産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第138号 2013.11.28 発行

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平成25年11月度(第138号) 目次

【25年11月度産業懇談会(水曜第2G)模様】 11月6日(水) 12時00分〜14時00分

【25年11月度産業懇談会(木曜G)模様】 11月7日(木) 11時50分〜15時00分

【名古屋いちばん物語】 No.52
【名古屋いちばん物語】 No.53
【新会員自己紹介】
加藤 祐一氏

NTT都市開発株式会社 東海支店長

【12月度産業懇談会開催日程】
【産業懇談会「代表幹事のご講話」ならびに「新年合同懇親会」開催日程】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【保健師からの健康だより】 No.116
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.61
コラム3 【苗字随想】 No.138

【25年11月度産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 公的年金の概要と改革の方向 』

日 時:平成25年11月6日(水) 12時00分〜14時00分
場 所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
参加者:30名

スピーカー:
森田 直廣(もりた なおひろ)
住友生命保険相互会社 法人総括部
ライフプランセミナー講師
社会保険労務士 1級ファイナンシャル・プラニング技能士

森田 直廣氏

1. 公的年金の概要
 現在の年金制度は昭和61年4月に改正されたものである。我々のようなサラリーマンは「国民年金」と「厚生年金」に加入している。国民年金については、従来の任意加入から強制加入に変わり、サラリーマンの妻(年収130万円未満の専業主婦)も「国民年金」に加入している。サラリーマンとその妻の国民保険料は、厚生年金から一括して支払われている。
 65歳までは厚生年金だけが支給されるが、それは「報酬比例部分」「定額部分」と「加給年金」で構成される。報酬比例部分は在職中の給与の平均と加入期間で計算され、定額部分は給与に関係なく、加入期間で年金額が決まる。これらが支給される年齢は、生まれ年度(当年4月2日〜翌年4月1日)で決まる。ただし、前者は昭和36年度(女子は昭和41年度)以降、後者は昭和24年度(女子は昭和29年度)以降の生まれだと、65歳になるまでは支給されない。加給年金は定額部分の支給が開始されると厚生年金に加算して支給され、定額部分の支給がない人は65歳からの支給となる。
 65歳を過ぎると、「老齢厚生年金」が支給される。これは65歳までの報酬比例部分と同じ金額である。また、定額部分の支給がなくなり、代わりに国民年金から「老齢基礎年金」が支給される。老齢基礎年金は40年加入(最長)で、現在の額は778,500円である。定額部分の金額と比べて老齢基礎年金の額が少ない場合は、その差額分が「経過的加算」あるいは「差額加算」として支給される。

2. 60歳以降働いた場合の年金は?
 60歳以降、厚生年金の被保険者として働いた場合、「年金の基本月額」と「総報酬月額」に応じて、国から支給の年金額(厚生年金基金に加入の場合は厚生年金基金の基本年金)も減額支給される。その削減額については、60〜65歳までと65歳以降で異なる。

3. 繰り上げ受給とは?
 65歳から受給する老齢基礎年金は、請求すれば、60歳から65歳になるまで任意の時期まで繰り上げて受給することができる。繰り上げた場合は、繰り上げ期間1ヵ月当たり0.5%の年金が終身にわたって減額される。例えば、3年繰り上げた場合は、0.5%×(3年×12ヵ月)=18.0%の減額となる。
 生涯に亘る受給額を考えると、76歳8ヵ月よりも長生きするならば、繰り上げ受給を選択しないほうが多くなる。

4. 知っておいた方がいいことは?
 事前に自分の“基礎年金番号”を会社か年金事務所で確認しておく。どこの年金事務所でも教えてくれる。年金手帳を確認して、紛失している場合は年金事務所で再発行の手続きをしておく。
 満50歳以降になると、年金事務所で年金額の概算を教えてくれ、「制度共通年金見込額照会回答票」(金額が打ち出された用紙)も貰える。また、満50歳からは日本年金機構のホームページあるいは本人からの電話でもおおよその年金額を照会できる。
 平成21年4月からは国民年金、厚生年金の被保険者を対象にして、毎年誕生月に「ねんきん定期便」が発行されている。それには、加入期間、見込み額、保険料の納付額、加入履歴、厚生年金の全機関の標準報酬月額・賞与額等、国民の全期間の保険料納付状況が記載されている。

