産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】第90号 2009.11.26発行

 メールマガジン■産懇宅配便■

平成21年11月度(第90号) 目次
産懇宅配便
【21年11月度産業懇談会(木曜G)模様】 11月5日(木) 12時00分〜14時00分
【21年11月度産業懇談会(火曜G)模様】 11月10日(火) 12時00分〜14時00分
【新会員自己紹介】
遠藤 俊也氏

株式会社アイチコーポレーション名古屋支店 名古屋支店長

【12月度産業懇談会 開催日程】
【産業懇談会新年合同懇親会 開催日程】
【お知らせ】
【アートコーナー】    からくりアート点描 No.8
【コラム】
コラム1 【花ちゃんからの健康だより】 No.68
コラム2 【理念経営物語】 No.18
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.13
コラム4 【苗字随想】 No.90

【21年11月度産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ『 名古屋寸史 ―大いなる都をめざして― 』

日  時:平成21年11月5日(木) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 伊吹の間
参加者:22名

スピーカー:
加藤 敏かとう さとし)氏
日比谷総合設備株式会社 名古屋支店
取締役常務執行役員支店長

加藤 敏氏

1. 日比谷総合設備株式会社の概要
  日比谷総合設備は、空調・電気・衛生設備を中心とする建築設備工事会社である。皆さんのご存知のところでは、複雑な構造で苦労はしたが、名古屋駅前のモード学園スパイラルタワーズの工事に関わった。当社の社風は、一言で言えば、真面目。真面目さが、間違いない仕事をできるものと思っている。また、業務内容は、元々、電電公社(現、NTT)の関連業務から始まったため、データセンターとIT関係の割合が高い。前職の電気通信事業とは異なり、現在の建築設備工事業は目に見えるため、仕事の成果を実感できるようになった。社名の「日比谷」というのは、当時、電電公社本社が東京の日比谷にあり、当社もその近隣に所在していたことから、「日比谷総合設備」と名付けられた。東京本社の会社ではあるが、私の出身は名古屋。名古屋を離れた期間は長いが、純粋に名古屋を想う名古屋人という立場で話をさせてもらう。

2. ゆかりの地
  私の出身は、地下鉄高畑駅から歩いて10分程の荒子(中川区)。ここは名古屋の郊外にあって、1921年(大正10年)に名古屋市に合併されたこともあり、昔から荒子に住んでいる人は、東別院や栄辺りへ出掛けることを「名古屋へ行く」と言う。地元の名産には、荒子観音名物「円空 大黒天もなか」「よしだ麺のきしめん」などがある。
  荒子観音は尾張国四観音の一つで奈良時代の天平元年(729年)に創建された。1536年再建された境内の「多宝塔」は市内最古の木造建造物で、重要文化財になっている。ここ荒子観音は、円空仏が1240体あることが有名で、うち1020体が昭和47年に発見された。円空仏は4センチ程の木端仏から、3メートル程の阿吽の仁王像まである。梅原猛氏の『歓喜する円空』を通じて改めて調べると円空は江戸時代、岐阜に生まれ、平安時代の木彫り仏を復活させ、12万体の仏像を彫ったと言われている。そのうち、現存しているのは5千体程。荒子観音、竜泉寺観音(守山区)、地蔵堂(津島市)において、千体規模で保存されているため、名古屋周辺のみで3千体に上ることになる。
 来年(2010年)、荒子観音は恵方(西南西)年にあたるため、節分(2月3日)にはお出掛けいただければと思う。また、荒子は加賀百万石の初代藩主 前田利家の生誕地としても知られている。

