産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】第82号 2009.3.30発行

 メールマガジン■産懇宅配便■

平成21年3月度(第82号) 目次
産懇宅配便
【21年2月度産業懇談会(水曜第2G)模様】 2月4日(水) 12時00分〜14時00分
【21年2月度産業懇談会(火曜G)模様】 2月17日(火) 12時00分〜14時00分
【21年2月度産業懇談会(水曜第1G)模様】 2月18日(水) 12時00分〜14時00分
【21年3月度産業懇談会(水曜第2G)模様】 3月4日(水) 12時00分〜14時00分
【21年3月度産業懇談会(木曜G)模様】 3月5日(木) 11時50分〜16時00分
【投稿】 『尾張名古屋事始』 加藤 敏
【新会員自己紹介】
高見 祐次氏
株式会社セブン・ワイズ 代表取締役
【4月度産業懇談会開催日程】
【5月度産業懇談会開催日程】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 『花ちゃんからの健康だより』
コラム2 『理念経営物語』
コラム3 『苗字随想』

【21年2月度産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ『 多様化し、情報力を持った賢い顧客に企業はどう対応していくのか?
(ブログ、SNS等顧客接点の多様化に対応した顧客フロント改革とは?) 』

日  時:21年2月4日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:27名

スピーカー:
芦沢 秀明(あしざわ ひであき)氏
NTTコミュニケーションズ株式会社 理事 東海支店長

芦沢 秀明氏

 最近の消費者は非常に賢くなっており商品知識、価格情報など何でも知っている。背景にはインターネットなどITの普及が社会に与えた影響があると思う。今やテレビよりもインターネットの方が広告量が多くなり、影響力も強くなっている。広告をインターネットで見て、評判・商品はインターネットで調べ、実物は百貨店に見に行って、カカク.Comなどで一番安い店を調べて購入するという傾向が最近特に強くなった気がする。価値観が変わり、情報武装化されている消費者の姿が見えてくる。少子高齢化、女性の社会進出、国際化、格差拡大と経営環境が複雑化し、様々なライフスタイルが出てきて価値観もどんどん変わってきている中で、企業はこれら賢いお客様に対応しなければならない。それにはお客様が出すメッセージを注意深く聞き、迅速に対応し、行動の目的・価値観でセグメント化してそれぞれの戦略を作らなければならない。
 コンピューターと人間が関わる世界が広がり、個人が得る情報量が爆発的に拡大し、情報の主権が消費者に移っている中で、お客様と企業との接点が多様化している。これまでは店舗、修理窓口といったところがお客様との接点であったが、今ではコールセンター、バーチャル店舗、ブログ・SNS、携帯電話など色々な接点ができ、お客様の情報取得機会が増えている。逆に言うと企業とお客様の接点がどんどん増えていると言うことである。今までは効率化、合理化のためのITであったが、ソリューションの提供のためにITを使うようになってきた。最近の考え方の主流は、ITはお客様とコミュニケートするツールという考え方になってきている。これまでは商品の情報は販売者側が一番持っており、その情報に基づいて商品を作りお客が買うという流れだったが、今では情報力が逆転して情報の流れがお客様から製造、販売へと変わってきた。その対応のためにホームページ、電子マネーなどで色んなことに取り組んでいる。現在は、ブログ・SNSが盛んで、日記を書くように投稿して情報交換をしている。そしてそういった場にコミュニティーや様々なグループができる。コミュニティーというのが重要なキーワードで、ビジネスを考える上で、顧客は今何に興味を持っているのかと探るツールになりうる。こういったコミュニティーをもっと上手く活用しようと企業が考えたのがアフィリエイトである。コミュニティーの中で意見を明確に言いリードできる人に口コミ宣伝をしてもらい、その報酬として金銭キックバックをする仕組みである。
 企業は、情報力を持ったお客様には顧客接点を変えて対応し、顧客接点の各チャンネルを上手く活用し、感度を高めた"個"客センサーとして活かしつつ、企業経営のバリューチェーンを迅速に回していく必要がある。顧客フロント改革には顧客接点の強化とマーケティング機能の組み込みが求められる。例えば銀行ではATMでお金を下ろしたらお客様はさっさと帰るというのが普通だったが、有人化による顧客接点の強化が行われるようになってきた。また、多様化するチャネルの連携としてメール、コールセンターなどの接点を連携させることが重要である。マーケティング機能の組み込みでは、お客様から得た情報を組織の枠を超えて共有する仕組みが必要である。そして、長期的な顧客関係を築きマーケティング機能を強化することによりお客様の財布の中のシェアを増やし生涯顧客価値の最大化を図ることができる。顧客フロントの情報武装化、ICTの活用によりお客様への対応がスムーズに出来たり、顧客情報をベースにファイナンシャルプランナーがお客様に色々提案したりする。銀行の窓口ではローンだけではなく保険や株といったものが売買できるようになったが銀行員が皆保険に詳しいわけではない。店舗のネットワーク化と相談専門拠点の役割を再編することにより、専門性の高いチームを中央に置いてネットワークを使ってテレビ電話で相談する仕組みを作ることが出来る。全ての顧客接点情報を顧客単位に一元集約し分析する。そして、営業プロセスの可視化を行い成功事例、失敗事例を共有することによりマーケティングや商品開発の世界につなげていくことができる。
 我社が顧客接点強化のために作り込んできたソリューションはたくさんあるが、その中で特に紹介したいのは「古くて新しい」フリーダイヤルの強化である。元々はお客様に料金負担を掛けないサービスとして始めたが、今では顧客接点としてのコールセンター、受付部門の皆さんにもっと使いやすくなるように、そして収集したデータの分析ができるように強化している。電話がつながらないのは通販業者や苦情受付にとってはとんでもないことである。現在ではつながらなかった場合、電話があったことをオペレーターに連絡しお客様にかけ直すことができるようになっている。電話以外の世界ではWEBコンサルティングもやっている。企業のサイトには経営戦略、中期戦略など色々なことが記載されているが、サイトの作成を手始めに今ではWebマーケティング戦略策定のお手伝いまで取り組んでいる。
 以上、我社の取り組みの一部をご紹介したが、我社は単なる通信会社ではなく、「ICTソリューション・パートナー」と企業のお客様に言われるようサービス開発・品質向上に努めていこうとしている。私は、我社の社員に対して物事の意味を大事にするように言っている。通信屋は、デジタルの0と1の世界で、これらをいかに正確に渡すかに気を遣っているが、お客様がこれらをどう活用しているかを知ることが重要である。ソリューション・パートナーはお客様がこの信号をどのように使っているのかを分かって初めていろんな提案ができるものだ。
 これを社員に理解してもらうために、こんなたとえ話をする。牧師が道をテクテクと歩いていると煉瓦を積んでいる3人の作業者がいた。何をしているかと聞くと、最初の人は「煉瓦を積んでいる」、2番目の人は「壁を作っている」、3番目の人は「教会を造っている」と答えた。作業は同じでも、その人の意味は大きく異なってくる。意味が分かると、提案や工夫、助け合いができるようになる。だから、お客様のために何を作っているかを分かって仕事をすることが大切である、と。
私は転勤する度に新しい部下にこの話をして、あなたの仕事は何かと聞く。私自身ももっと私の仕事の意味を考えて大切にしていきたい。

