産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】   第59号 2007.4.28発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成19年4月度(第59号) 目次

産懇宅配便
【19年3月度産業懇談会(水曜2G)模様】 3月14日(水) 12時00分〜14時00分
【19年3月度産業懇談会(水曜1G)模様】 3月28日(水) 12時00分〜14時00分
【19年4月度産業懇談会(木曜G)模様】 4月5日(木) 12時00分〜14時00分
【19年4月度産業懇談会(火曜G)模様】 4月10日(火) 12時00分〜14時00分
【19年4月度産業懇談会(水曜2G)模様】 4月11日(水) 12時00分〜14時00分
【新会員自己紹介】
奈良 進氏 株式会社 ビーハーフ 代表取締役
【5月度産業懇談会開催日程】
【6月度産業懇談会開催日程】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1  『花ちゃんからの健康だより』
コラム2  『プログレスシリーズ』
コラム3
『苗字随想』
コラム4 『鉄道の歴史と切手の世界シリーズ』

【19年3月度産業懇談会(水2G)模様】


テーマ『 中堅企業における経営革新の歩み〜トヨタ生産方式導入を中心に〜 』

日  時:19年3月14日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 オリオンの間
参加者:24名

 

スピーカー:
鈴木 忠明(すずき ただあき)氏
大日コンクリート工業株式会社 取締役専務

鈴木忠明氏

 名古屋で高校まで過ごし、北海道で大学生活を過ごした後、昭和59年に新日鐵に入社した。入社後2年半を室蘭製鐵所工程管理部門で勤務した。製鐵所は24時間稼動しており、トラブルが起こると夜中でも駆けつけ、また、現場の信頼を得て始めて仕事が回るので、人間関係も含めて生きている現場、ものづくりの原点の中で過ごした。同時に、採用リーダーとして出身校の学生採用に携わるが、当時は鉄鋼不況で、学生に声をかけても全く反応がない。苦労してなんとかアポイントをとった学生が優秀な人材であれば、今度はどうやって自社を売り込むかに知恵を絞った。当時は売れない商品を売るというのはこういうものかと思ったが、これは営業の原点と考えている。
  その後、本社の営業企画部門に異動し、中期計画や設備投資計画を作成する仕事についた。マーケット動向を調べ、利害関係者の話しを聞き、大組織の中での複雑な利害を調整し、常に関係者が納得できる落としどころを見つけることをめざして奮闘した。
  平成元年から、新規事業の企画・立ち上げに携わった。まず、米国ベンチャー企業の商品の日本化のために、日本市場を自ら歩いて商品仕様を決定し、ベンチャー企業との共同開発を推進し、その営業までを実践した。さらに、新規事業部門の自立化に向けて、事業部の企画調整部門において、事業の選択と集中で黒字化に向けた仕組み作りをした。
  平成13年、新日鐵での約17年の勤務を経て、父親の経営している現在の会社に入社した。当社は、名古屋に本社を置く、売上が100億円弱のコンクリートポール(電柱)メーカーである。主要顧客はNTT、四国電力、東京電力である。また、ポール工事は、コンクリートポールに拘らず、鋼管を含めた設計施工を行っている。東海地区では、三好CC、藤岡CC、岐阜関CC、GC大樹等の防球ネット、最近では新日鉄名古屋の環境対策用の防塵ネットを手がけた。
  入社当時の当社を取り巻く環境は、主要顧客であるNTT・電力会社が、民営化と自由化に伴い、安定供給と品質に加え、価格、提案力を厳しく要求するようになったとともに、長引く不況による需要の低迷、競合他社との価格競争の激化といった大きな変節点にあった。そこで当社も、環境の変化に適合するための変革が必要であったが、従来の安定需要に支えられたイメージから脱却ができず、従業員の危機感は必ずしも高くはなかった。
  そこで、まず全社員にアンケートを実施するとともに、全社員との個人面談を行って、社員の会社に対する思いや問題意識を確認したうえで、経営改革への取り組みを開始した。
  平成13年10月に、顧客志向を徹底させるため、顧客志向の組織改正として、「当たり前のことを確実に実行する仕組み作り」をスローガンに、顧客の視点にたった品質基準の再構築、セグメント別収益および課題管理の徹底するための事業部制の導入、製販一体化を実施した。
  平成14年5月には、コアのポール事業の強靭化と新規事業への取り組み開始を目的に、経営革新プロジェクトを立上げ、同年11月には全社員に向けて「第二の創業に向けた今後の事業方針」を発表し、QCDSE(Quality, Cost, Delivery, Safety, Environment)No1.をスローガンに全社的な取組を開始した。QCDSE No1.のための3本柱として、生産改革プロジェクトの推進、成果創出型人事制度の導入、およびデリバリー&業務改革プロジェクトの推進を行っている。
  平成15年1月に開始した生産改革プロジェクトは、当社の現場に即したトヨタ生産方式の導入である。まず、第1ステップとして、スタッフを中心に品質、安全の向上(職場環境の向上、不良の撲滅)、生産性の向上(サイクルタイムの短縮、多能工化)、在庫の削減(基準在庫設定による欠品の撲滅)に取り組み、第2ステップとして現場積極参加で提案制度の充実、工程ごとの部分最適から全体最適へ、サイズ別原価管理に取り組んできた。そして現在は、第3ステップとして全員参加&責任の明確化、安全再対策、徹底した標準化、ベンチマークに基づく目標管理を実施している。トヨタ生産方式の真髄は「当たり前のことを確実に実行しフォローしていく仕組み・文化」と認識しているが、そのためには徹底的な標準化、視える化、ヒトづくりが重要である。しかし、プロジェクトの発足から3年たった今も、まだ満足できるレベルには到達していない。また、生産性も当初は2割程度向上したが、その後は一進一退の状況である。しかしながら、経営トップがコミットし全員参加型で、継続して地道な努力を積み上げていくことが大切だと思っている。
  平成15年4月には、従来の年功序列から、知恵と汗の報われる成果創出型人事制度を導入した。目標管理、収益意識は定着しつつあるが、マネジメントの強化とリーダーシップの発揮はバラツキが大きく、従業員満足度のバラツキも大きい。
  平成16年10月には、デリバリーNo.1の維持、強化、経営の意思決定スピードの向上、ホワイトカラーの生産性向上を目的に、デリバリー&業務革新プロジェクトを発足した。翌年12月には新システムが運用開始され、在庫確認、納期回答の迅速化は実現したが、業務生産性向上は今後の課題である。
  一方、工事部門では、事業別の損益を明確にし、「赤字の現実」を直視することからスタートし、事業への思いの強い若いマネジャーに任せたところ、業績が急回復し、黒字化を果たした。責任を明確にして権限を委譲し、信念を持って地道な努力をすれば結果がついてくる成功例である。
  一方、新規事業としては、お客様のニーズにお応えし、コンクリートと鋼管を複合した商品、鋼管のみ商品の提供を推進している。更に今後は、お客様のニーズを具体化するため、お客様にエンジニアを派遣し、商品提供にとどまらず、設計から、生産、運搬、施工、点検、メンテナンス、廃棄処理までのライフサイクル全体にわたるサービスや、次世代電柱の開発をも視野に入れた展開を目指している。
  当社は、お客様に最初に声をかけてもらえるベストパートナー企業、社員ひとりひとりの成長と会社の発展がスパイラルアップする企業、ポールをコアとしたトータルソリューションの提供により社会インフラの向上に貢献する企業でありたいと思っている。
  平成16年からは、全社員参加の社員総会を開催し、以上のような理念、目標と成果の共有化を行っている。