3. 名古屋・超400年史
  来年、名古屋は開府400年を迎えるが、意外と名古屋の歴史は知られていない。この間をキーワードのみで年代順に整理すると「清州越」に始まり、「御三家」「芸処」「政治下手」「偉大なる田舎」「トヨタ」「汎太平洋平和博」「東名阪」「オリンピック」「デザイン博」「愛知万博」ではないかと思う。このうち、幾つかをピックアップすると、はじめに、「偉大なる田舎」。特に、今は使われなくなったが、この言葉に、私は嫌な思いをした。これは聞くところによると、名古屋市大合併時(1921年)に、市の面積が4倍以上となり、田園地帯が広がったことに由来するそうである。
  次に、「博覧会」。名古屋では明治以降、博覧会が10回ほど開催され、街の発展に大きく寄与した。最初は、大須のお寺で開催されていたが、徐々に規模が大きくなり、名古屋開府300年を記念した1910年の関西府県連合共進会は鶴舞公園で開催され260万人の入場者数を記録した。また、1937年に開催された汎太平洋平和博覧会では29ヵ国が参加して、480万人が入場した。その後のデザイン博(1989年)、愛知万博(2005年)はご存知のとおりである。
  そして、最後に「御三家」。尾張藩は御三家の筆頭であるが将軍に楯突いたため、7代の宗春後、傍系藩主の時代が続き、尊王思想が強くなった。明治に入り、有名な青松葉事件(1868年)が起こり、有能な官僚が斬首されたことが、尾張藩が明治になり政府の中枢に入れなかったとも言われている。
  宗春は予期せず尾張藩7代藩主となり、当時、幕府が緊縮財政を推し進めるなか、今のマニフェストにあたる『温知政要』で規制緩和や個性尊重を訴えるなど、8代将軍、吉宗に反抗した。このことが失脚の原因ではあるが、『温知政要』により、都市が活性化につながり歌舞伎などの文化が栄え、また、藩主になる前に『温知政要』を公表したことは、近代政治のさきがけでもあり、その功績は大きいものである。

4. 大いなる都をめざして
  このように名古屋の400年を振り返ると、最初の260年は江戸時代。7代尾張藩主、宗春までの前半130年は人の賑わいを目指した華やかな街であったが、後半、宗春失脚以降の130年は賑わいのない街となった。続く、明治時代に入って、東京に従順になり、「人」から「もの」の賑わいを目指してそれなりの成功をした。
  しかし、これからは、東京を真似るだけではなく、もう一度、宗春の思想に立ち返り、「ものの賑わい」に加え、「人の賑わい」のルネッサンスを追求し、これらのコラボレーションにより「大いなる都をめざして」発展させていく必要があるものと思っている。

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【21年11月度産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ『 次世代小型民間ジェット機(MRJ)の開発と航空機産業について 』

日  時:平成21年11月10日(火)12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 桂の間
参加者:39名

三菱重工業株式会社 中部支社 支社長
福崎 博尊氏のご紹介

スピーカー:
河村 文博(かわむら ふみひろ)氏
三菱航空機株式会社 技術管理部 部長

河村 文博氏

1. MRJの開発に至る背景と民間機の市場
  三菱重工業は戦前からの航空機の開発の歴史がある。1939年には零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を開発した。終戦までに航空機18,000機、エンジン52,000基を製造し、ピーク時には年産最大4,000機、従業員約20万人が製造に携わった。しかし、戦後、GHQにより、航空に関する一切の研究・製造が禁止された。この期間に世界ではプロペラ機からジェット機の時代へと大きく飛躍したため、日本の航空機産業は大きく遅れをとることとなった。戦後は、朝鮮戦争を契機に米軍機の修理からはじめ、防衛省機でライセンス生産による技術の獲得、主力戦闘機の開発を通じて、複合材技術を獲得した。また、民間機の世界ではYS-11や小型ビジネス機の開発を手がけたが、ビジネスとしては成功しなかった。
  日本の航空機産業の生産額は当初防衛省予算の伸びと比例した。1990年以降、防衛省予算は横ばいとなったが全体としてBRICsなどの世界経済の成長に合わせた民間航空機市場の伸びに支えられ生産額は増加傾向である。100席以上の大型機はボーイングおよびエアバスで2分され、寡占状態で新規参入は難しい。ここで100席以下についてはボンバルディア社(カナダ)、エンブラエル社(ブラジル)などとの厳しい競争はあるが、今後20年間で市場が大きく拡大することが予想されるため、我々の体力で参入できる市場と考えた。