5. 年金改革の方向
 平成24年12月、「社会保障と税の一体改革」がまとめられた。年金分野では、実現した事項、検討課題が掲げられた。
  実現した事項のなかに、「短時間労働者への厚生年金適用拡大」がある。パートやアルバイトの方も厚生年金に加入し、保険料を負担しなければならないようになる。その負担は本人と企業とで半分ずつであり、双方にとって負担になる。また、「年金額特例水準の解消(2.5%の過払)」がある。年金は物価にスライドし、物価が下がれば年金も下がることになっている。しかし、平成12年以降の物価下落に対し2.5%分が引き下げられていない。その分について、今年10月から1.0%下げたが、来年4月に1.0%、再来年10月に0.5%それぞれ下げる。
  実現しなかったことは検討課題となっている。例えば、「第3号被保険者制度の見直し」がある。社会保険は保険料を払って保障を受け、一方で保険料を払えない人は免除するしくみだが、第3号被保険者はこの点がはっきりしない。この第3号被保険者は最近の調査では978万人に上る。自営業者は1,900万人だが、その半分近くに相当する数である。また、「マクロ経済スライドの検討」がある。これは、マクロ経済という言葉とは全く関係がなく、現役世代の給料の伸びや物価の上昇などがなければ、給付を抑制するというものである。「支給年齢の引き上げ」もある。将来、65歳からの支給は難しくなるとも言われている。日本は65歳以上の人が総人口に占める割合が世界一である。米国とドイツは67歳、英国は68歳からの支給である。
  年金制度の改革には財政面の裏づけが必要とされる。5年に1度の年金制度の財政検証が来年実施されるが、その検証結果を踏まえた諸課題の検討が注目される。

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【25年11月度産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 犬山城下町地区 まちづくり事業の視察 』

日 時:平成25年11月7日(木) 11時50分〜15時00分
場 所:犬山城下町地区 本町通り
参加者:27名


 今回の産業懇談会視察会では、名古屋鉄道(株)の協力により「犬山城下町地区 まちづくり事業の視察」を行った。当日は各自が名鉄電車を利用して「犬山遊園」駅に集合した。快速特急に乗れば、名古屋駅から当駅まではわずか27分の所要時間である。集合後、名鉄犬山ホテルにて昼食をとり、犬山市役所、犬山市観光協会、名古屋鉄道の担当者より、それぞれ犬山の観光振興等についてご説明いただいた。
 その後、お笑いコンビ「サムタイムズ」のお二人に城下町の本町通り沿いを案内していただいた。途中、美人すぎる鵜匠の稲山琴美さんのお話も伺うことができた。一旦、犬山城前広場にて自由解散となったが、先のお二人に引き続き案内していただき、犬山城の天守閣に登られる参加者が多かった。
 名鉄犬山ホテルでの、各担当者からの説明要旨は以下の通り。

1. 第5次犬山市総合計画(説明者:犬山市役所 経済部観光課 課長 中村達司 氏)
 犬山市では平成23年度から34年度に向けた12年間の「第5次犬山市総合計画」が始まっている。街づくりの考え方は、(1)暮らしの“ゆとり”をはぐくむまちづくり、(2)地域の“つながり”をはぐくむまちづくり、(3)郷土への“愛着”をはぐくむまちづくり、の3つである。目指すまちづくりの姿は「人が輝き 地域と活きる “わ”のまち 犬山」である。その姿を実現し、まちの活力を維持、向上するために、市内で暮らす居住人口とともに、日常的な観光や日々の通勤・通学などで市外から訪れる「交流人口」の拡大を目指している。
 観光交流人口については、犬山城をはじめ、民間観光・レジャー施設を数多く有し、県内でも有数の観光都市であるにもかかわらず、観光客数は年々減少を続けていた。しかし、近年は観光集客の中心となる城下町地区のまちづくりが進み、名古屋鉄道との連携などにより増加傾向に転じ、平成20 年には年間548 万人にのぼっている。今後は、まちの魅力発信を促進するとともに、本市固有の資源である豊かな歴史・文化、自然を活かした施策展開により来訪者の増加を見込み、平成34 年(2022 年)における観光交流人口の目標を600 万人(現在500万人)と設定している。

2. 犬山キャンペーンの展開について(説明者:犬山市観光協会 事務局 後藤真司 氏)
 名古屋鉄道と犬山市は観光振興でタイアップした「犬山キャンペーン」を展開しており、それによって、復活の足かがりを掴んでいる。キャンペーンの最大の成果は「犬山市が観光地であること」を観光客はもちろんながら、地元住民が認識するようになったことだと思う。
 キャンペーンの原動力は何と言っても、名古屋鉄道の宣伝力である。犬山市単独では到底できないテレビCMや交通広告など、継続的に質の高い宣伝広告をしていただいている。そうした中で、例えば、寂光院というお寺が香嵐渓と並び、愛知県を代表する紅葉の名所として知られるようになった。最近では他府県からバスツアーで訪れる方もいる。また、名鉄さんを通じて、関東や関西でも犬山観光のポスターを掲示していただいている。キャンペーンの効果はマスコミ業界にも波及し、犬山市は従来、東海3県でしか紹介されていなかったが、全国ネットでも取り上げられるようになった。
 犬山城の年間入場者数は昭和の頃、年間40万人ペースを維持していたが、平成に入ってから落ち込み、平成5年頃からは20万人程度で長らく低迷していた。しかし、2007年以降伸びており、昨年は前年比1.5%増の42万7千人であった。城下町へのお客様はさらに増えており、昨年は16.7%も増えている。犬山城は昔から変わらぬ姿であるが、城下町は大きく変わってきている。とにかく、お店の数が増えた。キャンペーンが始まる前は正直言って、シャッター街のようであったが、今では店を出したくても場所がないようになった。電線の地中化工事も進み、景観も良くなった。
 現状は、宣伝が先行し、中身がそれを追いかけている状況にある。今後の課題として、犬山城でのイベントなども積極的に行っていきたい。城下町も同様であり、観光客の期待がどんどん高まる中で、それに答えていく必要がある。