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【19年3月度産業懇談会(水1G)模様】


テーマ『 法律よもやま〜裁判員制度について 』

日  時:19年3月28日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:19名

 

スピーカー:
酒井 俊皓(さかい としつぐ)氏
酒井法律事務所 所長・弁護士

酒井 俊皓氏

 名古屋弁護士会(現在の愛知県弁護士会)に登録して35年になる。中学3年の時に父親が脳梗塞で倒れたため、自分が弁護士登録をして一緒に事務所で過ごした期間は2、3年ぐらいしかない。一緒に法廷に立ったことがないのが残念だ。昨年娘が司法試験に合格。愛知県弁護士会で三代目を迎えるのは、自分で3人目だが、不思議なことに皆三代目は女性だ。
  弁護士をしていて、一番良かったのは、この資格のお蔭でいろいろな方とお知り合いになれたことであり、これは財産だと思う。
  弁護士になってすぐの頃、名古屋で大きな会社が倒産し、偶々それに関わった大手商社の審査部に友人がいて一緒に仕事をした関係で、その延長の中小企業の取引のトラブル、企業法務・契約書の作成などを扱っている。現在、日弁連の業務改革委員会に出向していて、中小企業庁と事業承継のいろいろなスキームを考えているが、中小企業は企業全体の8割を占めるので、この事業承継が経済発展につながると思っている。スポーツが好きで、プロ野球の法的な問題を扱うこともあって、スポーツ法の制定運動をしている。
  裁判員制度については、すでに導入が決まっていて、法曹の一人として普及に努めるのが使命だと思いお話しする。
  政府では、様々な行財政改革に取り組んできたが、10年ほど前から司法改革が言われてきて、大きく分けて三つの取り組みを行なうことになった。この21世紀型司法改革の理念は、国民の身近で、早くて、頼りになる司法の実現にある。まず、時間がかかりすぎるといわれる裁判の改革だ。裁判は2年で終わらせることが目標になった。第二は、司法制度を支える法曹の改革で、法曹人員の拡大と法曹の活動分野の拡大だ。第三が、国民の司法参加で、これが裁判員制度を中心とする改革だ。
  この裁判員制度の概略は、次のようなものだ。原則として、人員構成は、裁判官が3人、裁判員が6人だ。そして、権限として、事実の認定、誰が・いつ・どこで・何をしたか、それがあったのか、無かったのか、あった場合にはどういう量刑となるのかを決めることになる。
  裁判官のみに与えられる権限としては、訴訟手続きの判断、証拠の採用・不採用、法的な解釈の問題である。
  アメリカ、イギリス、カナダの陪審員制との相違はというと、陪審員は12人が選ばれて、飽くまでも有罪か無罪かの評決をするだけだという点にある。裁判官は、裁判の進行の手続きを担当することになっている。また、ドイツでは参審制と言われて、原則として裁判官1人、裁判員3人で裁判が行なわれるが、裁判員の選任は政党、地域団体の推薦となっていて、半年間というような一定期間裁判に従事するため、多くの裁判に関わるという点で、日本の制度とは異なっている。
  年間3,000件の事件が対象となると、一人あたり、1回ちょっと〜6回ぐらいまで裁判員をする可能性がある。年間、3,500人に一人の割合で選ばれることになり、企業によっては、特別休暇を検討するところも出てきた。
  対象となる事件は、罪名別では強盗致傷、殺人、傷害致死、現住建造物等放火、危険運転致死などである。ただ、これらの犯罪でも、裁判員の身体・財産に危害が加えられる可能性の高い事件については例外的に裁判員を使わないことになっている。
  評決は、裁判官3人と裁判員6人の多数決だが、多数側に裁判官か裁判員かのいずれかが入っていない場合は協議のやり直しとなる。
  その裁判員はどうやって選ばれるかについては、まず事件毎にくじが作られる。そして、欠格事由や就職禁止事由、事件に関連する不適格事由、理由を示さない不選任請求などの事由に該当しない人の中から、さらに抽選となる。選任された場合、辞退できるのかというと、70才以上、会期中の地方議会議員などの事由による以外、原則的にはできないことになっている。問題は、止むを得ない理由という場合、何をどこまでを認めるのかという運用である。
  裁判員には守秘義務があって、評議の内容、裁判で知り得た情報などを漏らすことについては、罰則を設けて厳しく制限している。但し、裁判員を奨励するような経験者の話は、この制度を維持する上で、今後重要になってくると考えられている。一方で、個人情報の保護のため、裁判員の名前は非公開。訴訟記録においても非公開となる。
  裁判員になると旅費、日当、場合によって宿泊費が支給されることになっているが、幾らになるのかはまだ決まっていない。
  これまでの裁判の進行と異なって、公判の前に、冒頭陳述を開示し、弁護側が争点を絞り、その証拠を整理するといった準備手続きを事前に行なうこと。さらに連日開廷ということなので、通常、裁判は3、4日で終了することになるはずだ。
  裁判員に対する罰則もいくつかあるが、例えば不渡りが出て、急に資金手当てをしなくてはいけないようなケースが発生して、裁判にでられない場合に不出頭罪が適用されるのか、運用には依然として問題がある。検察庁は無罪が増えると心配し、弁護士会は有罪が増えると心配している。模擬裁判をやると同じ事件を扱っても、死刑から執行猶予まで幅広い判決が出てしまう現状では、この制度の定着には相当程度の時間がかかると思われる。しかし、この制度の普及の目的は、国民の意思、国民の目線で刑事裁判を行なうということなので、法曹の一人として、皆様にご協力をお願いする次第である。