2. MRJについて
  MRJのビジョンは『環境、乗客、エアラインへ従来にない新しい価値を提供する』と掲げている。このビジョンの元、セールスポイントとして「乗客」には快適な客室を提供すること、「環境」には低騒音と低排出ガス、そして「エアライン」には優れた運航経済性により利益を上げてもらうこととして売り歩いている。
  MRJの機体規模は、MRJ90が全席エコノミーで86席〜96席で、70席〜80席のMRJ70も用意している。さらに現在、エアラインの要望にあわせ、この上の100席についても検討中である。
  MRJは東京を中心に北京、上海など近距離国際線が運航できる範囲、またヨーロッパでは欧州全域と北アフリカを含めた範囲、さらに北米もアラスカ、ハワイを除き、米全土、中米までの範囲で、最適な効率が出せる航続距離としている。
  また、MRJは遅れて市場に参入するため、既存の競合他機との差別化を図っている。日本が得意とする複合材技術による尾翼の軽量化、持ち込み手荷物スペース確保、安全性を高めた次世代フライトデッキ、新型エンジン、スーパーコンピュータを用いた先進的空力技術を取り入れている。フライトデッキはボーイング流の思想を取り込みパイロットが比較的簡単な転換訓練でボーイング機から乗り換え操縦できるよう共通性を持たせていることも特徴である。
  2007年のエアショーでMRJのコンセプトを展示し、エアライン各社の反応は比較的良く、これを受け、正式な営業活動を始めた。2008年3月に全日空から25機の発注をいただき、現在、2014年1Qの引渡しを目標としている。また海外営業活動により先月、米国のエアラインからも100機の大型発注をいただいている。

3. 航空機産業について
  YS-11の時代のように造りっぱなし、売りっぱなしでは現在のエアラインからはそっぽを向かれ事業としては成り立たない。また、ビジネスのため産業全体を俯瞰することは重要である。世界ではボーイング社のあるアメリカ、エアバス社のあるヨーロッパ、ボンバルディア社のカナダの産業規模は大きく、日本の航空機産業の売上は僅か1兆円程度しかない。今の日本の航空機産業は、世界シェアも低く、売上も限られているため、経営効率面からは難しい産業である。
  ここで、世界シェア及び売上を伸ばしていくためには、航空機の製造拠点の集積している中部地区は、効率よく開発、生産、出荷できる素地があり非常に大きなメリットがある。市場の伸びが見込まれる100席以下の民間航空機市場で、今後MRJを1000機以上販売することが当面の目標であるが、さらに将来的には民間機市場の拡大に併せて、MRJの次を目指すことで、三菱重工業をインテグレーターとし周りにサプライチェーンを構築し、欧米のみではない日本での航空機製造のインテグレーターを目指していきたい。

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【新会員自己紹介】

遠藤 俊也氏
水曜第2グループ

遠藤 俊也(えんどう としや)
株式会社アイチコーポレーション名古屋支店 名古屋支店長

【株式会社アイチコーポレーション 名古屋支店】
〒459-8001 名古屋市緑区大高町丸の内70番地
TEL:052-621-5112 FAX:052-622-1634
URL:http://www.aichi-corp.co.jp

(株)アイチコーポレーションの遠藤俊也と申します。
このたび産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくことになりました。
私、愛知県愛知郡出身で愛知大学を卒業し、アイチコーポレーションに入社した「愛知づくし」の男です。 しかし1983年に入社以来ずっと関東に配属されており、四半世紀ぶりに転勤でこちらに戻ってくることができました。 大好物の赤だし、味噌煮込み、味噌カツを毎日味わえる幸せをかみしめております。
  弊社は電気、通信、建設工事等における安全確保と作業効率化を実現する機械化車両のご提供を行っております。 私共の事業の最大の特徴は、設計、生産、販売、アフターサービスまで一気通貫で手がけておることです。 これにより「ライフサイクルサポート」を掲げ、お客様の課題の発見から製品のご導入、運用、更改に至るまで一貫してお役立ちすることを目指しております。 おかげさまで高所作業車の分野では国内シェア約70%を戴いておりますが、今後も驕らず弛まぬ努力を続けてまいる所存です。
  若輩者ではございますが、皆様のご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

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【12月度産業懇談会 開催日程】

グループ名 世話人 開催日時 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄
12月8日(火)
18:00〜20:00