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【21年2月度産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ『 電子顕微鏡から見える世界 』

日  時:21年2月17日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 オリオンの間
参加者:22名

スピーカー:
宮田 充康(みやた みつやす)氏
株式会社日立ハイテクノロジーズ中部支店 支店長
引田 周平(ひきだ しゅうへい)氏
株式会社日立ハイテクノロジーズ那珂アプリケーションセンター シニアスタッフ

宮田 充康氏引田 周平氏

 那珂アプリケーション・センターにはグループ会社員を含めて約160名の社員がいる。その内女性比率はおよそ3割で博士号を持った者も5名ほどいる。本日紹介の電子顕微鏡は安価なもので数百万円、高価な機種では3億円(本体価格)もする。販売の為には、これらの製品をお客様に対して実演・実証する(示す)ことが必要でセンターの主要な仕事である。又、逆にお客様からの要望とかご提案を多数頂戴するのでこれらを設計や開発部隊にフィードバックすることもセンター員にとって重要業務である。光学顕微鏡は数百倍からせいぜい3千倍位が実用的に限界で、ナノメートルの世界は電子顕微鏡でなくては見えない。液体以外の、世の中の殆んど全てが電子顕微鏡の世話になっている。例えば「讃岐うどん」の品質管理から博物館、美術館、燃料電池などの先端材料、医学生物分野、そして教育用としてなどありとあらゆるものに電子顕微鏡が使われている。真空中に電子を安定して飛ばすために、どうしても装置本体が複雑となり結果として製品の値段が高くなる。電子顕微鏡の種類としては、薄い試料に電子を透過させて構造を見る透過型電子顕微鏡(TEM)と、試料の表面構造を見る走査型電子顕微鏡(SEM)がある。TEMの歴史は遡って1931年に独のベルリン工科大学で発明され、1934年に試作機が完成された。日本では日立がいち早く研究を始め約70年の歴史がある。つまり1941年に横置き型の国産第1号機のTEMが日立で製造された。その後改良や性能向上が進み1955年には初めて米国に輸出された。特に1970年前後に掛けては、都合20回のチャーター便にて日立の電子顕微鏡(TEM)、分析装置が米国に輸出されたという歴史もある。TEMの中でも一番普及している中級機の歴史を改めてたどると1942年に2号機が製造され、22年後にはHU-11Bというモデルが全米で大ヒットした。このHU-11B型を持っていない大学、研究機関が少ないという程米国で人気が出た。現在の最新モデルH-7650は日立が世界で初めて完全デジタル化した自動化対応の機能を持つTEMである。医学、生物学、薬学そしてCNT(カーボンナノチューブ)や高分子系材料などの研究開発に使用されている人気製品となっている(国内シェアーで約80%)。一方走査型電子顕微鏡(SEM)の製品化はTEMに遅れて始まった。中でも電界放出型の高分解能(高性能)SEMは、1968年に米国のシカゴ大学のクルー教授により研究、開発された。日立はこのクルー教授と一体となり総力を挙げて本体の真空やレンズや電子銃などの基本技術開発と信頼性向上、そして生産の安定化の為の要素技術開発にも昼夜を分かたず取り組んだ。クルー教授には長年定期的に那珂事業所に来て頂き技術指導を頂いた。この結果1971年には世界で初めて高分解能(高性能)電界放出型SEMが商用製品として日立から誕生した。性能は3ナノメーターのものが観察出来る世界一の実力であった。現在はこれらの技術や製品を土台として更に性能向上した上位機種が実現している(最上位機の製品名; S-5500型)。
 日立の電界放出型高分解能SEMの全世界販売の歴史で画期的な普及の契機の一つとなったのは、汎用の電界放出型SEM(S-800型)が1985年、大英博物館の案内パンフレットの表紙に、この製品外観が大きく掲載された事である。欧米の研究所でもこの日立のSEMが多数使用されて世界的な先端、先進の材料などの研究開発に用いられた。そして、このS-800型を母体にして、鳥取大学医学部解剖学の田中名誉教授のご発案で開発、製品化されたS-900型は性能の点でこのS-800型の上位に位置し新材料の研究開発を更に促進した。これまでに全世界でシリーズとして500台ほど販売された。この一連の超高分解能SEM(最上位機種)は、初期のモデルから含めてシリーズで、デビュー以来23年間世界シェア90%以上を維持しており、世界中の研究機関において今や標準的存在となっている。
 卓上型のミニの電子顕微鏡(ミニスコープ; TM-1000)は重量81.5キロで価格は約500万円である。05年4月の販売開始以来全世界で865台販売され、内約4割が国内向けで6割が輸出されている。家庭用のコンセントに接続するだけでミクロの世界が広がる。又社会貢献として子度向け理科教室を2006年までに発売以来20回行い、その後も継続して実施している。ミクロの観察ができるとういうことで子供の理科離れ対策にも役立っている。