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【19年4月度産業懇談会(木G)模様】


テーマ『ミッドランドスクエアから眺めた名古屋・愛知・中部』

日  時:19年4月5日(木) 12時00分〜14時00分
場  所:ミッドランドホール 5階会議室
参加者:44名

株式会社三清社 取締役社長
大岡 洋三氏のご紹介

スピーカー:
神尾 (かみお たかし)氏
東和不動産株式会社 取締役社長

神尾 隆

 ミッドランドスクエアの展望台から見渡す景色には県境など存在しない。愛知県、岐阜県、三重県が全く区切りなく一望出来る光景は、いずれこの三県が中部としてひとつになって歩みだすであろうことを予感させる。
  ミッドランドスクエアの来場者は、3月6日の開業以来、僅か1ヶ月あまりで既に200万人に達した。年間来場者数は1,600万人を想定しているが、初年度はそれを大きく上回る程の賑わいである。この周辺には、全部で10棟ほどの高層ビル建設の見通しがあり、今後10年で名古屋駅周辺は大きく姿を変えていくことになる。

  東和不動産は昭和28年に設立され、昭和30年にミッドランドスクエアの前身となる豊田ビルを竣工した。その後、昭和37年に大阪心斎橋に大阪豊田ビル、昭和48年には名古屋駅前に第二豊田ビル、平成元年には東京三田にセンチュリー三田ビル、平成14年には名古屋駅前にセンチュリー豊田ビル竣工という形で名古屋、東京、大阪と事業を拡大していった。また、平成12年にトヨタ自動車と毎日新聞社の共同事業として高層ビル建設の構想が立ち上がり、このほどミッドランドスクエアとして完成を迎え、今日に至っている。

  中部地域はものづくり産業が非常に活況であるが、一方で観光力に乏しく、多くの観光資源を有しているにもかかわらず、外国人観光客数などは他の地域と比べて少ないのが現状である。世界中の人々が、行ってみたい、働いてみたい、住んでみたいエリアにするためには、愛知県、岐阜県、三重県が観光やサービスの面においてもしっかりと広域連携を図って、歴史、文化、自然を核とした賑わいのあるエリアにしていかなければいけない。
  また、名古屋駅前には次々と高層ビル建設が進み、多くの人で賑わうようになりつつあるが、一方で栄周辺が衰退していくようではいけない。やはり競争し合って共に栄えていくという形、更には、エリア毎に栄えるのではなく、名古屋駅前と栄を結ぶ大通りに歩く楽しみを創出して、流れの中で共に栄えていくという形を目指す必要がある。
  名古屋市では、2010年の開府400年に向けて、名古屋城本丸御殿の復元を進めている。この名古屋城や徳川美術館などを中心として、歴史の道を辿ることができる古きよき町並みを再現していかなくてはいけない。また、大通りを歩行者天国として、通り沿いにカフェが軒並み連ねるような明るく開かれた町づくり、また心の豊かさを享受できるよう都市環境づくりも必要である。

  ミッドランドスクエアのコンセプトは、「感動と潤いの都市空間」、「環境・社会への配慮」、「最先端の技術」である。
  世界初のシースルーダブルデッキシャトルエレベーターは、分速360メートルの速度で最上階まで約40秒、全4基で最大264人を一挙に輸送できる。また、屋上の展望台スカイプロムナードは吹き抜け構造で、外気を感じることが出来るのが大きな特徴である。この展望台が人気で、昼はお年寄り、夜は若いカップルで大変賑わっている。オープン以来、一日平均5,000人が訪れ、既に来場者は16万人に達した。また地下1階には、吹き抜けのサンクンガーデンなどを設けることによって快適な地下空間を演出しているし、更にはタクシーベイを設置することで、風雨に晒されることなくタクシーへの乗り継ぎも可能とした。また地下には地域冷暖房施設を設け、ミッドランドスクエアだけでなく近隣のビルにも冷暖房のもとになる冷温水を供給することも可能とした。その他様々な省エネ対策を施すことにより、ビルのライフサイクルCO2の排出量を従来に比べ約25%カットすることができた。耐震に関しては様々な対策を施し、中央部に人間の背骨に相当するような巨大な鉄の心柱を高さ240メールにわたって通している。また大地震発生時の揺れを吸収するアウトリガーダンパーや中地震や風の揺れを吸収するATMDなどによって更にそれを補強し、これらによって想定外の大きな揺れにも耐えうる防災拠点並の耐震性能を実現している。