料亭 蔦茂
電話:052-241-3666
名古屋市中区栄3-9-27

水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇
12月16日(水)
18:00〜20:00

料亭 蔦茂
電話:052-241-3666
名古屋市中区栄3-9-27

水曜第2グループ 片桐清志
谷口正明
12月9日(水)
18:00〜20:00
THE KAWABUN NAGOYA
電話:052-222-2333
名古屋市中区丸の内2-12-30
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助
12月2日(水)
18:00〜20:00
札幌かに本家 栄中央店
電話:052-261-1161
名古屋市中区栄3-8-28

※木曜グループの開催日は、12月2日(水)となっておりますのでご注意下さい。

4グループ共通事項

会費 実費精算の上、後日ご請求いたします。
出欠のご連絡 ◆ご出席の場合は、ご案内状に同封の返信用紙にご記入の上、FAXでご連絡ください。(代理出席はできませんのでご留意ください。)
◆それぞれ開催日の稼働日2日前までにお取り消しなくご欠席の場合は、会費を申し受けますので、悪しからずご了承ください。
事務局連絡先 電話:052−221−8901 (担当: 岩間・山田 )
その他 それぞれの会場の地図がご入用の場合は、事務局までご連絡ください。

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産業懇談会新年合同懇親会 開催日程

産業懇談会新年合同懇親会のご案内

今年は例年と趣向を変え、ドイツ国際ラジオ局でDJとして活躍した経歴を持ち、日本の美しさ・命と平和の尊さを歌うソプラノ歌手の下垣真希氏のコンサートを企画いたしました。産業懇談会メンバーの皆様とも、年のはじめにますます親睦を深めていただきたく存じますので、お誘い合わせのうえ、多数ご出席くださいますようお願い申し上げます。

日時

平成22年1月25日(月) 17:30〜20:00(17:00 受付開始)
17:30〜18:00 コンサート
18:00〜20:00 新年合同懇親会(ビュッフェ形式)

場所 ウェスティンナゴヤキャッスル 2階 銀の間
電話:052-521-2121
出演者 下垣 真希(しもがき まき)氏
愛知県立芸術大学卒、ケルン国立音楽大学で、ドイツ国家声楽教授資格を取得。卒業後はドイツでDJとして活躍し、帰国後ソプラノ歌手として国内外のオーケストラと共演。一人オペラやひとり歌芝居など、全国で20回以上再演されている作品もある。近年は、「命と平和の尊さ」をテーマに、日本の歌を中心にした「トークコンサート」やコンサート付きの「講演会」を全国で開催し、2005年の愛・地球博でもソロコンサートを開催。2008年には「愛知県芸術文化選奨文化賞」を受賞。
懇親会費 お一人 8,000円
※当日、会場受付にて頂戴いたします。
本状ご案内先 代表幹事および産業懇談会メンバーの皆様
事務局連絡先 電話:052−221−8901 (担当:岩間・山田)
そ の 他 ・食事の手配等、準備の都合上、ご出席の場合は同封のFAX用紙で12月25日(金)までに必ずお知らせ願います。
・なお、お取り消しにつきましては、1月21日(木)までにお知らせください。
それ以降にご連絡いただいた場合は、会費を申し受けることになりますので、悪しからずご了承願います。

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【お知らせ】

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【アートコーナー】
からくりアート点描 No.8

天翔の響べ


「伊勢の風と光と水を、、、」

翼をもった童子たちが、天空から伊勢の地に舞い降り、時に飛翔し、宇治の山並みを御護りして、
大宙を楽しげに遊ぶ様を表現いたしました。
和と洋の共生をテーマに白を基調とした個性的な衣装の人形たち。
伊勢の風と光と水を表し、歯車は文明を翼は文化を象徴しています。
「楽器を奏でる童子」や「天翔の童子」、瞬時に顔が変わる「面かぶりの童子」など総勢12体はコンピュータによって制御され、音楽と共に約6分間演技をいたします。

天翔の響べ

コンピュータ制御からくり人形
2001年10月5日竣工

横6m 高さ2m 奥行き2m  横1m 高さ2m 奥行き2m
音楽制作 佐藤陽子
Yoko Sato (ヴァイオリニスト)

