産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】   第53号 2006.10.25発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成18年10月度(第53号) 目次
メールマガジン ■産懇宅配便■
【18年9月度産業懇談会(火曜G)模様】 9月12日(火) 12時00分〜14時00分
【18年9月度産業懇談会(水曜2G)模様】 9月13日(水) 12時00分〜14時00分
【18年9月度産業懇談会(水曜1G)模様】 9月20日(水) 12時00分〜14時00分
【新会員自己紹介】
柘植 康英氏 東海旅客鉄道株式会社 常務取締役秘書部長
篭橋 美久氏 東菱電子株式会社 代表取締役
【11月度産業懇談会開催日程】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1  『花ちゃんからの健康だより』
コラム2  『プログレスシリーズ』
コラム3
『苗字随想』

18年9月度産業懇談会(火曜G)模様


 テーマ:『 最強名古屋深層を探る 』

日 時: 9月12日(火) 12時00分〜14時00分
場 所: 名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者: 29名


スピーカー:
  林 董一(はやし とういち)
  愛知学院大学 元名誉教授
林 董一(はやし とういち)氏

 「ものづくり愛知」の話をするつもりで来たが、以前に揚揮荘の話をされた方がおられ、それが大変面白かったということなので、急遽、その続きを含めて、名古屋商人と信仰心についてお話することにしたい。
  お手元にお配りした資料の『中外日報』は、どの宗教・宗派も偏りなく記載する宗教関係では、非常に権威ある新聞だが、ここに愛知の経済人の信仰心について書いたことがあったので、この話を参考にすすめたい。また、中日新聞に「この国のみそ」というシリーズが連載されているが、次回から覚王山日泰寺について私が書く予定だ。この日泰寺をあらゆる角度から検証するつもりだが、日泰寺には名古屋の近代史が詰まっていると考えている。宗教と経済・商業史という切り口は、全く新しい試みだと思うので、これも絡めて話をしたい。

  名古屋商人の分類については、城山三郎が『中京財界史』という本の中で書いているが、人脈(系統)を基礎に考えると良いのではないか。大きな区分としては、三つである。
  一つは、土着派商人だ。この人達は、明治以前から名古屋に来て、商・工業の活動をして明治を迎えた。松坂屋の伊藤家、岡谷鋼機の岡谷家、キッコーナの醤油醸造の中村家、名エン(塩売)の青木家、材ハ木材の鈴木家などがその代表だ。
  次に、明治になって、近郷から移動して来た近在派商人らがいる。その代表は、なんといってもタキヒヨー、瀧定の滝家で、現在の江南市から名古屋に移ってきた。さらに八開村(現愛西市)からは名鉄の前身会社の経営に関わる神野金之助・富田重助らがいる。
  三つ目は、外様派。私の見解では、これを他国派と士族派に二つに分けている。他国派商人の代表格は、静岡から来た豊田佐吉、東京から来てノリタケを創業した森村市左衛門、自転車の奈良出身・岡本松造、佐賀の人で製麺機を作った大隈栄一らがいる。武士上がりの士族派の代表として、名古屋の渋沢栄一といわれた奥田正香などを挙げたい。

