こし、近視を進行させます。昨年末、慶應義塾大学の坪田一男教授は「近年、世界的に近視人口が増加しているのは、外にいる時にしか浴びることのできない『バイオレットライト』が不足しているためである」という研究成果を発表しました。バイオレットライトとはブルーライトと紫外線の間の波長をもった、屋外の自然光にのみ含まれる光です。坪田教授の研究チームでは、近視のヒヨコにバイオレットライトを浴びさせると、近視の進行を抑える遺伝子の数値が上昇することを確認したそうです。また人を対象にした研究でも、バイオレットライトを透過するコンタクトレンズ着用者のほうが、透過しないレンズを着用した人より近視の進行が抑制されていること、メガネを着用すると近視が進行することを確認しています。坪田教授は「一日2時間以上、外で遊んでいる子どもは、両親が近視でも近視になりにくいことが知られています。屋外光にのみ含まれるバイオレットライトを浴びている時間の違いだったと考えると説明ができます」とも話しています。バイオレットライトは屋内の照明(LEDや蛍光灯など)にはほとんど含まれておらず、メガネやガラスなどの材質をほとんど通さないため、窓ガラス越しに浴びることもできないので、十分に浴びるためには日中に屋外に出てウォーキングなどで身体を動かすことが効果的、ということです。

 ウォーキングは、従来から言われている生活習慣病、脳血管・心疾患、骨粗しょう症、がん、うつ等の予防だけでなく、近視の進行を抑制することにも役立つようです。大切な視力を守るためにも、気候が穏やかになる秋に向けて、景色を楽しみながらウォーキングを始めてみるのはいかがでしょうか。

明るい屋外で、景色を眺めながらの散策は
こころも目も守ってくれる大切な時間。

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.107
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

あるかしら書店
ヨシタケシンスケ著・ポプラ社刊

 その町のはずれの一角に「あるかしら書店」があります。このお店は「本にまつわる本」の専門店。店のおじさんに「〇〇についての本って あるかしら?」ってきくと、たいてい「ありますよ!」と言って奥から出してきてくれます。今日もあるかしら書店には、いろんな理由で本を探しにお客さんがやってきます。

 このように始まる『あるかしら書店』は、絵本作家のヨシタケシンスケによる大人にふさわしい絵本です。読みながら微笑んでいる自分に気づきます。本を閉じるとそのままでビート板になる『バタ足入門の本』、上巻には上半分・下巻には下半分しか書いてないので2冊並べて同時にページをめくらないと読めない『2人で読む本』、本が四角い理由、読書サポートロボ、・・・。どこからこんなアイデアが湧いてくるのだろうと感心します。

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コラム3 【苗字随想】 No.184
コラム【苗字随想】

片桐清志

「芸名」あれこれ(2)

 前回に続いて、今回もレコード大賞受賞歌手の芸名に注目してみる。
 第16回(S49)に「襟裳岬」で受賞した森 進一の本名は森内一寛(モリウチ・カズヒロ)だ。芸名の名付け親はハナ肇で、苗字の森内から一字、名前の一寛から一字を取り、所属していたナベプロの渡辺 晋を読み替えた合成だ。因みに森内のランキング(須崎)は1791位なのでそれほど珍しい部類ではない。
 第18回(S51)に「北の宿から」で受賞の都はるみの本名は北村春美だ。芸名は本人の出身地京都に因んで京はるみを予定していたが、当時すでにその芸名の歌手がいたため都はるみに急遽変更している。ちなみに「都」も「京」も一字姓が実在し、ランキングはそれぞれ5021位、8554位だ。比較的珍しい部類だろう。
 第20回(S53)に「UFO」で受賞のピンクレディはミーとケイで、本名はそれぞれ根本美鶴代(ネモト・ミツヨ)と桑木啓子(クワキ・ケイコ、芸名:増田恵子)だ。桑木のランキングは5806位だ。第22回(S55)に「雨の慕情」で受賞の八代亜紀(ヤシロ・アキ)の本名は増田明代(マスダ・アキヨ)だ。芸名の八代は出身地の八代(ヤツシロ)市から採っている。
 第33回(H3)に「北の大地」で受賞した北島三郎の本名は大野 穣(オオノ・ミノル)だ。北島は出身地の北海道(北の島)から採っている。余談だがサブちゃんは原 譲二(ハラ・ジョウジ)のペンネームで作詞、作曲活動やシナリオ作家としても活動している。また、昨年は旭日小綬章も受賞している。文字通り歌謡界の大御所だ。
 第34回(H4)受賞の大月みやこの本名は脇田節子だ。芸名の由来はデビュー当時の大阪の有名レコード店「大月楽器店」から採っている。第35回(H5)受賞の香西(コウザイ)かおりの本名は香西香だ。芸名は名前をひらがなにしただけだが、本名は右から読んでも左から読んでも同じ対称型だ。
 第47回(H17)受賞の倖田來未(コウダ・クミ)の本名は神田來未子(カンダ・クミコ)だ。本名の読み方をアレンジし、別の漢字を充当している。第48回(H18)受賞の氷川きよしの本名は山田清志だ。芸名の由来は所属事務所(長良プロ)があった氷川神社から採っている。名付け親はビートたけしだ。
 最近は本名のままの歌手も結構いるが、芸名化の際に本名の片鱗を残したものや、出身地等の地名から拝借しているケースが目立つ。

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【平成29年9月号編集後記】

 お彼岸にかこつけて旧友の墓参に徳山(山口県周南市)へ出かけた。墓参と言えば聞こえは良いが、生前の遊び仲間が集まる口実だ。4年前にも同じような趣旨で遊び仲間で墓参した。その時も故人の奥様を交え墓参後の会食で思い出話に華が咲いた。
 前回の墓参の翌日は、追悼と称して故人(亡くなったのは京大教授時代)が好きだった徳山ボートレース場にみんなで出かけた。参加者のほとんどがボートは初めてだったが、仲間の一人が故人とボート友達だったこともあり参加者の指導役になった。その時に彼が、故人とは「いつか一緒に日本中のボート場(24か所)をすべて回る」約束をしたことを打ち明けた。今回の墓参はその満願成就を墓前に報告したいとの話がきっかけだ。亡くなってもう11年が経過したのに仲間意識が今も続いていることに奥様も驚いていた。
 お彼岸や命日は故人を偲ぶきっかけになる。普段は日常の雑務に忙殺され、受けた恩を忘れて過ごしているが、時には歩みを止めて静かに自分自身の生きざまを振り返るのも悪くない。偲び方、供養の方法は様々だが、今回は期せずして仲間との旧交を温めることができた。これも故人の人徳、功徳だ。
 リタイアしてみると「仲間との交流」の大切さを痛感することが増えた。現役時代はリフレッシュだった遊びが、いつの間にかかけがえのない仲間づくりにつながっていたことを気づかされた。産業懇談会もそんな場になればと願っている。

(片桐)