注:パワーポイントで繊維、ステントなどの顕微鏡映像を見せていただいた後、実際にこのTM-1000を使用し、ハンダ、ノーカーボン紙のPCBカプセル、星の砂などの拡大顕微鏡映像を見せていただき、非常に参考になった。

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【21年2月度産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ『 最近の情報通信 −光IP化推進とユニバーサルサービス 』

日  時:21年2月18日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:23名

テルウェル西日本株式会社
常務取締役東海支店長 岡本 金久氏のご紹介

スピーカー:
池田 佳隆(いけだ よしたか)氏
西日本電信電話株式会社 名古屋支店 副支店長

池田 佳隆氏

1..情報通信市場の変化
 固定電話は戦後増え続けてきたが、NTTだけで6100万回線強の契約があった1996年をピークにその後緩やかに減り始めた。携帯電話は1987年からサービスが始まり90年代半ばから爆発的に増え、2000年に固定電話を逆転した。現在携帯は1億1千万台と国民一人に1台となっている。インターネット接続サービスは15年ほど前に開始されたが、2000年頃にADSLが、2001年に光通信のサービスが始まってブロードバンドが普及してきた。5年ほど前にブロードバンドがナローバンドを逆転し今では3千万回線を超えている。通信の中身にコンテンツが多くなり光が伸びてきた。今はインターネット、電話、映像を1本の光ファイバーでカバーする利用の仕方が広まっている。コンシューマー向けのコンテンツでは緊急地震速報配信サービスもある。気象庁が地震をキャッチすると情報を二次配信事業者に流し一斉に放送する。ポイントは震源とお客様の距離を見て何秒で到達するか連絡できるところである。家庭で身を守ることもできるし、企業などにこういう情報を流すことにより地震の被害を最小限にするソリューションも開発され提供されている。企業ネットワーク自体のトレンドとしては専用線自体がどんどん減っていくだろうと予想しているが、その代わりにIPVPNが増えていくだろう。どんどんブロードバンド化が進んでいる中で、ネットワークを前提としたビジネス活動となっており、信頼性が高く、セキュリティが高く、取り扱いやすく、故障してもすぐ直り、なおかつ安いことが求められている。

2.NGNの展開
 こうした要望に応えられるようにネクスト・ジェネレーション・ネットワーク(NGN)が開発、提供されている。その特徴は放送と通信の融合、固定と移動通信の融合で、世界的な通信とネットワーク変革の潮流である。NTTのNGNの特徴はクオリティ・オブ・サービス(QoS)の確保、高セキュリティ、高信頼性、オープンなインターフェイスである。NGNではあらかじめ大事な通信を分けて、混み合ってきても最後までその通信を優先し、残りはベストエフォートで分け合う。優先制御の技術である。現行のIP通信網で磨いた非常時、故障時対応の技術をセキュリティ、信頼性面でNGNでも生かしている。具体的なNGNの展開はNTTだけではできないし、NGNを見ていただいて具体的なビジネスを皆さんで検討していただきたい。

3.情報通信市場の変化とNTT
 携帯電話、IP電話、ライバルの固定電話がどんどん増え、NTTの固定電話がどんどん減っている。基本的に減収トレンドの状況である。そういう中で、NTTには重要な責務としてユニバーサルサービスを全国で提供することが法令で義務付けられている。即ち固定電話、第一種公衆電話、緊急通報の維持管理を、山間部、離島も含めて義務づけられているのである。通信事業の競争激化の中、平成19年にユニバーサルサービス基金という仕組みを作り社会全体で支えようとしている。総務省では、通信、放送分野のあり方について色々検討していくこととしている。これからは設備を作るインフラ部分と番組を作るコンテンツ部分、課金などのプラットフォーム部分など横断的に物事を考えた方が良いという意見も出ている。NTTはNGNの構想を発表し、2010年に光2000万加入を目指している。この目標達成のためにNGNを構築し、NGNのサービスを広げようとしている。光ブロードバンド化の推進とユニバーサルサービスの維持がNTTの使命、責務だと思っているので、何とか光IP化、NGN化を推進して広く利用していただけるよう頑張っていきたい。企業向けではニーズに合ったネットワーク、システムを提供していきたいと考えている。

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【21年3月度産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ『 いちごとトイレ 〜ベンチャーへの取組事例 』

日  時:21年3月4日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:28名

東洋建設株式会社名古屋支店 執行役員支店長
長尾正平氏のご紹介

スピーカー:
藪下 貴弘(やぶした たかひろ)氏
株式会社オリエント・エコロジー 代表取締役

藪下貴弘氏

◆オリエント・エコロジーについて
  オリエント・エコロジーは、東洋建設の関連会社で、主力事業は自然公園のトイレ施設の製造販売、また、いちご農園の栽培と運営である。もともとは東洋建設の社員であったが、社内ベンチャー支援制度の機運の中、「従業員の社内公募」「株主の社内公募」「3年目の経常黒字が達成できなければ会社清算」を掲げ、2002年3月4日に会社を立ち上げた。
 そもそも、なぜトイレを扱ったのか。それは、東洋建設で働いている折、工事現場のイメージアップとなるようなトイレを作ることから始まった。臭いの防止、また移動が簡単で、掃除が楽なトイレを考えた。完成したトイレ「せせらぎ」(商品名)は、大きな鏡や荷物おき、帽子掛けなどがあり、仮設トイレとしては、ずいぶん進化したものであった。その後、国営木曽三川公園で開催された「河川公園トイレ展示フェスティバル」に出展したところ、開発費が嵩んだため、販売による開発費回収が命じられ、トイレ事業が始まっていった。