3. 犬山市×名古屋鉄道(説明者:名古屋鉄道株式会社 グループ統括本部 事業推進部 宣伝担当課長 平松大介 氏)
 犬山市は100年前から名鉄沿線の都市として、また観光地として重要な役割を担ってきた。ちなみに、昨年は名鉄犬山線全線開通100周年である。この犬山では、駐車場が混みあうため、車よりも電車でお越しになると良い。電車なら名古屋から30分で来られるアクセスの良さも魅力である。
 犬山には、本物と言える風光明媚や犬山城、茶室如庵という2つの国宝がある。グルメやサービス、おもてなしの面でも本物を提供しようとしている。名古屋鉄道は沿線PRの一環として、平成17年秋から「本物を求めて、週末犬山へ」と題し、ポスター、テレビCM等により犬山観光をPRしてきた。もともとは宣伝主体型で始まったPRだが、それだけでは一過性に終わってしまうし、宣伝が目的となってしまう。
 そうではなく、本来の地域活性化につなげていこうと考え、犬山市と名古屋鉄道がそれぞれの役割を決め、平成19年春から「犬山キャンペーン」をスタートした。犬山の魅力は、駅から徒歩20分圏内に犬山城、城下町などがあり、非常にコンパクトに町歩きが楽しめる。加えて、キャンペーンコンテンツの充実を図っている。皆さんを案内する吉本の若手芸人が人力車を牽いたり、女性の鵜匠がいたり、着物で来られた方々へのサービス提供なども人気を呼んでいる。犬山市が地元地域でのおもてなしを強化し、名古屋鉄道がプロモーションのお手伝いや鉄道輸送を行う。こうした役割分担で、双方がWin-Winとなる活動を  一過性ではなく長く続けていくことが大切であると考えている。