 ところで、元来、名古屋・愛知というところは、仏教王国で、お寺の数も京都などより断然多い。法要も他の地域が33回忌ぐらいまでで済ますのが、せいぜいであるのに対して、50回忌までやるのが当たり前で、大変信仰心に厚い地域だ。幕末から維新にかけての伊藤家当主、伊藤次郎左衛門祐良などは、大般若波羅蜜多経の写経に精魂を傾けて、その数が二千巻に及んだと言う。現在でも、次郎左衛門祐民の屋敷である揚揮荘には仏壇、お供え花の手入れが綺麗に行き届いていて驚かされる。名古屋市に寄付することとなった揚揮荘の最大の難関は、実は、この建物の横に稲荷があり、名古屋市としては、この稲荷は宗教的なものなので取り壊すと言っていることだ。稲荷は商人にとっての商売繁盛の神で、取り壊すのはやめて欲しい、せめて精抜きをして、建物を残すようにして欲しい、とお願いしているところだ。
  伊藤家は、「諸悪莫作、衆善奉行」、悪いことをするな、良いことをせよ、というのが家憲で、企業の社会的責任が問われる現在、この精神は大変大事だと思う。さらに信仰の篤いことは、「毎日、暫時なりとも手を合わせてお参りをしろ」ということが、店の規則(店則)となったことからも知れよう。明治維新の時に、伊藤家に借金をして家業の立て直しをしたのが、材ハ木材の鈴木ハ兵衛家だ。もともと鈴木家は、江戸時代には日本の三大材木屋と言われたほど隆盛を誇っていた。幕末には、現在の上前津のあたりに別荘の龍門園を建てたが、ここは豪商たちの社交場となった。しかし、豪奢な生活のために、明治初年家業は傾く。明治8年材ハ家の8世当主となったハ兵衛によって家業はみごと再建された。その鈴木は、後に愛知時計製造の社長、名古屋商業会議所会頭などもするが、平素は勤倹節約に過ごした。ケチハとか、渋ハといわれるほどで、手紙はもらった便箋の裏を使用する。封筒は裏返して使う。給料袋も二度使い、タオルは1本を1年間使ったと言う。しかし、布池の護国院の復興、泰安殿の建設には、どんと資金を出し、周りを驚かせた。ハ兵衛は、駅弁亡国論を唱えていた。彼の主張は、駅弁のふたの裏にはご飯粒がついていて、これを食べずに捨てると膨大な量となり、国を滅ぼすというものだった。しかし、彼の養子の鈴四郎は、食べた駅弁の箱を鉄橋の上から川に投げ捨てる。ふたについたご飯粒を魚が食べ、その魚を人が食べる。無駄なことはなにもない、という考えを持っていた。

 近在派の代表としては紅葉(もみじ)屋資本と滝系資本がある。田畑の肥料の販売をしていた八開村の富農神野金平の子・小吉は、名古屋の小間物屋紅葉屋に養子として入り、富田重助を名乗った。重助は洋物販売を手がけて、海外から羅紗や洋傘、時計、石油を仕入れて販売した。尾張の尊攘派の武士たちが、外国の商品を売って巨利を得ている、と憤激し販売をやめさせようと乗り込む。重助は彼らに5百両を握らせて、在庫分だけは処分させてくれと頼んで帰らせた。この時、重助は町中を、洋物が売れなくなると吹聴して回って、客を集める一方、横浜で商品を仕入れ高速船で名古屋に輸送、どんどん販売したため莫大な富を得た。明治9年、その重助が急死するという事態が生じるが、神野家は、紅葉屋を番頭に譲って、蓄財を利用して金融業に転向した。その後、豊橋近郊に神野新田と言われる新田開発を手がけ、その管理のために分家を送り込む。これが現中部ガスの神野家だ。神野金之助という人は大変信仰心に篤く、念仏を唱えること1日に4万遍だったと言う。
  滝兵右衛門家の屋号は絹屋で、その分家が滝定助の瀧定だ。現在、名古屋からも沢山の子供が通っている滝高校は、その屋敷跡だ。同家の滝信四郎は毎朝四時半に起き、家中の雨戸を開け、冷水浴びの後、お読経、そして店に出かけたという。町屋の屋根の上に「屋根神さま」が祭られていると必ず帽子をとって、頭を下げた。神社の前を通る時もそのようにしていたので、歩きながら帽子に手をかけるくせとなったとか。この信四郎は、繊維商社だけではなく、名古屋銀行を設立。名古屋銀行は、後に伊藤家の伊藤銀行、岡谷家などの土着派商人の設立した愛知銀行が合併して、東海銀行になった。東海倉庫(現東陽倉庫)もこの滝系資本であり、後述する日本車輌は、もともと奥田正香が中心となり創業した会社だが、これも滝系資本の企業となった。滝信四郎は、店内改革を断行して、これまで盆暮しか払われなかった給料を月給制にしたり、当時としては珍しい自転車で遠乗りをさせたり、運動会をやったりした。滝信四郎の門下生には、後に六一○(ムトー)ハップで有名な入浴剤を作る、武藤鉦八郎がいるが、彼は大変なアイディアマンで、自転車に見本を乗せて近江、北陸まで宣伝にまわった。
  余談だが、滝信四郎の滝高校に匹敵する学校人は下出民義だ。この人は愛知石炭商会を起したが、後に名古屋電力の副社長になり、その退職金で東邦商業学校(現東邦高校)を設立した。自分の子供を東京高等商業の専攻科に進すませて、東邦商業の校長に据えたりもしている。