◆トイレ事業といちご事業
 「トイレの設置場所周辺に環境影響を与えない」、「維持管理をする期間が他のトイレよりも長い」という特徴を活かすため、山岳地域の観光地や登山口にも販売を広げた。また、イベントや災害時にも活用できる、移動式トイレとして周知をはかるべく、イベントやボランティアに出かけた。社会的認知を得るために、平成16年2月、「自己処理型トイレ研究会」を設立し、現在はNPOの認可も受けて活動している。
 アグリ事業として行っている千葉県のいちご観光農園「富津アクアファーム」は、採砂場の跡地を栽培施設にしたもの。食料自給率の低さや農家の高齢化、後継者不足問題等、様々な課題を抱える農業で、新たなビジネスモデルを作ることができないかと考えていた折、運よくめぐりあった方との縁で、平成14年9月に開園する運びとなった。いちごハウス内の通路を広くとったことで、養護学校の生徒さんが遠足に立ち寄られるなど、少しは社会貢献が出来たかなと思う。

◆失敗から学んだこと
 運よくトイレが売れたことでスタートを切ったが、その後、どこにどのように進んでいくのかは試行錯誤の連続であった。「人の行く裏に道あり花の山」とニッチな分野に参入したが、売り先に苦労した。また、無理を承知で仕事を引き受け、メンテナンスで苦労し、結果、顧客の信頼を損ねたこともあった。小さな市場でニッチな仕事だからこそ、同業者が結束して技術に関する信頼や市場を広げる努力が必要であろう。
 技術開発では、すべてを自社で開発しようとすれば投資コストは嵩むばかりであるため、自分達に役立つ技術を見つけることが大切だとわかった。また、お買い上げいただいたお客様へのアフターサービスを欠かさないことが、技術改良に繋がっている。

◆最後に
 創業時に目指した「快適環境の創造者」で「社会に役立ち、社員が誇れる会社」となるために、挫けずにがんばっていきたい。また、本当のベンチャー企業になれるよう、親会社から自立していきたい。「土を耕し、種をまき、水を与えて、手入れをし、いつかは花を咲かせ、将来の収穫」を目指して事業を継続していこうと思っている。

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【21年3月度産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ『 新日本製鐵見学会 』

日  時:21年3月5日(木) 11時15分〜16時00分
場  所:新日本製鐵株式会社 名古屋製鐵所
参加者:22名


 今回は、丹羽鐵(株)の森社長のご紹介により、新日本製鐵(株)名古屋製鐵所(愛知県東海市)を見学させていただいた。一行は、バスで午前11時15分に商工会議所ビルを出発して、午後12時頃に現地到着。新日本製鐵公園クラブにて昼食をいただいた後、本社工場内のプレゼンルームに移動して、橋秀治総務部長より、名古屋製鐵所の事業概要をご説明いただいた。  
 その後は、総務部の小俣哲雄マネージャー、松尾陽子さんにご案内いただき、鉄が作られる様子を見学させていただいた。

●新日本製鐵(株)名古屋製鐵所の概要
 名古屋製鐵所は、昭和33年、中部財界の要望により、富士製鐵と地元の共同出資で東海製鐵(株)として誕生し、昭和42には年富士製鐵(株)と合併し、昭和45年には八幡製鐵(株)との合併で新日本製鐵(株)名古屋製鐵所となった。名古屋製鐵所は中部地区唯一の銑鋼一貫製鐵所であり、社内では3番目に大きい工場である。また、大手自動車メーカーの需要地に立地していることから薄板製品の約7割が自動車用鋼板である。また全品種の国内向け出荷地域の約8割が東海地区向けである。
  名古屋製鐵所の大きさは、東西約2km、南北約3km、周囲は約10kmある。面積は623万m2で東京ドームが約130個分にもなる。

●見学の様子
 最初に2007年4月の高炉改修時のモニュメント、マンテルを見学した。普段見ることのできない高炉内部の様子を間近で目にし、参加者は興味深く見学した。
  その後、工場内をバスで移動し、車窓から高炉や火力発電所などを見学した。工場内で使用する電力は、100%自給自足で、1時間あたり35万kw(一般家庭100万世帯分)を使用しているとのことであった。
  No.2連続鋳造ラインでは、高炉で造られた溶銑に含まれる不純物、主に硫黄やリンを取り除き、溶銑予備処理炉(転炉)へと運ばれる。転炉では、少量のスクラップと溶けた溶銑を投入し、上から高圧力で酸素を吹き付けることにより精錬が始まる。脱リン処理、脱炭処理をし、粘り強く、加工しやすい鋼に造り替えるのだ。そこで、どろどろに溶けた状態の鋼を連続鋳造設備へと運んで鋳型に流し込み、水で冷やし固めながら、ここで初めて鉄の固まり、羊羹のような形状の半製品(スラブ)になる。
  次に見学した厚板工場は、「鉄は熱いうちに打て」のたとえ通り、製鋼工程から送られてきたスラブをホットコイルへと造りこむ所である。2つの加熱炉があり、連続加熱炉は厚みが300mm以下のもの、バッチ式加熱炉は300mm以上のものを加熱する。加熱時間は、連続加熱炉が6時間、バッチ式加熱炉が18時間で、1200℃まで加熱する。加熱から出てきたスラブは、粗圧延機へと運ばれ、お客様の注文にあった厚さまで圧延し、幅だしをする。その後、お客様の指定の温度まで冷却していく。
  最後に見学した溶融亜鉛メッキラインは、鉄はそのまま使うと錆びてしまうため、鋼板の上に亜鉛メッキを施すプロセスのラインである。メッキをする板の板圧は0.6mm〜3.2mm、幅が700mm〜1600mm。まず、板をきれいに洗い、板を800℃ぐらいに過熱・冷却して材質を調整する。そして、溶けた亜鉛が入っている釜に板を直接入れ、引き上げるとメッキがついてくる。その後は余分な亜鉛を落とし、お客様の要求にあわせた量をつけるように整える。最後に、検査をして、問題がなければ出荷となる。