設置場所:小坡美術館
演技時間:6分
演技時刻:11時30分 13時30分
オリジナル音楽:バイオリニスト佐藤陽子

天翔の響べ

コメント
宇治土公貞明猿田彦神社宮司様より作品依頼の話がきた。
当時、猿田彦の神様とは、恐れ多くて作れないと何度も悩みつつ、しかし、ご縁のある伊勢の地に創れる喜びがふつふつと湧いてきた事を、今も鮮やかに覚えてる。

宮司様のご挨拶(パンフより)
「本来、私達は、大きな力に育まれた自然の子です。、、、。しかし、多くの長い歴史の中で動物、植物や他者や神様と素直な関係を保っていくために、そんな時こそ人と自然を媒介し、私達の心を大らかに啓いてくれるものが必要です。 この「天翔の響べ」は「神様のような、人のような、自然の柔らかな力が自ら形になって、活き活きとした姿で、我々が生まれながらに持ち続けている「存在の実」を晴れやかに解き放ってくれるようです。会うたびにこの「お人形さんたち」のもつ生命の輝きと深い慎みに、新たな思いが生まれます、、、、」。

明治から昭和にかけて活躍した女流日本画家「伊藤小坡」の作品が中心の美術館ホワイエに設置。
小坡が猿田彦神社の宮司家に 生まれたことから、神社と伊勢に関わり深い文物も展示している。
ロビーからは宇治の山々や四季折々の美しい庭など、ゆったりと景観を楽しむこ とができる。


<小坡美術館DATA>
所在地:伊勢市宇治浦田2-4-65
アクセス:近鉄宇治山田駅から三交バス浦田町行きで15分、猿田彦神社前下車徒歩3分。
電話:0596-22-2554
休業日:月曜日(祝日の場合はその翌日)
駐車場:有・8台のうち身体障害者用1台(無料)
料金:一般300円、高大200円、小中100円
営業時間:9:30〜16:00


制作
夢童由里子
〒459-0024 名古屋市名東区本郷2-150
電話:052-774-6891 携帯電話: 090-2610-5925
E-mail:mudo@r9.dion.ne.jp
夢童アートHP:http://mudou-art.com/

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【コラム】

コラム1 【花ちゃんからの健康だより】 No.68
花ちゃんからの健康だより

株式会社 スズケン
保健師 佐藤 花子

『  底辺でも輝く大切な人たち  』

冬の冷たさを感じる朝の出勤が多くなってきました。寒さ対策をしっかりして、背中を丸めず良い姿勢を保ちましょう。夜空の星や、街のイルミネーションの輝きが元気にしてくれる季節ですね。

 健康相談室で勤務していると、意外に元気な人との出会いがあります。その出会いの中で、立場的に目立たなくても、楽しんで仕事をしている人に共通している点に気がつきました。それは、当たり前の平凡なことを大切にしているということです。

<共通点その1>
  挨拶、相談、連絡、報告は人間関係づくりの基本といえます。日常茶飯事、この場面はあるかと思います。このじつに平凡なことですが、この平凡なことができなくて、難しいことが出来ても、周囲の信頼を得ることは出来ません。「自分は、ここで何をこころがけるべきか」この地味なことに手を抜かない精神で実行し続け、大きな信頼を生んでいるということ。

<共通点その2>
  仕事の知識は、同年齢であれば、そう、みんな大差ありません。でも、「その知識を何のために活かしたいのか」「何のために本気で頑張るのか」その当たり前のことを忘れないで、知識を役立たせようと一生懸命であるということ。

 与えられた仕事を楽しんでしている人は、底辺でも輝いています。そういう人の周りは、不思議と同じような人がいます。連鎖しているのでしょうか。
  もし、自分の頑張りが報われない、期待したほど評価されないと意欲を失う人たちがいたときに、そこに、仕事を楽しんでいる人を配置してみてはいかがでしょう。