 士族派では、先に述べた、龍門園の両田、「龍門の両田」といわれた奥田正香と吉田祿在がいる。奥田は、名古屋財界にとって忘れてはならない人材だ。彼は、明治になって味噌たまり醸造で財をなし、財界活動に打って出たが、その仕事は大きく分けて三つある。一つは多くの企業を創業したことである。名古屋電力(現中部電力)、日本車輌、福寿生命(現明治安田生命)、名古屋瓦斯(現東邦ガス)、名古屋倉庫(現東陽倉庫)など大変多くの会社を興している。二つ目は、名古屋商業会議所会頭を始めとして多くの公職をこなしたということだ。商業会議所会頭時代には、電話の敷設、熱田港の修築、日本銀行支店の設置などを実現した。愛知県知事と名古屋市長と「三角同盟」とよばれるチームワークを見せるが、三つ目は他の地域の有能新人を迎え入れたということだ。たとえば、名古屋瓦斯の技師長、岡本桜は伊勢久居藩士の家の出身。また、上遠野(かどの)富之助は秋田の人で、名古屋商業会議所の書記長として迎え入れた。上遠野はその後、奥田の後継者として活躍し、市議会議長の時に、名古屋の市章「まるはち」を制定。彼の蔵書は現在、名古屋商工会議所に寄贈されている。さらに彼の屋敷も名古屋市に寄付された。
  山田才吉は、奥田と名古屋瓦斯の事業を推進した、岐阜県人。彼は大変な建築好きで、前津小林に東陽館という巨大な建物を建てた。東築地には南陽館と水族館もつくった。さらに岐阜県土田(どた)に北陽館を建てた。東陽館は火事で消失、南陽館も暴風雨で流失すると、コンクリートの大仏を聚楽園に建てた。
  奥田は、大変な活躍を見せるものの、稲生の疑獄事件で三角同盟の友人が起訴されると、全ての公職、企業経営を離れて、覚王山に隠居し、仏門に入り、剃髪した。
  吉田祿在は、名古屋区の区長をしたりもしたが、広小路通りの拡幅が大きな業績だ。さらに日泰寺の誘致も忘れてはならない。明治31年、イギリス政府が自領インドで仏舎利を発掘し、その仏舎利をシャム(現タイ)に贈った。ビルマ(現ミャンマー)、セイロン(現スリランカ)に分与したが、在シャム日本公使が日本へもシャム国王に懇請し、快諾を得た。日本でも泰安地をめぐり名古屋と京都が争ったが、吉田の努力によって、仏舎利は名古屋に送られ、日泰寺奉安塔に納められた。

 他国派の代表格は豊田佐吉である。彼は静岡県吉津村(現湖西市)からやってきて自動織機の発明に全力を尽くした。吉津村は村中、法華の信者という土地柄で、当然彼も日蓮主義者であった。彼は寝食を忘れて研究に没頭するひた向きな姿勢は、熱烈な法華信者としての信仰心がバックボーンにあるように思われる。
 森村市左衛門も出家を考えたほどの仏教徒だったが、陶磁器の貿易で海外と接し、キリスト教への関心を示した。