 参加者は、真っ赤な鉄の塊やそれが薄く伸ばされていく様子を間近で体感できた。十数m離れた見学コースでも、800〜900℃という鉄の塊が流れてくると、大変な熱さを感じた。その塊が徐々に薄く伸ばされていく様子は、とても興味深いものであった。最後に、プレゼンルームで参加者からの質問にお答えいただき、河村世話人代表の挨拶により、閉会となった。

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【投稿】

『 尾張名古屋事始 』

日比谷総合設備株式会社
加藤 敏

1. 愛知万博の開催がきっかけとなり、名古屋の歴史に少しばかり興味を持つようになった。その年、念願の国家的大事業を初めて開催した名古屋の街には活気が溢れ、人々は七代藩主宗春時代の『享元絵巻』に描かれた栄華の再来に熱狂した。長らく"偉大なる田舎"と揶揄されてきたこの街が、自信に満ちた"大いなる都"であることを広く世界に発信した時でもある。そして、名古屋の元気はしばらく続くことになる。
 来年は名古屋開府400年にあたり、名古屋城本丸御殿の復元事業などが予定されている。本丸御殿は城郭御殿の最高傑作といわれており、いずれは歴史的文化遺産として名古屋の新しいシンボルとなるであろう。建造物の復元により歴史の再発見への期待が高まることは間違いない。そこを舞台として繰り広げられた尾張藩の人々の歴史物語がどんなものであったのか―興味の湧くところである。

2. ところで、尾張藩の歴史といっても一般的にはそれほど知られていないし、地元の人にも身近なものとはなっていないのではないか。それまでの信長・秀吉・家康の三英傑のドラマの華々しさに比べて、メジャーな話が少なくどうしても見劣りがするからである。そこで、素人向けの歴史本がないかいろいろと探してみた。地方史専門書店「マイタウン」の店主で『徳川宗春』などの著作もある舟橋武志さんにも聞いてみたが、なかなか見つからなかった。名古屋市鶴舞中央図書館には名古屋市編纂の『新修名古屋市史』があるが、原始・古代から現代に至るまでの膨大な通史であり、手頃に読めるというものではない。
 昨年末になって、愛知学院大学名誉教授の林董一さんに『将軍の座』という著作があることを知った。まもなくその新版が刊行された。尾張藩の視点から見た将軍の座を巡る御三家の政治力学についてダイナミックに分析されている。引用文献も豊富で読み応えがあり藩政の見どころを満喫できる。同氏には『尾張藩漫筆』というエッセイもあり、藩主の血統や付家老の家柄さらには領地など幅広い分野について書かれている。
 その影響を受けて、名古屋市鶴舞中央図書館に時々足を運ぶようになった。2階の郷土史コーナーにある一連の『名古屋叢書』には多くの史料が収められている。尾張藩御畳奉行の朝日文左衛門重章による武士の日常生活を仔細に綴った長大な『鸚鵡籠中記』は特に有名である。元禄期から享保期までの27年間、二代光友から六代継友までの治世の貴重な世相が描かれている。通史としては、文政から明治にかけて書かれた奥村得義と奥村定の親子二代による名古屋城の百科事典といわれる大著『金城温古録』や、明治に書かれた阿部直輔による編年体の『尾藩世記』が知られている。これら著作の中には名古屋市の「丸八」マークの由来が示されており興味深い。
 また、史料が完全に消失してしまっている七代宗春の足跡は、わずかに『遊女濃安都』という伝承の中に残されている。『夢の跡』や『ゆめのあと』など多くの諸本もあるという。享保期の名古屋の芝居小屋や遊郭などの華やかな賑わいが描かれており貴重な記録となっている。この他にも徳川園・蓬左文庫の家康の"駿河御譲本"など多くの史料が各所に所蔵されている。しかし、これら多くの史料は専門家の手を借りる必要のあるものばかりであり、素人向けではないだろう。
 尾張藩は小説にもいろいろと登場している。その中で清水義範さんの『金鯱の夢』が昔から知られている。豊臣秀吉に秀正という正嫡が誕生して名古屋に豊臣幕府が開かれ、江戸藩という田舎を尻目に大いに繁栄するという物語である。尾張と江戸の関係を全く逆にしたパロディであり痛快である。また、七代宗春の波乱の生涯を面白く描いた清水さんの『尾張春風伝』、十四代慶勝の長州征伐や青松葉事件などを描いた城山三郎さんの『冬の派閥』も広く読まれている。

3. 尾張藩の歴史を辿って気ままな散歩をしているうちに、戦後最大の経済危機が発生し、自動車産業などの挫折もあって名古屋の元気はすっかり影を潜めてしまった。そして、創業の原点への回帰ということが声高に叫ばれている。この街の400年の原点とは一体何であったろうか。"始末"といわれる昔からの質素かつ堅実な気風なのか、それとも今や定番となった"モノづくり"という匠の技なのか、あるいは江戸時代にみられた権威への執着(付記参照)なのか、考え直してみることが必要である。どれも地味なものばかりで派手さはないのが特徴的である。
 "大いなる都"の地位を確保してから、少しばかり有頂天になって持ち前の堅実さを失ってしまっているのではないか。お膝元の日本を忘れてグローバル領域にのめり込んでしまっているのではないか。そう思われてならない。折しも中京財界史をわかり易く描いた城山三郎さんの『創意に生きる』が読まれている。歴史に学ぼうという熱い思いから求められているのであろう。