犬山城前で集合写真

散策中

鵜匠さんと集合写真
 

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【名古屋いちばん物語】 No.52


テーマ: 『 尾張名古屋事始(5) 』

ONKネットワーク
加 藤 敏

 この5月に名古屋城本丸御殿の玄関と表書院が先行して復元され一般公開された。近世城郭建築の最高峰といわれるだけに多くの見学者が訪れており、名古屋の新しい観光名所として脚光を浴びている。
 慶長19年(1614)に竣工し、初代義直が春姫としばらく住んだ後は将軍上洛時の専用の御殿となり、秀忠・家光・家茂の3人が止宿している。二条城の二の丸御殿とよく比較されるが、今後復元工事が進み対面所と上洛殿が完成すればその全容が明らかとなる。いずれにせよ名古屋大空襲で焼失して以来の復元となるため、そのグランドオープンが待ち望まれている。
 一方、藩主の居館で政庁となったのは元和2年(1616)に建築された二の丸御殿である。それは本丸御殿をはるかに凌ぐ規模であった。しかし明治になって歩兵第六連隊が設置される際に取り壊され、戦後は名古屋大学の名城キャンパスとしてしばらく使われていた。現在その跡地は二の丸庭園になっており、当時の面影は写真でしか見ることができない。
二の丸庭園の東門を入ると茶店の近くに尾張藩に由緒のある2つの石碑がある。庭園側にあるのが「依王命被催事」であり、西隣りにあるのが「尾張勤王青松葉事件遺跡」である。これらは昭和8年に歩兵第六連隊の青年将校で史家の片桐寿が自費で建立している。しかし「尾張勤王青松葉事件遺跡」のほうは、昭和38年の愛知県体育館建設時に撤去されてから所在不明になっていたため、昭和63年に田中繁男によって現在地に再建されている。2人とも青松葉事件の有縁者のようである。
 義直は駿河時代の大御所家康から直々に儒学や神道を学んだ。学問や芸術そして兵術にも長けており、その人となりは、「学芸」という言葉がふさわしいと評されている。頼宣(紀州)の「聡明」や頼房(水戸)の「武雄」に比べると、文武両道ではあるがアカデミックといえよう。
 義直は先進的な文化政策を取り、家康から相続した「駿河御譲本」約2万点をベースに膨大な蔵書群を形成した。そして儒教思想に基づく『君戒』や『初学文宗』などを著すほか、神道思想に基づく『類聚日本紀』や『神祇法典』、『軍書合鑑』などの史書の編纂にも力を入れた。敬神尊儒の考えに基づく儒学神道の思想の持ち主であることから、勤王思想のルーツと捉える人もいるようである。ただ、「禁中並公家諸法度」によって学問が第一とされ政治の世界から退いていたとはいえ、将軍の権力の上には依然として天皇の権威つまり官位の叙任権が存在していた以上、当時の武家が勤王の考えを持つことは当然のことであった。すでに北畠親房の『神皇正統記』が世にあり、家光も勤王の意思を明確にしていた時代であるから、考えに濃淡はあるにせよ特に義直だけが勤王であったわけではない。
 さて、「依王命被催事」の石碑である。これは”王命によって催さるること“と読まれ、尾張藩”秘伝“の藩訓とされている。それは「尾張勤王青松葉事件遺跡」の石碑とも関係があり、幕末維新期に御三家の尾張藩が反幕の行動をとった根拠として語られているからである。しかし本当にそうなのか。
 この石碑の題目は『軍書合鑑』の中にある。それは本論と17の各論から成り、各論の最後にあるのが「依王命被催軍」である。蓬左文庫で参照したのは天野忠景が宝暦10年(1760)に謹書したもので「軍」となっている。一般には「事」として語られることが多い。そこには、王命軍を動かすには医術と同じく慎重を期すべきだということが書かれており、特に反幕という考えは見当たらない。四代吉通の側近として仕えた近松茂矩が、元文3年(1738)に歴代藩主の逸話集として著した『昔咄』の中でその由来を説明している。それによれば『軍書合鑑』は、神代からの軍術が後世兵家の流弊により不正不義の妄伝となっていることを憂えた義直により、正しい兵法伝書として撰述されたものである。だからそれは本朝の軍術を語っているだけのものである。   
 この題目が新たに注目されたのは吉通の時である。近松の編述による『円覚院様御伝十五ケ条』(円覚院は吉通の法号)の中で吉通は独自の解釈をした。これは兵法や家訓を書いた遺言の藩訓であるが、その家訓の四条で“御三家は将軍の家臣ではなく朝廷の家臣であり、光圀公によればわれらの主君は今上皇帝であって公方は旗頭であるから、不測の変が生じた場合はいつでも官軍に属し朝廷に向かって弓を引いてはならない。”と言っている。吉通も義直が疎略な戦術しか述べていないことは承知の上で、その題目にこそ心を尽くすべきであるとの思いから大胆に解釈している。これをもって御三家でありながらあたかも反幕が藩訓であるかのように様々に脚色されて語られることが多い。しかし同じ家訓の二条では“権現様が辛労により築いた天下は、いかなる大変があっても徳川家がある限り他家へ渡すことがあってはならない”と言っていることを見逃してはならない。そこには徳川家による支配の絶対性が明記されている。だから四条はあくまで二条を前提にして考えなければいけない。
 これが正式に藩に提出されたのは吉通が亡くなってから52年後の宝暦15年(1765)近松69才の時である。吉通からの口伝を記憶を頼りに編述したため覚え違いなどがあると自ら認めていることもあり、その中に義直とは少々違う考えが入り込んでいても何ら不思議ではない。かといって四条だけが独り歩きをして伝えられるのは吉通の思うところではないだろう。
それでは吉通はこの四条で何を言いたかったのか。まさか本気で天皇親政を考えていたわけではないだろうし、150年後に徳川の平和が終焉することを予言していたわけでもあるまい。それは、官位の高い徳川家の優越性を示しながら、他家による政権簒奪を阻止し徳川家の支配を確立するために、将軍家の独善や専横からその支配が揺らぐことのないよう徳川一族の結束を求めたものではないかと考えたい。したがってそれは反幕とは相いれないものである。これに関しては、当時は将軍家に権力が集中し御三家の力が弱体化してきていたから筆頭格の尾張藩が独自性を示すために考え出したものであるとか、あくまで官位制を根拠としたものであり御三家は将軍家の専制化を恐れていただけであって敬幕とは両立するものであるといった傾聴に値する説もある。また井沢元彦氏は『逆説の日本史』の中で、御三家が朝廷側につくという真意はどちらが勝っても徳川の血統は途絶えないからだというユニークな話をしている。しかし歴史の結末はといえば、血統を守ったものの権力は失ってしまったというものである。
 ところで歴代藩主は現実政治の中でどう動いたのか。七代宗春は“御三家とは公方、尾張、紀伊なり”といって吉宗に反駁した。これは宗春の強い政治信念によるものであり、いわば徳川一族内の主導権争いでコップの中の口論のようなものであった。また十代斉朝以降押し付け養子藩主の時代が続いた時には、勤王派の金鉄組が結成され将軍家の方針に反抗した。これも地元藩主の擁立を強く求めたものであり、同じような主導権争いではなかったのか。むしろこの時代は藩訓を伝授する機会さえ失ってしまっていたのである。いずれも藩訓が政治を動かしていたようには見受けられないものばかりである。
 次に藩訓が語られるのは十四代慶勝の時代になってからである。ただ、義直の勤王思想が別の方向に展開していったことを忘れてはならない。