  これからの時代はものづくりだけでは生き残っていけない。もちろんものづくりは必要不可欠であるが、そこには歴史、芸術、自然といった文化の薫りがなくてはならない。そのために、今後も東和不動産がその街づくりの役割の一端を担っていきたいと考えているし、またミッドランドスクエアが、中部の中心地=国際都市名古屋を象徴するランドマークとして、また、年間1,600万人が交流するビジネス、商業、文化の情報発信基地として、大きな役割を担っていくことを願っている。

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【19年4月度産業懇談会(火G)模様】


テーマ『 ひきこもりからの脱却、そして今、そして未来 』

日  時:19年4月10日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 オリオンの間
参加者:18名

スピーカー:
横田 成人(よこた なると)氏
株式会社ヨコタエンタープライズ 代表取締役

横田成人氏

 39歳の若輩者でこれといった輝かしい功績もないが、かつてひきこもりを経験する程に精神力の弱かった私が、5年程前に物流会社を立ち上げて、小さいながらも会社を経営するまでに至った体験をお話させていただきたい。

  私は父が45歳の時に生まれた子供で、大変甘やかされて育ってきた。比較的裕福な家庭だったこともあって、欲しいものは直ぐ手に入り、そのため幼少の頃から自己中心的な性格で、大変わがままだった。勉強もろくにしなかったせいで大学受験にも失敗して、2年間の浪人生活を余儀なくされた。ようやく大学に合格しても、学業に専念するどころか、当時結成したイベントサークルやトラックドライバーのアルバイトに明け暮れていた。
  そのような大学生活を送った後、父が建築業を営んでいたこともあって、関西の建築会社に就職することになった。しかし、それまで全く苦労した経験もなかったため、直ぐに社会の厳しさに直面することになる。建築会社に就職したとはいえ、図面すらまともに書けないレベルで、次第に先輩たちから馬鹿にされるようになった。その内に、周囲の人と目を合わすことが怖くなって、人気がないところを探しては、何時間もさぼって気を休めるという日々を繰り返すようになった。段々と会社に行くのも気が重くなり、しまいには朝出社すると直ぐに姿を消して一人、時間を潰した。結局、このままでは会社に迷惑を掛けるだけだということで辞表を提出した。
  退職後は、大学時代にアルバイトの経験があったことから、トラックドライバーになろうと考えたが、母の猛反対に遭って諦めざるを得なかった。そこで仕方なく、地元の建築会社に再就職することにした。しかし、そこでも過去の記憶が蘇って、まともに仕事はできなかった。日に日に症状は悪くなり、やがては精神状態も極限に達して、「生きている価値もない。」「死んだら明日は来ない。」と、自殺が頭をよぎり、時には春日井の山中をバイクで彷徨ったこともある。しかし、それも中途半端に終わり、結局は建築業界ではやっていけないと断念して2度目の退社をすることになった。
  会社の重圧からは開放されたが、精神的には全く回復することはなかった。次第に人に会う気も起きなくなり、家に閉じこもるばかりの生活になった。たまに車で外出しても喫茶店に入る勇気さえなかった。高速道路の高架下に車を止め、アンテナ付の小型テレビを片手に必死に笑ってみたりするのだが、少しも改善の兆しはなかった。しかし、何とかしなければいけないという気持ちは常にあって、自己啓発の本を読んでは、何故人並みに生きられないのかと何度も自問自答して、出口を探すために必死にもがいていた。
  そういう時期が暫く続いたが、やがて貯えも尽きてきたため、今度は母親の反対を押し切って運送会社でトラックドライバーの仕事を始めることにした。大型免許があっただけではなく、仕事中も一人でいられるという理由が大きかった。しかし、この仕事をきっかけとして、徐々に精神的にも回復していった。
  その運送会社で貯めたお金を元手に、自らの会社を立ち上げたのは平成8年のことである。当時は様々な事業に手を出したが、収益は一向に上がらず、どれもが中途半端に終わっていった。当然、資金もあっという間に尽きて、半年で閉業となった。しかし、この頃には、いざとなればトラックドライバーがあるという安心感があって、ひきこもりに逆戻りすることはなかった。その後も、トラックドライバー、二度目の事業立ち上げ(後に閉業)、再びトラックドライバーと職を転々と変えたが、最後に働いた運送会社で、非常に熱心に働く先輩たちの仕事ぶりに感化され、何とかこの仕事を乗り越えてひとり立ちしようと心に決めて自分なりに頑張ったおかげで、徐々に仕事に対する自信もついていった。
  現在の物流アウトソーシング事業を立ち上げたのは、平成13年10月のことである。立ち上げ当初は資金繰りにも苦労して、最初の2年間は黒字を出しながらも非常に苦しい経営が続いたが、ようやく3年目になって事業が軌道に乗るようになってきた。その間、非常に忙しく、給与明細もろくに従業員に渡せないような状態であったにも関わらず、従業員たちはよくついてきてくれたと感謝している。

  かつては親に頼ってばかりいた自分だったが、ようやく、どんなに苦労しても人に頼ることなく、やっていけるようになった。この間、様々な人たちに助けられ、数々の助言も貰った。また、亡き父も自分にたくさんの言葉を残してくれて、それが今でも自分の支えになっている。ひきこもりを経験し、生きる価値を見失っていた時期もあったが、今は生きていて本当に良かったと思っている。
  要領よく楽な道を選べば、それはいずれ自分に跳ね返ってくる。またその反対で、地道に誠実に努力を重ねれば、やがて春は訪れる。かつて悩み苦しんで遠回りをした経験も、今では自分にとって大変大きなプラスとなっている。最近では、ささやかな自分の経験を少しでも人のために役立てられないかと、ニート、フリーターを前に講演をしたり、ラジオ局のイベントで体験談を話したりしている。

  最近の運送業界は、排ガス規制や原油価格の高騰などの影響もあって非常に逼迫した状態である。また、規制緩和により新規参入も増えて、益々競争は激しくなっている。こうした中、当社では常に高い物流品質を維持し、掲げた目標に向かって決して諦めることなく、事業に邁進していきたいと考えている。