 この街の将来が再び光り輝くことを望まない人は誰もいない。この時期こそいい機会である。今一度、尾張名古屋の歴史の扉が多くの人々によって大きく開かれることを期待したい。

―気ままな散歩はまだ始まったばかりである。

【付記】
  尾張藩の政治の一面として語られることが多いのは、以下に示すような将軍との確執である。鎖国の中の平和な時代の権力闘争かもしれないが、尾張藩にとっては敗北の歴史といってよい。なぜ勤王という権威に執着する行動をとったのかよくわからない。儒教的名分論の強い江戸時代でなければ、御三家筆頭の地位にとどまることはなかったに違いない。結局は江戸権力に及ばなかったことから幕末には反抗心も弱まってしまった。そして、明治以降は東京への憧憬や羨望という新しい行動スタイルに変貌していったのではないかと思われる。

 家康の九男の初代義直から十六代義宜まで、御三家筆頭でありながら将軍を出すことはできなかった。初代義直をルーツとする尾張藩の思想が勤王であるというのがその理由の一つとなっている。名古屋城東門を入ってすぐ左手に茶店がある。その北側通路脇の二の丸庭園に「王命に依って催さるゝ事―藩訓秘伝の地」という石碑が建っている。この言葉は義直の『軍書合鑑』に書かれている。また、茶店の西隣には「尾張勤王―青松葉事件の遺跡」という石碑も建っている。幕末維新の藩内抗争で勤王派の十四代藩主慶勝が佐幕派を一掃した不幸な事件の足跡を示すものである。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 初代義直や二代光友は、御三家とは公方・尾張・紀州であるという「公方尾紀同格論」を主張し、御三家の位置づけをめぐって三代将軍家光と対立した。四代吉通や六代継友には将軍になるチャンスがあったにもかかわらず、政治力の弱さから紀州に後れをとった。『温知政要』を著わして八代将軍吉宗に反抗した七代宗春も勤王思想を強く主張した。しかし、蟄居謹慎処分を受けて尾張はしばらく沈滞した。
 八代宗勝による再建の時代と九代宗睦による中興の時代を経て、義直の血統は途絶えた。その後は、十代斉朝から十三代慶臧まで紀州の血筋をひく将軍家や御三卿からの"押し付養子"の藩主が続き、将軍への反発は一段と強まった。
 十四代慶勝になり、水戸の血筋はひくものの御連枝である美濃高須藩からの"地元藩主"が復活した。久しぶりに尾張に活気が戻り勤王を御旗に幕末史に登場したが、維新の表舞台に立つことも少ないまま廃藩置県となった。
 このように尾張と江戸との確執は江戸時代を通じて長く続いた。そして、次第に尾張は従順になっていった。

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【新会員自己紹介】

高見 祐次氏
水曜第2グループ

高見 祐次(たかみ ゆうじ)
株式会社セブン・ワイズ 代表取締役

【株式会社セブン・ワイズ】
〒450-0002 名古屋市中村区名駅4-4-17 中経ビル
TEL:052-589-8377 FAX:052-589-8388
URL:http://www.7ws.co.jp/

※中経ビルの立替・取り壊しに伴い、平成21年4月20日より、事務所を移転します。
(移転先)
〒450-0002 名古屋市中村区名駅4-10-25 名駅IMAIビル3階
(電話番号、FAX番号は変更ありません)

 株式会社セブン・ワイズの高見祐次と申します。
  この度、水曜第2グループの世話人 片桐様のご紹介で、中部経済同友会並びに水曜第2グループに加入いたしました。よろしくお願い申し上げます。
  当社は、平成12年10月設立 システム開発、インフラシステム構築・運用サービスを主業務に事業展開をしております。今年で10年目を迎えます。
  事業目的として「情報技術における人材の育成と価値の創造」を掲げ、社内に「ナレッジ・センター(名古屋)」、「ナレッジ・ルーム(東京)」を設置、「学び、教え、導きあうことによりスキルアップを計り、顧客に価値を提供する」を実践する場を設けております。
  また、業務形態がお客様先での作業が大半を占めておりますので、社内ノウハウの蓄積、社員の一体感が不足するという課題も抱えております。社内報「七賢人」、セブンミーティング(社内研修、社外講師によるセミナー、チーム活動の場)、リーダ会等により少しでも解消できる体制で臨んでおりますが、まだまだ、目標と成果とのギャップを埋めることが出来ずもがいております。
  ご縁があり、産業懇談会に参加させていただきますので、この会を通じて多くの方々からのご意見を賜り、自らが学び少しでもこのギャップを埋めてまいります。
  皆様方のご指導、ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

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【4月度産業懇談会開催日程】
場所は、名古屋観光ホテルです。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄
4月14日(火)
12:00〜14:00
(株)モリシマ 取締役会長
深田 正雄氏
「名古屋開府400年、栄ミナミ音楽祭を契機とした街づくり」・・・住吉の語り部となりたい!・・・

18階
伊吹の間

水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇
4月15日(水)
12:00〜14:00

(株)成田製作所 取締役社長
成田 秀一氏
「理想の繋ぎを追い求めて70年」

18階
オリオンの間
水曜第2グループ 片桐清志
内藤由治
4月8日(水)
12:00〜14:00
(株)キャッスル・ファミリー・コンシェルジェ名古屋
代表取締役
植田 貴世子氏
「経済大国から生活大国への大転換が始まります。
〜三英傑を支えた女性達の知恵を活かして家事サービス〜」
18階
伊吹の間
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助

4月2日(木)
12:00〜14:00

豊田通商(株) 顧問 佐原 伸彦氏のご紹介
豊田通商(株) 常務取締役
兵頭 誠氏
「世界の食糧事情」
18階
伊吹の間

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【5月度産業懇談会開催日程】
場所は、名古屋観光ホテルです。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄
5月12日(火)
12:00〜14:00