当たり前のことに手を抜かない 平凡なことを大切にする すごいことをやることより 結構難しい 底辺で輝く人たちから 学ぶことが多い

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コラム2 【理念経営物語】
コラム【理念経営物語】

株式会社リーダーズドメイン代表取締役会長
窪田経営塾塾主
窪田 貞三

理念経営成功例:No.18

【 地域貢献と企業経営 】

 企業は事業活動を通じて社会や地域貢献を行う。それが本来の姿でしょう。しかし、地域社会との共生をするためにも、地域への直接的な貢献活動を行う必要もあると言えます。
  A社という機械メーカーにBという社長がいました。Bは企業文化を大切にし、地域貢献にも熱心な社長で、「企業文化は地域文化との共生によって成立つもので、地域貢献を行うことは当然の義務である」と考え、毎日のように社屋周辺の道路などの掃除を全社体制で行い、自らも汗を流していました。ただ、掃除を始めたころには、それを理解出来ない社員もいて、全員が快く行っているとは言えない状態でした。Cという営業マンは、いつも嫌々掃除をしながら、同僚に愚痴をこぼしていました。ところが、ある日C達が掃除をしている横をEという老人が通りかかり、EはBに声をかけました。「貴方の掃除する姿を見ていると、本当に清々しくて、朝から大変良い氣分にさせていただきました。感動しました。私にも掃除を手伝わせてください」と。Bは微笑みながら「ありがとうございます。よろしければお手伝い下さい」と言い、その後一緒に掃除をしました。Eは掃除をしながらBがA社の社長であることを知り、より大きな感動をおぼえました。数日後、CはDという会社に出していた見積もりの返事を聞こうと、D社に訪問しました。この見積もりは大変大きな金額の見積もりで、A社の社運をかけるような大きな価値がある見積もりだったのですが、実は、D社はF社かG社との契約の可能性が高いという状況であり、A社は大変不利な状況下にありました。ところが、部屋に呼ばれたCの耳に飛び込んできたD社担当者からの答えは、「A社と契約をさせていただきます」という答えだったのです。Cは驚きました。まさかの逆転受注に声も出ないといった状態に陥りました。そして、Cをもっと驚かせる光景がCの目に飛び込んできたのです。D社担当者の後ろには、先日A社の掃除を手伝った老人のEが座っていたのです。Eは言いました。「F社もG社もそしてA社も技術的に大きな違いはないが、私は、理念経営を実践するA社のB社長なら必ずこれから長い年月お付き合いが出来る。そう感じてA社さんに決めたのですよ!」と。実は、EはD社の創業者であり、現在、代表取締役会長という存在だったのです。

解説

A社営業マンのCは、自社の社長であるBの人間的大きさと、経営者としての偉大さを外部の人間から教わったのですが、地域貢献も社会貢献の価値も内部ではなく、外部(社会)から観た方が、よく分かるものなのでしょう。

理念経営論

理念経営論とは、
根本にある理念に基づき、ビジョンに向かい、
木(企業組織)は成長していく。それが理念経営論です。
根をしっかりと伸ばすことで、木は成長します。
理念経営論は、
(1)本質的経営=理念創造・実現経営
(2)夢実現経営=ビジョン創造・実現経営
(3)実践的経営=全社員自立・実行経営

以上、3つの柱から出来ています。

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.13
コラム【理念経営物語】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 日日是好日 』
−「お茶」が教えてくれた15のしあわせ−
森下典子著・新潮文庫

 著者は、「週刊朝日」の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として、大学時代から活躍したルポライター・エッセイスト。二十歳のときに始めたお茶が与えてくれたしあわせを、軽妙な筆致で綴る感動のエッセイ。解説を担当した落語家の柳家小三治も、「まえがきを読んだだけで、目に涙がわいてきます」と書いています。そのまえがきの最後で著者はこう言います。「生きにくい時代を生きる時、真っ暗闇の中で自信を失った時、お茶は教えてくれる。『長い目で、今を生きろ』と。」

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コラム4 【苗字随想】 No.90
コラム【理念経営物語】