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【名古屋いちばん物語】 No.53


テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第32回 』

料亭蔦茂 主人
深田正雄

栄ミナミは美術の殿堂、画廊巡りを楽しもう!

  栄ミナミ・美術展巡りを楽しんだことはありますか?画廊にも気軽に立ち寄り味わいある粋なデスプレイを満喫してください。美術商スタッフはどなたでも大歓迎、親切に応対され作品の由来や作者の説明を尋ねるのも住吉の街あるきの醍醐味です。
  栄2-3丁目には黒川紀章設計の名古屋美術館、「生活と文化を結ぶ・・」松坂屋美術館の有料で毎月企画展が開催されています。そして、丸栄、三越、松坂屋の画廊ではユニークな個展で絵画を中心に新人発掘にも貢献しております。ナゴヤアートニュース掲載の一般ギャラリー市内48店の中、栄3丁目には11店舗、1・2丁目はそれぞれ3店舗、周辺の4丁目4店、そして、錦3丁目は愛知県立芸術大学サテライトギャラリーなど3店、錦2丁目には日動画廊他1店と半数以上が栄地区に集中しており、文化レベルの高さではないかと自負しております。同リストでは名駅前地区にはデパートの画廊以外にはなく、地域の特徴が感じられます。
  正雄君はお祖父ちゃん(深田良矩)に連れられ、全て無料で楽しめる画廊巡りを子供の頃からお付き合いしており、料亭蔦茂の掛け軸やお道具を購入する様子が思い出されます。
  骨董品屋の集約には2つの理由が、地域では武家の嗜み「茶の湯」が庶民の楽しみとなった事。爺ちゃん曰く、「お茶事の道具屋がぎょうさんでけた、饅頭屋(茶菓子)もたんとあるがや!」。そして、もう一つは、朝日町にあった美術倶楽部が戦災で焼けて、南呉服町に移転したことであるとの事。(名古屋美術倶楽部ホームページ http://www.meibi.or.jp/
  平成17年5月名古屋美術商協同組合員による名古屋美術倶楽部は創立百周年を迎え、各種行事が実施されました。翌年12月には記念誌「名美百年史」が刊行されました。同誌によれば、明治38年5月12日名古屋古物(株)が創立、同43年東区朝日町3-11-2に土地300坪を1979円60銭で取得、(株)名古屋美術倶楽部と名称変更し、本社屋116坪新築を代金15100円にて谷武商店に請け負わせたとの記録があります。その後、隣接地取得、増築し各展示会やお茶会、集会に活用され、昭和20年3月12日の空襲焼失時には633坪であった。
  その後、昭和23年に借地権交換などを経て、現在地、南呉服町2-5に土地358坪と2階木造建物を代金551900円にて購入したとされています。数寄屋造りの料亭のような粋な門構えで、正雄君は「どうして仲居、芸者の出入りがないのか、不思議?」でもありました。
  倶楽部会館では数多くの展示会、お茶会、発表会など開催され、近隣の料亭として蔦茂は出前配達など幅広くご贔屓になっております。五都美術商連合会(東京・大阪・京都・名古屋・金沢美術倶楽部)主催の五都展は日本画巨匠の新作オークションで素人も入札できるとあって、毎年祖父や親父と同行しており、蔦茂の絵画も一部ここで取得していたようです。しかし、殆どが関東・関西勢の落札、名古屋ではメナード野々川さん、ヘラルド古川さん、林テレンプさんの独壇場であった記憶がございます。各美術館のコレクションの多くが南呉服町にある倶楽部会館のご縁ではないかと思っております。
 そして、幾多の増改築を経て昭和54年に竹中工務店請負で現在の鉄筋コンクリート4階建てビルが新築されました。
  ナゴヤアートニュース記載の名古屋美術商協同組合員は栄地区では伊藤美術店、岩勝画廊2店のみですが、ほかに、茶道具・古美術・骨董のウロコヤ、横井商店、天然堂、茶道具商ながさか、長善、長谷川長%ー、古川古美術、前田壽仙堂、美の伊美術品店、日本画・洋画ではマエマス画廊ギャラリーあおい、近現代工芸の玉齋各店が店舗にて個性豊かな展示をされています。メンバー以外の新しいギャラリーも多く、「歩いて楽しい栄ミナミ」に貢献しております。