東海理化販売(株)
取締役社長 岩佐 泰樹氏
「実業の狭間で中部のデザイン界と共に40年」
〜ものづくりからことづくりへの転換点を迎えて〜 (仮)

18階
伊吹の間
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇

5月20日(水)
12:00〜14:00

(株)リーダーズドメイン
取締役会長 窪田 貞三氏 
「今こそチャンス、理念経営成功法」
18階
伊吹の間
水曜第2グループ 片桐清志
内藤由治
5月13日(水)
12:00〜14:00
水口・中村法律事務所
弁護士 中村 弘氏
「不動産取引と瑕疵担保〜売買した土地等から予想外の廃棄物や有害物質が出てきたとき等の紛争はどのように処理されるのか」
18階
伊吹の間
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助
5月7日(木)
12:00〜14:00
(株)ポッカコーポレーション
創業者最高顧問 谷田 利景氏
「私の50年にわたるチャレンジ人生
<コカコーラに挑んだ男>」

18階
伊吹の間

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。

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【コラム】

花ちゃんからの健康だより
〔花ちゃんからの健康だより〕 No.60

株式会社 スズケン
保健師 佐藤 花子

『 良い姿勢にこだわりましょう! 』

 あちらこちらに花が咲き、時折吹く春風の中、いろいろな出会いがあります。良い姿勢の方に出会うと、すがすがしい好印象を持ちますね。さて皆様の姿勢はいかがでしょうか。
 
 いつも、パソコンやテレビの画面に頭だけ近づけたり、立っていて疲れてくるとお腹をつき出してしまったり、座るときに背中を丸めたりしていませんか?姿勢について注意されることなく生活をしていると、いつの間にか悪いくせがついて、猫背や、お腹が突き出た姿勢、一方の肩が下がった姿勢など悪い姿勢になっています。見た目で損をするだけでなく、いろいろな健康障害を引き起こしかねません。姿勢が悪い人は、骨で体重を支える機能を生かしきれず、筋肉で引っ張って身体のバランスをとろうとするため頭痛・肩こり・腰痛などで悩むことが多くなります。

 特に現代は、パソコン画面を見ながら入力する仕事が多いですね。そのとき、前傾姿勢で頭を突き出し、猫背でパソコン作業を長時間していると、後頭部の付け根の筋肉が疲労して硬くなり、この筋肉の間を通る大切な神経を締め付けるため、緊張性頭痛を引き起こします。実は頭痛の8割がこの緊張性頭痛。その特徴は、午後および残業時間や寝起きに、頭の後ろから頭頂部にかけて鈍痛が起こります。猫背がひどくなれば、頭痛はますます悪化して、前頭部にも広がって目の奥に痛みを感じます。さらに吐き気やめまいなどを伴うことさえあります。最近、このような頭痛に悩む人が多く、職場の生産性に影響していることが問題になっています。
 一般に役職者には肘掛つきの椅子が与えられます。肘掛があれば首や肩への負担が軽減されますので、一日中事務職の人にも肘掛つきの椅子は必須かもしれません。

 新入社員のほとんどは、恵まれた体格を持ち、内科的にも問題のない健康体で入社してきます。気が張って仕事に没頭し過ぎると、悪い姿勢から慢性疲労を起こし、心まで疲労してしまい五月病の原因になります。長時間仕事に集中し、悪い姿勢を続けていれば、姿勢を良くするように注意し、必ず休憩を取るようにこまめに声をかけてあげましょう。
 新年度のスタートにあたり、今一度、良い姿勢にこだわり、頭痛、肩こり、腰痛を予防しましょう。

健康の基本は良い姿勢 骨に本来の仕事を きちんとさせましょう

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コラム【理念経営物語】
株式会社リーダーズドメイン代表取締役会長
窪田経営塾塾主
窪田 貞三

理念経営成功例:No.10

判断・決断の基

  カリスマ性のある経営者やリーダーシップ力の強い経営者という言葉を聴くと、「頼りがいのある経営者」というイメージが沸いてくるのではないでしょか?そして、こういう経営者は「判断力・決断力に長けた経営者」というイメージもあるでしょう。ある会社に、二代目社長がいました。彼の社内での渾名は「欠断社長」と言われ、決断力のない経営者としてのイメージが定着していました。先代の創業社長が判断力・決断力に長けた経営者であったために、余計にこの二代目社長はそういうイメージを持たれたのでしょう。ところで、この話を聴くと、二代目社長が非難されそうですが、はたしてそうなのでしょうか?企業経営とは、ゴーイングコンサーン、つまり継続することが大変重要なことです。どんなに優秀でカリスマ性のある創業者がいても、その後を継いだ経営者達が、継続できなければ、その創業経営者は優秀な経営者だったと言えるのでしょうか?この二代目経営者は日々悩んでいました。そんなある日、友達の経営者に誘われて、「理念経営」というテーマの講演を聴きに行きました。彼はそこで「目から鱗が落ちる」まさしくそういった体験をしました。その講演内容の中で、「判断・決断は人の考えでするのではなく、理念に基づいてするもの。経営者が代わっても、常に同じ基準で判断や決断が下されるべき。つまり、理念を持った経営者は常に判断・決断が出来、ブレナイ経営が出来る!」という話を聴いた瞬間の出来事でした。その後二代目経営者は、理念を創り、その理念に従い、判断・決断をして行きました。しかし、判断・決断に慣れていなかったこともあり、迅速な判断・決断には時間がかかりましたが、常に自分自身を奮い立たせ、徐々に「自分に自信がなくても理念に自信があれば大丈夫」と自分に言い聴かせながら、判断・決断をするようになり、いつの間にか先代社長以上に迅速な判断・決断が出来る「決断社長」と呼ばれるようになりました。