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【19年4月度産業懇談会(水2G)模様】


テーマ『 中国の現状・展望と三菱商事の戦略 』

日  時:19年4月11日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 桂の間
参加者:35名

三菱商事株式会社中部支社 業務経理部長
矢田部 一嘉氏のご紹介

スピーカー:
茂木 宏(もぎ ひろし)氏
三菱商事株式会社 中国事業戦略オフィス室長

茂木宏氏

 中国は、エネルギー、環境、省エネ分野で世界最先端の技術を有する日本と協力関係を結ぶことを強く望んでおり、今回の温家宝総理の訪日でも、多数の関係者を引き連れてくる。これらの分野は、初期投資に大変な資金が掛かることが導入のネックになっている。そこで、中国政府が自国企業に省エネ、環境対策等を推進することを国民に周知させた上で、日本政府と共に資金を供出し、日本の技術や設備の導入に繋がるような仕組みをつくることがベストではないか。それによって、日本のスタンダードがアジアスタンダードになり、ひいては、グローバルスタンダードになることも期待できる。
  欧米企業は既に中国の省エネ分野にいち早く取り組んでいる。特にゼネラル・エレクトリック社等は北京五輪のワールドワイドパートナーとして、関連製品の売込みを図っている。我々の入手した情報では、これらの企業戦略には政府による相当な資金援助があるようだ。また最近では、多くのエネルギー・資源保有国が政府の積極的な介入によって世界的地位を高めている状況もある。今後の対中ビジネス促進にあたっては、日本ももっと強力に政府主導で臨まなくてはいけないのではないか。

  中国企業の海外進出は、引進来(外資の呼び込み)から走出去(打って出る)に変わりつつある。中国は改革開放以来、海外からの投資によって成長を続けてきたイメージが強いが、今では逆に中国企業が生産拠点の海外移転、海外市場の開拓、エネルギー・資源確保に積極的に乗り出している。中国が世界経済に及ぼす影響は相当なものがあるので、このような中国の動向は、常に注視しておくべきであろう。
  一口に中国といっても、地域によって人の考え方も文化も全く違う。また、揚子江の北では小麦を食べるが、南では米を食べるというように、食文化までが異なる。従って、中国は単にひとつの国と捉えるべきではないかもしれない。
  中国の貿易額は04年に日本を抜き、米国、ドイツに次いで世界第3位となった。また、日本、韓国、ベトナムの貿易相手国第1位は中国であり、米国、台湾、ロシア、インド、チリにおいても中国が第2位に入っている。中でも、地理的に中国の正反対に位置するチリのような国との間にこのような貿易関係があることは驚くべき事実である。
  中国は世界でも有数な消費大国になった。面白い例を挙げると、中国の豚肉消費量は世界の半数を占め、しかも単に多いというだけではなく、凄まじい勢いで拡大している。また豚肉などは、餌となる穀物の消費を考慮する必要がある。例えば豚肉1トンを消費すれば、穀物換算では4倍の4トンを消費したことに相当し、牛ならば更に8倍となる。13億人の人口を有する中国で、今まで米を食べていた人が豚や牛を食べるようになったら、当然の如く、穀物消費量は膨大になる。
  中国は、消費大国であると同時に生産大国でもある。例えば、時計や玩具の生産量は04年の統計でも既に世界の生産量の70%を占める。中国が世界の産業地図を次々と塗り替えていると言っても過言ではない。また、米国市場に於ける中国製品の割合を見ても、日本が一生懸命育てた東南アジア諸国連合(ASEAN)10ヶ国を合わせても中国に敵わない。米国の輸出先に占める割合も04年時点で中国はASEANを抜き、05年には日本も抜いた。

  ゴールドマンサックスによる経済規模見通しによると、中国のGDPは2016年に日本、2041年に米国を越えるという。三菱商事は、こうした中国の著しい成長を見据えて、10〜15年後に中国のどの企業が世界のトップ企業になっているかという点に関心を寄せている。更には、そのような可能性を秘めた企業と現時点で直接商売がなくても、積極的に好関係づくりに取り組んで、日々戦略を探っている。中国は昨日と今日、今日と明日では全く違う姿になっている。たとえ中国と商売がなくても、何度も実際に足を運んで、刻々と変化していく中国の姿を直に確かめておくべきだろう。中国は急激なペースで発展を遂げているが、それに伴う様々な問題や矛盾も出てきている。そこに日本が担うべき役割、チャンスがあるのかもしれない。

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【新会員自己紹介】
浅田剛夫氏
水曜第2グループ

浅田 剛夫(あさだ たけお)
井村屋製菓株式会社 取締役社長

【井村屋製菓株式会社】
〒514-8530 津市高茶屋7-1-1
TEL:059−234-2131 FAX:059−234-2137
URL:http://www.imuraya.co.jp/

井村屋製菓(株)の浅田剛夫でございます。
このたび、前任の山川晧の後を受け、中部経済同友会に入会させていただき、産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくこととなりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

井村屋製菓は三重県津市に本社がございます。松阪市より起業し、本年会社設立60周年を迎えさせていただきます。羊羹、水羊羹などの和菓子から出発を致しました関係で、“あずき関連商品”が多く、“あずきバー”と言う氷菓は、おかげさまで超ロングセラーとなっております。その他、“肉まん・あんまん”も全国的に販売を行っており、現在は多様なデザートのフルカテゴリーメーカーとして食品・菓子の生産販売を行っております。

食品における安全・安心は、美味しさの提供と共に欠くことの出来ない社会的な使命となってきています。井村屋製菓は「特色経営」を基本に置き、ポリシーとして定めました「Be always for Customers!」を守り、お客様の食生活に商品と共に笑顔をお届けが出来るよう努力をしてまいっております。

今回多くの皆様との出会いを期に、素晴らしいご交流を頂ける機会を得ましたことを心より感謝申し上げます。何卒ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

今村英明氏
火曜グループ

今村 英明(いまむら ひであき)