片桐清志

「筒」と「管」

 竹を材料にした道具類の第三弾は上記の2点に注目してみる。
 竹の中空と節はそのままでも筒として容器の役目をする。残念ながら一字姓の「筒」さんは見つからなかったが、筒で始まる苗字は27種見つかった。ランキング(佐久間 英氏)では筒井(ツツイ)が459位で堂々の1000番内だが、そのほかは4000番内には見当たらない。
 ユニークな苗字としては筒中(ツツナカ)、筒口(ツツグチ)、筒塩(ツツシオ)、筒水(ツツミズ、残念ながら水筒は見つからなかった)、筒石(タケイシ)、筒路(ツツジ)、筒見(ツツミ)などが見つかった。
 因みに「節」姓も12種ある。こちらは一字姓の「節」もあり、セツとお呼びする。竹のフシの意味のほか物事の節目の意味でも使われ、苗字でも「節句田(セックダ)」がある。節句や節分はみつからなかったが、「竹節(タケフシ)」は見つかった。
 管はもともと「節を貫いた竹」の意味だ。一字姓の「管」もあるが、読み方はカン・スガでクダの読み方はなさそうだ。種類は結構多く、24種見つかった。ユニークな苗字では管屋(クダヤ)、管家(カンケ・スガヤ他)、管具(カング)、管尾(スガオ)、管源(クダモト)、管牛(カンギュウ)、管生(スゴウ)、管波(クダナミ)、管領(カンリョウ)などだろう。管管(クダクダ)などはびっくりものだ。
 管と紛らわしいのが菅だ。種類も菅の方が多く88種見つかった。一字姓の「菅」さんもいて、スガ、スゲ、カンとお呼びする。ユニークな苗字では菅亀(スガカメ)、菅口(スガグチ)、菅股(スガマタ)、菅頭(カントウ)、菅尾(スガオ)、菅勝(カンカツ)、菅多(スガタ)、菅形(スゲガタ)、菅若(スガワカ)、菅能(カンノウ)、菅理(スガノ)、菅長(スガナガ)などがある。

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【平成21年11月号編集後記】

 江蘇省の無錫近くにある華西村が億万長者村として話題になっている。1961年建村時わずか1平方km弱、人口600人の村が改革開放政策後、呉仁宝リーダーの卓越した起業家精神と商才で一気に開花した。「農から工へ」をスローガンに村民の一致協力の下、30年間で「天下第一村」の看板を掲げるまでに成長した。2001年以降、近隣の20村と合併し現在は人口3万人、35平方kmに膨らんだが、今でも村民の平均年収は1000万円以上で中国の平均年収の40倍以上という。その上、村営の高級住宅も先進医療も無料というからまさに現代の桃源郷だ。上海万博時の観光先のひとつとして注目されそうだ。
 この成功例は地域振興策のヒントをいくつか教えてくれる。その第一は変化を逃さないリーダーの指導力だ。「鍬を捨て、鎚を持つ」といっても当時は相当ハイリスクな戦略だったはずだ。前例のない中で将来ビジョンを描き、周囲を説得し協力を得るには熱血的な指導者の存在が欠かせない。
 二つ目は推進力に不可欠な若者のエネルギーだ。時代の変節点では優れたリーダーの下に優れた人材が輩出する。若者は常に将来志向で、閉塞感からの脱皮を夢見ている。おそらく呉氏はその若者たちの心をキチンと掌握できたのだろう。
 三つ目は村の存在感を高めるために、観光資源の開発にも力を入れていることだ。高級住宅を散在させるのでなく「街並づくり」として計画し、生産拠点と分離することで桃源郷化に成功している。住宅ゾーンには病院や学校等の行政機能も整備し、さらに背景には天安門風の建物や万里の長城を模した建造物を配置している。上海から2時間程度という地の利を生かし、観光収入でも稼ごうという狙いが窺える。
 豊かさの共有は難しく、成長時には貧富の差が大きくなるのが通例だが、華西村ではこれまでは「豊かさの共有」がうまく行っているようだ。古来「守成難し」の言葉が示すように、成長を続けることは容易ではない。画一的成長から多様化へ、これからも先例なき挑戦が続く。日本の一極集中の歪みを直し、地域を元気にするためにも、中国この成功が一時の夢に終わらないことを祈るばかりだ。

 地域振興では産業懇談会も負けていない。今月の産懇宅配便は例会模様の2編を紹介させてもらった。残りの2編は来月号で紹介させていただく。木曜Gの加藤氏には名古屋文化復活の熱き思いを、また火曜Gの福崎氏と河村氏からは日本の航空機産業の復活にかける熱き挑戦をご披露いただいた。ともに名古屋の特色を生かそうとの熱意が伝わる。今後も当地区の魅力発掘を続けたい。

(片桐)