 最近企業に、その社会的責任を疑わせるような事件が多いが、堅実・勤倹節約の名古屋商人に、あまり不祥事を聞かない。この原因の一つは、創業者が熱烈な信仰心「悪いことはしてはならない」という精神的な流れが染み付いているからだと思う。トヨタ自動車など、世界的な企業でありながら、日本的経営を受け継いでいるのは、創業者の気持ちが脈々と受け継がれているからだと思う。

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18年9月度産業懇談会(水曜2G)模様


 テーマ:『 ISO品質システムについて〜経営者&審査員の視点から〜 』

日 時: 9月13日(水) 12時00分〜14時00分
場 所: 名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者: 27名

スピーカー:
  二宮 敏夫(にのみや としお)
  日本カーソリューションズ株式会社 名古屋支店長
二宮 敏夫(にのみや としお)氏

 私とISO品質システムとの関わりは、8年ほど前、NTTの東海設備技術センターに在職中の時、ISOの審査を受けて、審査員にこてんぱんに指導を受けたことに始まる。そこで、奮起して、翌年に審査員補の資格を取得した。

 今日は、ISOについて、どういうものかをご紹介したいと思う。
  そもそもISOは国際標準化機構のことで、英語的に略すとIOSになるはずだが、ギリシア語の等しいという意味のISOSからISOと呼ぶことになった。ジュネーブに本部が置かれ、日本工業標準調査会(JISC)が代表を派遣している。一般には、イソネジとかフィルムのISO400などの表示で馴染みがある。
  国際的な規格は、130年前にメートル法が定められたことから始まるが、1928年に万国規格統一協会ができたことが、ISO設立の引き金になっている。1946年10月14日に、ISOを作ろうという決議がされたことで、10月14日は国際標準化の日となっている。1947年に国際標準化機構が設立され、現在専門委員会は200近く、規格は14,000にのぼる。
  JISは良く聞かれると思うが、これは日本の国家規格であって、ISOは国際規格である。規格には地域、団体、社内というそれぞれの規格もある。JISZ9900は、ISO9000をそのまま翻訳して使っている。良い製品を作っていこうという点では同じだが、JISは「もの」の規格、ISOは良いものをつくるための「仕組み」の規格であるという点で異なる。
  ISO9000、9001、9004、190011は、これらをコア規格として、どの分野でも共通の規格となっている。自動車産業などのQS9000などは、産業によって、より実践的に使用できるようにしたもので、セクター規格という。
  ISOの要求事項は、「〜しなければならない。」と規定されたもので、英語で「shall」と書かれていることから、Shall項目ともいうが、23条項、51分類に記載されている。尚、2000年度版から、5条の「経営者の責任」が大幅に増強された。

 ISO9000は一言で言うと、文書化し、実行して、証明しろということだが、【1】品質の方針を定め、【2】品質に関する各人の責任と権限を明確にして、【3】品質を実現するための品質システムと品質マニュアルの形に文書化して、【4】現場が間違いなく品質マニュアル通りに実行していることを【5】記録して証明し、【6】顧客の要求する品質の確保を開示できるようすることが求められている。しかし、これらを、どのようにするのかは企業に任されているので、ここに取り組みの差が生まれてくる。
  品質マニュアルは一次文書で憲法のようなものだが、そこには考え方が書かれている。やり方として規定、要領、手順書があり、結果として帳票類がある。
  TQCとISOの違いは、TQCがボトムアップ的というのに対して、ISOはトップダウン的ということがある以外に、ISOは品質保証には強いが、品質向上という点で弱い。したがって、TQCで改善しながらISOで楔を打って歯止めをし、スパイラルにアップしていくというのが重要だ。
  ISOの登録は、ここ5、6年は、年間6千件ぐらいづつ増えてきていたが、ここ2年ほどは伸びが鈍化。これは個人情報保護法や、情報セキュリティーに企業の目が向いた影響があるのではないかと思う。
  また、どのような業種で取得されているかというと3割は建設、2割超は小売、運輸、倉庫、金融、保険などのサービスで、これらの業種で半分以上を占める。
  ISO9001での県別登録者は愛知県が約2,800件で全体の6.5%、岐阜、三重はそれぞれ約1,000件、700件で2.3%と1.7%になる。これを全国で事業所がどれだけあるのかという比較でみると、愛知県は5.7%、岐阜1.9%、三重1.5%となるので、それぞれ取得率が上回っていることがわかる。
  世界的には、全体で67万件のうち、中国が20%を占める。12年度には4%程度しかシェアがなかった中国が大躍進をしている。日本は大体4、5番目で、アメリカ、ドイツ、イギリスのシェアが下がってきている。