ボストン・コンサルティング・グループ 代表取締役 中部関西代表

【ボストン・コンサルティング・グループ(BCG) 中部関西オフィス】
〒450-6036 名古屋市中村区名駅1-1-4 JRセントラルタワーズ
TEL:052-533-3497 FAX:052-533-34688
URL:http://www.bcg.co.jp

ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の今村と申します。この度、中部経済同友会、並びに産業懇談会火曜グループに参加させて頂くことになりました。よろしくお願い申し上げます。

弊社は、企業経営者の抱える事業戦略、業務プロセス、組織・人事、企業風土などの諸問題にソリューションを提供する経営コンサルティング会社です。44年前に米国で設立、現在では全世界37ヶ国、63オフィス、5000名の陣容で、大企業、公共機関、金融機関にサービスを提供しております。

名古屋には2003年に東京に次ぐ弊社の国内2番目の拠点として、又、外資系コンサルタント会社としては初めてオフィスを開設し、ご当地の有力企業様へサービスを始めさせて頂いています。

ちょっと気色の変わった外資系企業ですが、是非皆様のご指導、ご鞭撻をよろしくお願い致します。

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【5月度産業懇談会開催日程】
(4月5日以外、場所は名古屋観光ホテルです。)
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ
各務芳樹
深田正雄
5月8日(火)
12:00〜14:00
新英金属株式会社
取締役社長 金子 功男氏
「鉄の世界あれこれ」
18階
伊吹の間

水曜第1グループ

飯田芳宏
落合 肇

5月16日(水)
12:00〜14:00

岩部建設株式会社
取締役社長 岩部 一好氏
「古代史を考える」

18階
伊吹の間

水曜第2グループ

片桐清志
谷田利景

5月9日(水)
12:00〜14:00

西日本電信電話株式会社
取締役名古屋支店長 伊藤 卓志氏
「 最近の情報通信 」

18階
伊吹の間

木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助

5月10日(木)
12:00〜14:00

株式会社三豊ビル
取締役社長 向 博氏
「なんと言っても恵まれた日本」

18階
伊吹の間


【6月度産業懇談会開催日程】
(場所は名古屋観光ホテルです。)
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄
6月12日(火)
12:00〜14:00
株式会社ジェーシービー
執行役員東海支社長 吉田 忠義氏
「クレジットカード市場とJCBの取り組みについて」
18階
伊吹の間
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇
6月20日(水)
12:00〜14:00
株式会社アイチテクノ 代表取締役 遠山 堯郎氏のご紹介
東亞合成株式会社
工学博士 谷川 伸氏
名古屋支店 梁瀬 武裕氏
「建物の長寿命化と、改修工事の環境対応化」
18階
オリオンの間
水曜第2グループ 片桐清志
谷田利景
6月13日(水)
12:00〜14:00
中部大阪商品取引所
理事長 木村文彦氏
「産業インフラとしての商品先物取引とリスクマネジメント」
18階
オリオンの間
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助
6月7日(木)
12:00〜14:00
東海東京証券株式会社
取締役社長 石田 建昭氏
「CHIQ革命と東海東京証券の戦略」
18階
伊吹の間

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。


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【コラム】

花ちゃんからの健康だより
〔花ちゃんからの健康だより〕 No.37

財団法人 愛知健康増進財団
保健師 佐藤 花子

『 メタボちゃん 』の話

 新年度が始まり、もうすぐ大型連休を迎えようとしています。日頃、運動できない職場環境にある方はこの休みこそ動くことを意識しましょう。
  男性は5人に1人は腹囲が85cmをこえ、メタボリックシンドローム状態です。当財団では人間ドック等受診の皆様のために、「メタボちゃん」と名づけた内臓脂肪の見本を展示しています。5つの部屋に1kgと3kgのメタボちゃんが1個ずつどんと居座っていて、それを見た方、手に取った方々から様々な反応があります。さすがに3kgのメタボちゃんは圧巻です。手に持つとずっしりと重さを感じ、「食欲が落ちそうだ。」とか「来年は脂肪をとってくるから。」などの声が聞かれます。もし自分のお腹に3kgのメタボちゃんがいるなら、それを取るためには積極的な努力が必要です。
  脂肪1gは9kcalのエネルギーです。計算すると、
9kcal × 3,000 = 27,000kcalとなります。

 この27,000kcalを消費するためには、速歩(1時間5.5kmで250kcalの消費)であれば108時間。つまり、1日1時間の速歩をすれば108日で3kgのメタボちゃんが取れることになります。
 「最近、お腹が気になる」と感じたら、洋服のサイズを見直すより内臓脂肪対策を考えましょう。3ヶ月から半年をかけて体重を3kg減らし、腹囲を3cm減らす「3・3運動」の効果は学会でも報告され実証済みです。さあ今すぐ「でっぷりお腹」から「すっきりお腹」に向かって出発しましょう!
心が燃えなくなると体の脂肪も燃えないようです。(19年度もご愛読くださいますようお願いいたします。)

メタボちゃん あなたにあげたい『離縁状』(佐藤花子)

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コラム【プログレスシリーズ】

株式会社リーダーズドメイン代表取締役会長
窪田経営塾塾主
窪田 貞三

『企業の進歩発展のヒント:No.25』

自分を知れば成功する

人が成長しない時の理由の一つに、「自分を知らない」ということがあります。同様に、企業も「自社を知らない」ということは大きな欠点であり、それは、成功への道を閉ざすことに繋がるでしょう。もっと大きな言い方をすれば、日本人が日本を知らなくて、世界に通用するはずがありません。単純に欧米の真似ばかりしても、真の成功はないでしょう。企業経営とは、戦いであると言えますから、戦うために相手を知らなければならないでしょう。しかし、まず、自分自身を知らなくて、自分らしくない戦い方をしても、真の勝利には繋がりません。また、戦いに負ける時の原因の一つに「過信」というものがあります。考えてみてください。過信によって傾いてしまった企業がどれだけ沢山あることでしょうか?企業は人の集まりです。人は感情の動物です。時に勘違いや過信もするでしょう。では、どうすれば良いのでしょうか?その答えは、「真の理念を持つ」ということです。そうすれば、その勘違いは致命傷になる前に修正されます。なぜなら、理念は自分を観る(知る)鏡であるからです。