解説

人間とは弱いものです。考え方がブレナイ人はいません。だからこそ、経営理念というブレナイ考え方を持ち、例え一時的にブレタとしても、理念に戻れば、経営における判断・決断はしやすくなるものです。

理念経営論

理念経営論とは、
根本にある理念に基づき、ビジョンに向かい、
木(企業組織)は成長していく。それが理念経営論です。
根をしっかりと伸ばすことで、木は成長します。
理念経営論は、
(1)本質的経営=理念創造・実現経営
(2)夢実現経営=ビジョン創造・実現経営
(3)実践的経営=全社員自立・実行経営

以上、3つの柱から出来ています。

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コラム【苗字随想】
〔苗字アラカルト〕 No.82

片桐清志

「結」と「納」

 糸篇の漢字には動作や様子を表す字も多い。そんな中から今回はこの時期に良く見かける字に因んだ苗字に注目してみた。
 まずは「結」で始まる苗字で、22種見つかった。今では「ムスブ・ムスビ」と読むことが多いが結納のように古くは「ユウ・ユイ」が一般的だった。苗字でも主流はユウだ。代表格は結城で堂々の1000番内にランキングされている。ユウの読み方が残っている苗字には結川(ユウカワ)、結岡(ユウオカ・ユイオカ)、結崎(ユウザキ・ユイサキ等)、結田(ユウダ・ユイダ)、結野(ユウノ・ユイノ・カセノ)、結南(ユイナミ)などがある。
 一字姓の「結」もあってユイとムスビの両方の読み方がある。ユニークな苗字としては結束(ケッソク・ユイツカ)、結縁(ケチエン・ユウエン等)、結縄(ユイナワ・ユウナワ)、結馬(ケツマ・ケチマ)、結解(ケツゲ・ケッカイ・ケッケ・ユイゲ・ユゲ等)などが見つかった。残念ながら「結納」も「結婚」も見つからなかった。
 「納」で始まる苗字も結構多く、35種見つかった。一字姓の「納」もあり、オサメ・ノウ・イリ・ナ等の読み方があるようだ。オサムの読み方が残っているのは納内(オサムナイ)ぐらいだが、納薩はノウサ・イリサのほかにヌサツ・ヌサチという読み方がある。 
 ユニークな苗字としては納屋(ナヤ・イリヤ・ノウヤ)、納家(ナヤ・イリヤ・ノウヤ)、納戸(ナンド・ノト)、納所(ナソ・ノウソ・ノウショ)、納言(ナゴン)、納米(ノウマイ・ナウメ)、納金(ノウガネ・ノウキン)、納本(ノウモト)、納城(ノウジョウ)、納富(イリトミ・ナトミ・ノウトミ等)、納部(イリベ・ノウベ)などが見つかった。
 このほかの動作を表す糸篇関係の苗字では「続」が11種見つかった。続橋(ツヅキハシ・ツギハシ)、続石(ツヅキイシ)、続麻(ツヅキアサ)、続田(ツヅキダ)などがある。一字姓の「続」もあって、ツヅキ・ツヅク・ツギとお呼びする。
 「継」の一字姓もあってツグ・ツギ・ツゲとお読みする。継枝(ツギエ・ツギエダ)や継国(ツギクニ)、継辺(ママベ)など9種類見つかった。
 おどろいたのは「終」だ。苗字にはあまりふさわしくなさそうだが、終日(ヒネモス)、終夜(シュウヤ・ヨスガラ)の2種が見つかった。さすがに一字姓の「終」は見つからなかった。

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【平成21年3月号編集後記】

 日本中を沸かせたWBCは「侍JAPAN」が見事V2を達成した。久々に元気の出る明るいニュースだ。V2記念セールをはじめたところもあり、桜前線と一緒になって景気回復のきっかけとなってほしいものだ。
 WBCの熱戦が気づかせてくれたのは野球の醍醐味だけではない。「日の丸」の意味だ。オリンピック同様、国を代表する戦いはいやが上にも国中を熱気に巻き込み、国民の心をひとつにしてくれる。
 見落としたくないのはライバルの存在だ。五度にわたり宿命の対決になった韓国の存在は大きい。オリンピックの金メダルとWBCの前回覇者の対決は球史に残る名勝負となった。スポーツに限らず良きライバルの存在は活力の源だ。
 もうひとつ忘れてならないのが人材の発掘と育成だ。サムライたちは突然出現したわけではない。イチローを発掘し、チャンスを与え、超一流に育てた多くの指導者の存在だ。本人の努力も並大抵ではないが、眠っている才能を引き出すのも超一流の指導者の手腕だ。 「菊作り 菊見るときは 陰の人」の句を思い出す。大輪の菊は土作りからと聞く。企業も同じだろう。いくら素材が良くても企業風土が貧弱だと人材は育たない。「人材はいないのではなく、育てていないだけ」かもしれない。目先の勝負にこだわって、人材の芽を摘まないよう心がけたい。

 年度末で同友会も各委員会の提言が相次いでいる。労作揃いの中で企画委員会が取りまとめた「日本の中長期ビジョンを考える、中部から」は是非とも一読したい。変化の大きな時代に困難なテーマに果敢にチャレンジした意欲作だ。「盛村茂夫さんの一日」という切り口で、2025年のナゴヤのイメージを描いている。読みやすさに配慮し、カラー刷りのイラスト入りのスタイルは経済団体の提言書としてはユニークだ。

 今月の「産懇宅配便」は例会模様に加え、加藤敏会員から「尾張名古屋事始」の投稿をいただいた。氏の長年にわたる研究の一端をご紹介いただいた。続編を期待したい。名古屋検定なども活況で、4月には「住吉の語り部」深田世話人が火曜グループで名古屋開府400年のスピーチを予定している。普段見落としがちな足元を見つめなおすきっかけにしたい。

(片桐)