 なぜ、今ISOなのかということになるが、一つには社会環境の変化が影響している。今やISO9001を取ることが当たり前の時代となり、親会社が取得しているので子会社もという風潮や、企業イメージが向上する、あるいは顧客が選択する時代になったということもあろう。ISOは5年周期で改定されるが、2000年の改定時に、環境ISOなどとも連動してシステムが使いやすくなったことも挙げられる。ISOの取得によって、企業内部には、仕事が標準化できて、ムリ・ムラ・ムダがなくなったとか、新入社員の社員教育に使えるなどのメリットができた。社内の管理体制としても利用でき、顧客の要求する品質に対する回答ができるようになった、あるいは、クレームの削減に寄与することができたなど利点がでてきた。ISOの担当者からみてもメリットが幾つかあるが、品質システムの構築や維持の監査に時間と稼動を要した、認証取得やそのフォローのために外部研修費がかかった、マニュアル作成のための紙の使用量が増えたというデメリットもよく言われる。このあたりは、知恵を絞りながら改善することが必要だ。
  いろいろな業界で、特徴ある取り組みをしているが、自動車業界ではアメリカに輸出するにはQS9000にマッチしないと輸出できないようになっているので、QS9000に対応した仕組みが必要となっている。食品では品質管理システム以外に、監視システムがあり、食品衛生法がこれに対応しているし、そのほかの規格にも対応する必要がある。

 経営者の役割として、要求事項をPDCAの切り口で並び替えると、方針・目標を確立する、経営資源を計画し準備する、適切な組織を構築するというPLAN、手本を示して指導する、コメントを示す、責任と権限を明確にし委任するなどのDO、システムが会社にとって有効に機能しているか、目標を達成しているか、方針に従っているかなどのCHECK、そして戦略的計画に組み込む、追加の経営資源に必要なものを備える、組織を再編するなどのACTIONになる。審査員の立場からアドバイスさせていただくと、最近は事務局が予め準備してしまうことも多いが、マネジメントレビューには積極的に関与して、自筆による指示をして欲しい。またISOと改善活動を分離して取り組むのではなく、ISOは改善のツールとして利用して欲しい。そして、折角ISOを取得したら、それをアピールして欲しい。また、審査日程を早めに決定すれば審査手順を組むのに都合が良いし、場合によっては審査員を継続指定出来る。管理責任者には、責任と権限をしっかり与えることが重要だ。内部品質監査はきちんと受審し、社外審査の状況も見て欲しい。事務局は少数でやっていることが多いので、偶には激励も必要だと思う。

 日本適合性認定協会(JAB)は日本を代表してISOに対応し、51ある審査登録機関を認定・登録し、審査員評価登録機関、9つの審査員研修機関を認定している。
  ISOの品質システムを文書化し、実行し、記録して残し、改善するといったPDCAについて規定を満足しているかどうか、審査をしてもらって、認証取得となるが、一方で、審査機関の選び方は次のようなものがある。まず、親会社が取得していれば、同じ機関を使うのが一般的だ。さらに審査機関によって得意な分野があり、9000と14000の複合審査もあるので、そういうことが可能かどうか。審査員の質、サービス、費用ということも見る必要がある。現在の51機関の中には、認証停止をしているところがあるので注意が要る。
  認証までのステップは、13段階ぐらいまであるが推進体制を築いたあたりでキックオフを行うところが多い。審査登録機関を決めるころにコンサルを入れて、スタートしてから1年ぐらいかかる。
  対象人数や審査機関によっても異なるが、取得に関わる費用として、200人規模の会社で概ね3〜400万円ほどになる。その後、継続・維持に100万円程度かかる。
  審査登録後は、通常年に2回の定期審査を受け、3年に1回の更新審査がある。また、従業員数に応じて、登録審査、定期審査、更新審査に必要な標準的な日数が異なる。