名古屋美術倶楽部旧社屋(百年史より) 現在の名古屋美術倶楽部

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【新会員自己紹介】

加藤 祐一氏
水曜第2グループ

加藤 祐一(かとう ゆういち)
NTT都市開発株式会社 東海支店長

【NTT都市開発株式会社】
〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦1-10-20 アーバンネット伏見ビル11階
TEL:052-232-1011 FAX:052-232-1012
URL:http://www.nttud.co.jp/

 NTT都市開発株式会社の加藤です。
 この度、前任者の久野を継いで産業懇談会水曜第2グループに参加をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。

 NTT都市開発は、昭和61年にNTTグループ初の不動産会社として設立されました。これまで賃貸事業(アーバンネット)、分譲事業(ウェリス)をコア事業として成長してきましたが、最近は、国際事業、商業事業等、新たなフィールドにもチャレンジをしています。今後も「人」「街」「自然」が調和する快適空間の創造に向けて、お客様、取引先、地域社会の皆様等と一緒になって前進していきたいと思います。

 私は、名古屋勤務は初めてですが、9月に着任して、名古屋駅前地区、栄地区、伏見地区等非常に素晴らしい都市としての広がりがあると感じました。リニア中央新幹線の開業が決まり、ますます発展する名古屋において、これからの街づくりに少しでも貢献をしていきたいと思います。
 家族は群馬におり、単身赴任も初めてです。群馬といえば、草津温泉や伊香保温泉など温泉地が多く、「かかあ天下」と「空っ風」が代名詞となっています。このような世間話ができるように親しくお付き合いをお願いします。

 最後になりますが、産業懇談会の皆様におかれましては、何卒よろしくご指導、ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

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【12月度産業懇談会開催日程】

グループ名 世話人 開催日時 会場
火曜グループ

岡部 聰
深田正雄

12月10日(火)
18:00〜20:00

料亭 蔦茂(余興:幇間・櫻川 直太朗氏)
電話:052-241-3666
名古屋市中区栄3-9-27
水曜第1グループ 落合 肇
飯田芳宏
12月17日(火)
18:00〜20:00
料亭 蔦茂(余興:幇間・櫻川 直太朗氏)
電話:052-241-3666
名古屋市中区栄3-9-27
水曜第2グループ

片桐清志
見祐次

12月11日(水)
18:00〜20:00
名古屋マリオットアソシアホテル
51階 マーキュリー
電話:052-584-1111
名古屋市中村区名駅1-1-4
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助

12月5日(木)
18:00〜20:00

札幌かに本家 栄中央店
電話:052-263-1161
名古屋市中区栄3-8-28(プリンセス大通り・丸栄南)

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【産業懇談会「代表幹事のご講話」ならびに「新年合同懇親会」開催日程】

産業懇談会「代表幹事のご講話」ならびに「新年合同懇親会」のご案内

 平素は産業懇談会の活動にご協力いただき、誠にありがとうございます。
 今回の産業懇談会4グループ新年合同懇親会は、柘植筆頭代表幹事からご講話いただきます。また、年の初めに、産業懇談会メンバーの皆様に親睦を深めていただきたく存じますので、お誘い合わせの上、是非とも多数ご出席下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

日時

平成26年1月21日(火) 17:30〜20:00
               17:30〜18:30 柘植筆頭代表幹事のご講話
               18:45〜20:00 新年合同懇親会

場所

名古屋マリオットアソシアホテル
電話:052-584-1111
講演会:16階 アイリス / 懇親会:17階 ルピナス

ご講話演題 『リニア中央新幹線と鉄道における人材育成 』
懇親会費

6,000円  
※当日、講演会場受付で頂戴いたします。
※講演会のみご出席の場合は会費不要です。

本状ご案内先 代表幹事および産業懇談会メンバーの皆様
事務局連絡先 担当:加藤・山田
電話:052-221-8901
その他 ・食事の手配など準備の都合上、ご出席の場合は同封のFAX用紙で1月10日(金)までに必ずお知らせ願います。(代理出席はできませんのでご留意ください)
・懇親会のお取り消しにつきましては、1月16日(木)までにお知らせください。それ以降にご連絡いただいた場合は、会費を申し受けることになりますので、悪しからず ご了承願います。

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【お知らせ】

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【コラム】

コラム1 【保健師からの健康だより】 No.116
花ちゃんからの健康だより

株式会社 スズケン
保健師 鳥巣 妃佳里

『 うがいの効果は? 』

 寒くて乾燥した季節になると流行してくるのがインフルエンザ、風邪、肺炎などの呼吸器感染症です。最近はテレビ、ラジオ、インターネット、などからたくさんの情報が流れてきますので、一般的な感染予防方法についてはよくご存知の方が多いと思います。そこで今回はその中でも「うがいの効果」にポイントを絞って書いてみたいと思います。