・・・・ <事例研究>  歴史人物シリーズ−8 「2代:徳川秀忠」 ・・・・

 徳川家康という偉大な将軍の後を継ぐという大変大きなプレッシャーの中で、幕藩体制の骨組みを確立した徳川2代将軍:徳川秀忠。秀忠が2代将軍になった理由は、長兄:信康が死に、次兄:秀康が豊臣秀吉の養子とされたためでもあり、そんなことからも、偉大な将軍というイメージではないようです。人柄的にも、決して「武勇の人」ではなく、「律義者」と言われた人だったようです。この、武勇の人ではないというイメージを作った理由として、歴史上有名な出来事があります。それは、天下分け目の関が原の戦いにおいて、剛勇を示した次兄:秀康に対して、秀忠は、なんと、戦いに間に合わないという大失態してしまったのです。そして、そんな性格からか、2代将軍になった後も、初代将軍家康による大御所政治が行われ、実際に将軍として自ら政治を行ったのは、家康の死後であったようです。

事例へのコメント

 天下統一を果たした徳川家康が後継者として選んだ徳川秀忠は、「律儀な人」という性格が家康にとって後継者の条件に適ったのではないかと思います。天下を統一した後の徳川幕府にとっては「武勇の人」よりも「律儀な人」こそが、後継者の条件だったように思います。また、秀忠という将軍は、「自分を知り、自分らしい」経営をした人ではないでしょうか?それは、あまりにも偉大すぎる父の元で、自分を冷静に観ることが出来たからかもしれません。このことは、企業経営にも言えることではないでしょうか?

自分を知り、自分らしい経営を心がけましょう

●プログレスとは

 プログレスとは、『新時代経営コンサルティング手法』として、私の会社である株式会社リーダーズドメインにおいて企業経営ご指導法として用いているもので、日々多くの企業と関わらせていただいています。同じように努力していても「潰さないための経営」より「進歩発展のための経営」のほうが企業組織は生き生きとするでしょうし、企業におけるマイナス面の分析でも、「成り立たせるための分析」よりも「進歩発展させるための分析」のほうがより良い組織創りに繋がる---と言う考えを土台に持ったものが、このプログレスです。

 

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コラム【苗字随想】
〔苗字アラカルト〕 No 59

片桐清志

『 恋の季節 』

 春は恋の季節だ。苗字にも恋もあれば愛もある。今月は苗字の愛と恋を探ってみる。
  恋の始まりは好きからだろう。「好」の一字姓もあるが読み方は「コノミ」だ。「好田」もスキダではなくヨシダだ。「好」で始まる姓は32種見つかったが、そもそも「好」をスキとよむ苗字は見つからない。「ヨシ」か「コウ」と読むことが多い。ユニークな「好」姓としては「好宮(ヨシミヤ)」「好金(ヨシカネ)」「好並(ヨシナミ)」「好口(ヨシクチ)」「好花堂(コウカドウ)」「好摩(コウマ)」などだ。
  「恋」姓はぐっと少なくなる。一字姓もなく、「戀」姓を含めても11種だ。読み方は基本的には「コイ」でよい。「恋田」も「コイダ」でよいし、「恋仲」も「コイナカ」でよい。例外的な読み方としては「恋香」で「レンコウ」と読む。旧字では「戀屋(コイヤ」「戀水(コイミズ・コイズミ)」「戀渕(コイブチ)」が見つかった。
  「愛」姓は43種とこのグループでは最も多い。苗字の上でも愛は多彩だ。一字姓の「愛」もそのままの「アイ」でよい。「愛田」は「アイダ」でいいし、「愛洲」「愛州」「愛須」は「アイス」、「愛下」は「アイシタ」でよい。お呼びするときチョット照れくさい。もちろん「愛知」も「愛媛」もある。
  ユニークな苗字を紹介すると、「愛敬(アイキョウ)」「愛染(アイゼン・アイソメ)」「愛宝(エホウ)」「愛子(マシコ・アヤシ・エマス)」「愛場(アイバ)」「愛屋(アイヤ)」「愛内(アイウチ)」「愛住(アイスミ)」「愛発(アイチ・アラチ)」「愛多地(アイタチ)」などだろう。「愛路(アイジ)」はあったが、「恋路」は見つからなかった。

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鉄道の歴史と切手の世界
〔鉄道の歴史と切手の世界シリーズ〕 No.10

トンネルと切手(最終回) ― 日本のトンネル切手 ―

藤井  浩(名工建設株式会社 社友)

9.北陸トンネル(図-13)

北陸トンネル(図-13)
(図-13:北陸トンネル)


発行目的:北陸トンネル開通記念
発行日:1962年6月10日
印刷方式:グラビア印刷
発行国:日本

 1962年、北陸本線敦賀―南今庄間の北陸トンネル(延長:13,850m)が完成し、敦賀―福井間の電化工事が完成した。北陸トンネルは敦賀―杉津―今庄間の海岸線の急勾配区間(25‰)を解消し、輸送力の増強を図るために計画された複線トンネルで1957年9月に着工された。
  当時日本最長の鉄道トンネルであり、工期短縮を図るため4工区に分割し、斜坑2カ所(工事中1カ所追加)、立坑1カ所を設けた。掘削工法は全断面掘削工法を採用し、21ブームのドリルジャンボを使用し、古い50キロレールを曲げ加工した鋼アーチ支保工を使用した。しかし断層と多量の湧水に遭遇し、本格的な全断面工法を採用できた区間は全体の34%で、底設導坑先進上部半断面工法などの応用工法を駆使して完成させたものである。
  筆者も当時このトンネル工事に従事しただけにこの切手を眺めるたびに感慨ひとしおのものがある。この切手が発行されたときに図案に誤りがあるとのことで鉄道ファンからいろいろ指摘されたものである。