 審査員になるには、JABの認定の審査員研修機関の主任審査員養成コースに参加して、試験に合格する必要がある。合格すると審査員補に登録される。これは毎年会費が必要だ。
  本職でやる人はさらに、審査登録機関と雇用契約を結んで、企業に対する審査の実績を積み、審査員として合格する必要がある。現在、約1万人ほどの審査員補と、専業としてやっておられる4,000名ほどの審査員・主任審査員がいる。平均的な審査員は年齢60才ぐらいで、品質管理部門などの経験者で、第二の人生としてやっている。審査登録機関の契約社員で一匹狼的な人だ。したがって、優秀な審査員も多数いるが、駄目な審査員もいる。審査員で駄目だと思ったら、審査登録機関へ連絡することも必要だ。
  審査員に反論すると合格できないとか、指摘は絶対的だという誤解があるが、企業と審査員は対等で良きパートナーである。したがって、指摘に納得できない場合は、意見をいうべきであるし、反論も問題ない。
  認証取得を終えると、日常業務は日常業務と品質システムと分離したり形骸化したりすることがある。また、事務局やトップのリーダーシップが不足する事があるので、マンネリ化対策が必要だ。
  世界的には、品質以外にも様々なマネジメントシステムがある。情報セキュリティーは、IEC(国際電気標準会議)とISOとの合同規格を設けている。安全衛生のOHSASやリスク管理、企業の社会的責任は、まだISO化されていない。現在は専門分野化が進んでいるが、これらはいずれ統合されるのではないかと思う。
  いずれにせよ、品質システムの仕組みを取り入れることに成功した企業は、将来新しい規格が登場しても乗り切れると思う。

 最後に、会社の紹介を少しさせていただく。当社はNTTオートリースと伊藤忠グループのセンチュリーオートリースが合併して発足し、カーリースのほか、全国7,000箇所にのぼる整備工場のネットワークを構築し、災害対策車や、幼稚園の送迎バスのような特殊車両も扱っている。全国に45拠点を有し、給油カードは3万箇所のガソリンスタンドで使用可能だ。顧客には、レンタカーも取り扱っていて安価にお貸しできる。個人向けのマイカーリースでは業界でトップレベルであり、是非、ご利用いただきたい。

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18年9月度産業懇談会(水曜1G)模様


 テーマ:『 富士ゼロックスグループが取り組むCSRについて 』

日 時: 9月20日(水) 12時00分〜14時00分
場 所: 名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者: 19名

スピーカー:
  入山 治樹(いりやま はるき)
  富士ゼロックス愛知株式会社 取締役社長
入山 治樹(いりやま はるき)氏

 名古屋には、昨年6月に愛知ゼロックス(現:富士ゼロックス愛知)を任され赴任してきたが、4年半ぶりで2回目だ。今度は親会社を離れ、じっくり腰を落ち着けて仕事に取り組むつもりである。
  まずCSRとは何か。ゼロックスとはどういう会社か。そして、富士ゼロックス愛知とはどういう会社かをお話したい。