 「うがい」という衛生習慣は日本独自のものともいわれ、世界的にみると呼吸器感染症の予防方法としてうがいをする習慣はほぼないと言われています。そのためうがいの効果についての研究はあまりされてきませんでした。最近では冬場の呼吸器感染症予防としては、予防接種、手洗い、マスクの着用、咳エチケットの普及に重点が置かれています。特にインフルエンザに関して言えば、感染力がとても強く、インフルエンザウイルスがのどの粘膜に付着してから細胞内に取り込まれるまでに20分程度しかかからないため、20分おきにうがいをし続けるのは現実的ではない、との理由で勧められることはなくなっています。
  そんな中、うがいの効果について国内で行われた研究があります。ひとつは京都大学で行われたもので、387名のボランティアを募り「うがいをしない群」「水うがいをする群」「ヨード液うがいをする群」の3群に分けて、風邪の発症の追跡を2ヶ月間したものです。結果は「うがいをしない群」より「水うがいをする群」の方が風邪の発症率が40%低かった、「うがいをしない群」と「ヨード液うがいをする群」の間には差がみられなかった、ということです。もうひとつは浜松医科大学と九州大学の共同で行われたもので、保育園に通う2〜歳の園児約19,000人を対象にした20日間の追跡調査です。一日1回のうがい習慣を持つ子が持たない子に比べて37.5℃以上の発熱を伴う風邪をひきにくくなるかが調査されました。結果はうがいにより発熱の頻度が32%減り、この傾向は年長になるほど高まる(4歳児で54%、5歳児で59%減った)、そして水道水よりも食塩水や緑茶を使うほうがより効果が高かった、ということです。

 どちらも対象は風邪、発熱の予防・抑制効果をみたものですから、インフルエンザに対してのものではありません。ですが、インフルエンザにさえかからなければ風邪や発熱は起こってもいいという人はいないでしょう。そして、風邪や発熱で体力や抵抗力が落ちればその他の感染症にもかかりやすくなります。うがいは特別な準備をしなければできないものではなく、手洗いとセットで行うことを習慣にすれば一定の効果は見込める方法でもあります。日本独自の衛生習慣として定着してきたのには、意味があったということですね。うがいの方法は、以前のコラム(平成24年12月「感染症を予防しましょう」)にも書きましたが、もう一度ご紹介しますので参考にしてください。

<うがいの方法>

  • 水を含んで口を閉じ、両方の頬をふくらませながらブクブクうがいを2回します。(口の中の汚れを洗い流す)
  • 口に水を含んで上を向き、喉の奥の方に水をためて「アー」と声を出しながらガラガラうがいを15秒間します。(声を出して声帯を震わせることで、細菌やホコリがとれやすくなり、奥の方まで洗い流せる)
  • 最後にもう一度、ブクブクうがいをします。

呼吸器感染症の予防には、日頃の衛生習慣が大切で一番の近道!

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.61
コラム【理念経営物語】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 個人情報 ダダ漏れです! 』
岡嶋裕史著・光文社新書

 13のQ&A形式で、個人情報がどうしたら漏れるのか、どうやったら身を守れるのかを解説。携帯も持たない私にも、とても分かりやすい記述。

Q1 会社でアニメのサイトを見ていたら、上司に呼び出されて怒られました。なんでバレたの?――インターネット通信のしくみ
Q3 私物のスマホなら、会社でアダルトサイトを見てもバレませんか?――パソコンがダメならスマホはどうだ
Q5 カラ出張がバレました。なぜでしょう?――デジカメ写真から漏れる個人情報
Q7 貴重な情報をネットに上げてなければ、個人情報の流出に怯えなくてもいいですよね?――ちょっとした情報が牙をむく可能性
Q10 パソコンを廃棄したら中身が流出しました。どうしましょう?――個人情報の流出は、ネットからとは限らない
Q13 こわい話ばっかりで、ネット使うのいやになっちゃったんですけど。やめてもいいですか?――くりかえし、利便性と安全性のトレードオフという話

  携帯を持たない私にとっては対岸の火事と思って読み進むと、紙の書類の取り扱いにも言及してくれています。

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コラム3 【苗字随想】 No.138コラム【理念経営物語】