10.関門道路トンネル(図-14)

関門トンネル(図-14)
(図-14:関門トンネル)


発行目的:関門道路トンネル開通記念
発行日:1958年3月9日
印刷方式:グラビア印刷
発行国:日本

 1958年3月、下関市と北九州市を結ぶ関門道路トンネルが完成し、この開通を記念して10円の記念切手が発行された。関門道路トンネルは下関市の東北方椋野付近がトンネル北口となり、壇ノ浦、早鞆の瀬戸を通って北九州市古城山付近に至る延長3,461mの道路トンネルで、海底部延長780mに達する。
  関門道路トンネルは関門鉄道トンネル下り線着工の翌年、1938年に調査工事に着手し、1939年5月本工事に着手した。しかし戦争の激化に伴う労務、資材不足と戦後のインフレーションなどのため完成は大幅に遅延し1958年3月完成にこぎつけた。
  海底部の断層(延長134m)突破にはトンネル全断面を4分割し、鋼アーチ支保工を採用し逆巻工法によって突破した。また陸上部の風化土砂層区間の掘進には、わが国トンネル工事で初めての試みとしてルーフシールドが採用された。
  関門海峡には山陽本線下りトンネル(3,614m)、上り線トンネル(3,604m)、新幹線新関門トンネル(18,713m)、関門道路トンネルと4本のトンネルが建設されており、こうした海底トンネル技術の蓄積が青函トンネル建設技術の基盤となっている。


【平成19年4月号編集後記】

 今春の選抜高校野球の決勝戦は、「常葉学園菊川」と「大垣日大」の対決となった。東海勢対決は48年ぶりだが、元気な東海を象徴するような組み合わせだ。結果は菊川が8回に逆転の末、大垣を6対5で下し初優勝を遂げた。大垣も敗れたとはいえ、守備の良さを認められて希望枠で初出場を果たし、準優勝は快挙だ。
  今大会前には西武球団による裏金問題や希望球団枠の見直し問題がくすぶるなど、決して明るい状況ではなかった。しかし甲子園ではその暗雲を払うようなさわやか野球を見せてくれた。特に就任2年で甲子園出場を果たした阪口監督の指導理念は高校野球の原点を教えてくれた。
  スターのいない野球部を、魔物の棲む甲子園でプレーさせるには尋常な手法では無理だ。日ごろ練習では厳しい阪口監督が本番では選手に笑顔で行けと言い渡し、自らもどんな場合でも笑顔を絶やさなかった。選手の持てる力を出し尽くさせるには、選手を信じてやることと、緊張感から開放してやることを心がけたのだろう。信頼感に支えられた選手も伸び伸びと甲子園を楽しんだように見えた。
  一方の菊川も素晴らしかった。仙台育英や大阪桐陰、熊本工業などの強豪を接戦の末破っている。その粘りは見事だ。菊川の野球部も女子高が共学になった1983年に創部された新しいチームだ。チーム打率も8強中最低で打撃のチームではないが、バント戦法は使わない。少ないチャンスを確実にモノにしていく勝負強さは見事だ。優勝がかかる決勝戦でもバントをまったくやらないで堂々とした攻撃を展開した。
  高校野球はあくまで教育の一環だ。勝敗にこだわるよりも、将来社会で活躍する際に必要な自信や踏ん張りをつかむことの方が大切だ。甲子園で精一杯戦った思い出は優勝か準優勝かよりも選手たちに大きな成果を残したことだろう。「選手たちは甲子園に来て一戦ごとに成長した」という阪口監督の言葉どおり甲子園は貴重な教育の場だ。結果にこだわっているのは計算高い大人の浅ましさかも知れない。

 さて岩崎筆頭代表幹事の年度が始まった。「大名古屋圏(グレーターナゴヤ)の更なる発展へのアプローチ」がテーマだ。4月19日の第52回総会では競争激化、グローバル化、人口減少、温暖化などの変化に対して「ひとづくり」「ものづくり」「ことづくり」「まちづくり」の4つの切り口でアプローチを試みる活動方針を決議した。そして岩崎筆頭代表幹事は参加者に「新しいセンスと広い視野で考える活動」を呼びかけた。
  記念講演会では昨年まで日本経団連副会長を務め、現在も同会の「資源・エネルギー対策委員長」の柴田昌治氏(日本ガイシ・会長)から「国際競争力と企業経営」のお話を伺った。氏は世界の政・財・学界のトップが参集する「ダボス会議」の常連としても有名で、豊富な海外経験に加え、世界が日本をどのように見ているかを的確に解説いただいた。日本が再び世界経済に貢献するためのヒントをたくさんご教示いただいた。
  今月の産懇宅配便では新年度早々に新会員をお二人紹介できた。浅田さん、今村さんとの出会いと交流が楽しみだ。例会模様も多彩だ。酒井会員からは今話題の「裁判員制度」の意味を、神尾会員からは文化都市名古屋への熱き思いと「ミッドランドスクエア」の役割をお聞かせ戴いた。三菱商事の矢田部会員の紹介で、茂木氏からは目覚しいスピードで大きく変化している中国事情を詳細なデータと共に解説戴いた。国際競争力向上には国家戦略と国レベルの支援の大切さを指摘された。また横田会員からは自らの「ひきこもり」体験と会社設立に至る経緯を詳細にお話戴いた。つらい体験を人前でご披露戴いた勇気に敬意を表したい。さらに鈴木会員からは経営革新の挑戦をご紹介戴いた。いずれもご自身の体験から滲み出る言葉だけにインパクトがある。
  岩崎筆頭代表幹事は産業懇談会に対しても深い理解と大きな期待を寄せておられる。産業懇談会としても大名古屋圏のアイデンティティを掘り下げ、これを世界へ発信できるような活動を展開したい。会員各位の更なるご協力をお願いする。

(片桐)