片桐清志

一字姓について(5)〜一字姓と花〜

 一字姓と色の関係も本当にいろいろだが、一字姓と花も「花いっぱい」だ。これまでにもNo.10(H15年3月号)やNo.75(H20年8月号)からの花シリーズで代表的な花は一度取り上げているが、今回は総バラ的に眺めてみたい。
 ランキング(佐久間 英)で上位に出てくるのは日本の4大姓の一つの橘(タチバナ・キツ)で堂々の409位だ。椿(ツバキ:1039位)、藤(フジ・トウ:1121位)、荻(オギ:2738位)、萩(ハギ:3851位)が4000番内に登場する。日本を代表する桜・櫻(サクラ)や梅(ウメ・バイ)・楳(ウメ・ススキ)や桃(モモ・トウ)や菊(キク)は一字姓ではマイナーだ。
 浄土を連想する蓮(ハス・ナメラ)、清楚な菫(スミレ)、トゲがある野草の薊(アザミ)、早春を告げる蕗(フキ・フキアワセ他)、贈答用の代表格の蘭(ラン・アララギ)などもある。歌謡曲の題にもなった梔(クチナシ)、秋の七草に登場する一字姓では上記の萩の他に葛(クズ・カズラ・カツ・フジ・ツタ他)と薄(ススキ・ウス他)がある。薄の穂も花の変形で、芦(アシ)、葦(アシ)、蘆(アシ)、葭(アシ・ヨシ・アカネ)の穂も、蒲(ガマ・カバ他)の穂もやはり花だ。苗字もいろいろだが花もいろいろだ。残念ながら春の七草に登場する「芹」の一字姓は見当たらなかったが、同じ読み方のセリでは瀬里・瀬利・世利が見つかった。                   
 花よりも実が楽しみなものでは柿(カキ)、栗(クリ)、梨(サワラギ・ミズキ)、李(リ)、杏(アンズ・キョウ・モク・チョウ)、柚(ユズ・ユウ)、棗・棘(ナツメ・イバラギ・バラキ)、槐(エンジュ・カイ他)がある。瓜(ウリ)や蕪(カブラ・ササグリ)も食卓を賑わしてくれる。
 香辛料にもなる蓼(タデ・タテ・リョウ)もあるが、忘れてならないのは稲(イネ・イナ・トウ)だ。苗(ナエ・ミョウ)も穂(ホ)も藁(ワラ)もある。もちろん籾(モミ)も米(コメ・ヨネ・ヨギ)もある。

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【平成25年11月号編集後記】

 先月から今月にかけて、妙なご縁でTVの取材を受けることになった。と言っても産地偽装の謝罪等ではないが、マンションに住む60歳代夫婦で「お片づけ」に手を焼いているお宅という条件で候補に挙がったのだからやはり威張れた話ではない。
 早い話、日ごろから整理整頓ができていないために生活空間が死んでいるお宅へ「お片づけコンサルタント」がやってきて魔法をかけると「ときめきの空間」に変わるというお話だ。そろそろ「終活」の一環で、今までため込んできた諸々のモノを整理しようと考えていたところだったので、「恥」を捨て「この際に」とOKした。
 十数年前までは転勤があり、その都度引っ越しをしていたので自然とモノの新陳代謝ができていた。ところが転勤と無縁になった途端、まるで段々畑を耕すように空間の開拓を始めてしまった。旅行に出かけると記念にと目に留まったモノを買ってくる。洋服も買い足すだけで、以前の服はもう少し着られそうだと残してしまう。我々の世代は、まだ使えるものを捨てることに罪悪感を覚えるので捨てることが下手だ。その結果、何年も使わないまま眠っているモノで空間が占拠されてしまう。
 今回指導に来たコンサルタントの見極めキーワードは「ときめき」だ。誕生日プレゼント等はもらった時にはときめいていても、次の年にはときめきが消えているものも多い。その場合はお役目終了で、思い切って「ありがとう」や「ご苦労様でした」と言ってお別れしましょうと言う。それでも捨てきれない大切なモノは「思い出の品」に分類して保管すればよいと言う。なるほど衣類や置物等はこの判断で相当すっきりした。そうして残したモノは「立てて並べる」が基本で、平積みは原則禁止だ。立てることで何がどこにあるか一目瞭然だし、取り出し易く元に戻し易い。「見える化」の効果だ。
 他にも「なるほど」と気付かされたことが多かった。おかげで肉体的にはしんどかったが、精神的にはすっきりした。何より空間が生き返った。TV収録のチームともすっかり親しくなり、普段は老夫婦だけの家が大勢の若者で溢れ、こちらの気持ちも若返った。このひと月、生まれて初めての経験の連続で、まるで「お祭り」を楽しんだ気分だ。これを機に新たな気分で再出発したいと考えている。

 産業懇談会も最近は現地に出かけることが多くなった。今月も犬山城下町のまちづくりの視察模様が紹介されている。行政と鉄道会社とのスクラムで活気が戻った様子が伝わってくる。今後も会員の協力を得ながらいろんな見学会を企画し、見聞と交流を深めてもらいたいと考えている。12月は恒例の懇親会だ。この一年を振り返り、先ずは親睦を深めてもらいたい。

(片桐)