 夏季セミナーの奥田トヨタ自動車相談役が講演された中で、企業は社会にどれだけ還元できるかで評価されるという話があったが、CSRは、日本では昔から近江商人の「三方良し」の考え方にもあり、売り手と買い手のみならず、社会からも評価されなければならないという考え方だ。
  経済優先社会から21世紀は持続可能社会へとなり、企業は経済的な責任から、環境や社会の全てに対して責任を負う必要が出てきた。環境については、ISOなどの導入によってかなり進められてきたが、社会に対してはどうか。
  情報公開、問題が生じた時の対処の仕方、インターネットの社会の中で、内部から情報がもたらされる時代となって、企業は社会に共感される経営を行わないと、持続的な成長が不可能だと言われている。したがって、CSRの取り組みは、リスクマネジメントとなった。このため、CSRは、経済同友会の企業白書−市場の進化と社会的責任経営−や経団連の企業行動憲章などで取り上げられ、企業でもCSR推進部や内部統制推進室のような部門を設けて、取り組みが活発になっている。
  その経済同友会の企業白書は、当社の相談役小林陽太郎が代表幹事の時に編集された。そこで、CSRは持続的な発展を目指すための投資で、積極的に企業変革、価値創造、競争の原動力にしようと書かれている。
  市場、環境、人間、社会に対して、企業にはコーポレートガバナンスが必要だ。企業経営者は、理念、マネジメント、コンプライアンス、ディスクロージャーを通じて、コミットメントを出し、PDCAを回し、高いレベルを目指す必要がある。
  富士ゼロックスは、昭和37年2月20日に創立され、今年で44年になる。富士写真フィルムと英国ランク・ゼロックス社の合弁としてスタートしたが、今から4年ほど前に富士フィルム75%、ゼロックス25%の出資となった。
  それまでは複写は感光紙にしかできなかったが、普通紙にできる、まさに複写革命が始まるという大変画期的なものだった。また、機械を売らずサービスを提供するということを売り物にしてやってきた。1970年代には、モーレツからビューティフルへと提唱し、時代を象徴した。
  ロバート・フロストの 『 誰も行かなかった道 』 という詩にあるチャレンジ精神がゼロックスの基盤だ。また、ゼロックス会長だったウィルソンは「顧客にとって価値あるサービスを提供し、また奉仕者としての自尊心の根源をなすような、そういった足跡を社会に残したいと願っている」と言い、顧客にとって価値のある仕事こそ根本だと考えていた。
  創業当時部長だった小林も、企業には本来のミッションがあり、それを遂行するために利益は大切だが、利益そのものは目的ではないと言っている。
  これがいわゆる経営理念やCSRをどう社員に行動させるかに繋がる。
  ゼロックスは複写機のメーカーと思われているが、ドキュメントサービスがその事業で、これを実現する商品としてプリンター、複写機というものがある。その他として、今はシステム構築、コンサル、ISO、ISMS(情報セキュリティー)のウェイトが高まっている。
  また、富士ゼロックスは、東南アジア・オセアニア地域を商権としているが、複写機、プリンターに関しては、9割を開発・製造しているため、マルチナショナルということで、海外各社に販売している。

 富士ゼロックス愛知は、25年前に富士ゼロックスが51%を、地域に密着したマーケティングを目指すため松坂屋が39%、セントラルリースが10%を出資して設立され、歴代松坂屋の社長が当社の会長だった。しかし、富士ゼロックスがメーカーとしての役目を担い、販売会社が営業を担うということがあって、地元企業の株式を全て富士ゼロックスが買い取って資産を移転し、昨年8月に100%ゼロックスの子会社となった。このため、100億円程度の売上が一気に200億円規模になった。
  そして、商権を尾張エリアとし、富士ゼロックス愛知東が三河での営業を行っている。ただし、統括販売会社として中部ブロック全部の業績責任と、営業活動の統括を行っている。

 ゼロックスフィロソフィーは、もともと創業の精神としてあったが、79年に企業理念を策定した時にそのフィロソフィーを受け継いで、行動指針の中にもCSRの考え方を取り入れた。デミング賞を80年に受賞したが、TQC活動は、ものづくりのばらつきを失くすことが原点で、営業活動もTQCをやれば誰でも同じ発想になる。営業の半期のレビューをしろといわれると、課題、要因分析、対策をいとも簡単に作り上げることが出来る。これは誰がやっても同じようになるというところに落とし穴があった。発想が、金太郎飴ではいけないと、小林が、新しいワークスタイルや、すぐ考えたことを商品にしたり、生かして発売することができるようNEW WORK WAYプログラム(NWWプログラム)が出来、この時期に新しい商品が生まれた。
  さらにこのプログラムはKYXへと発展する。これは、ここまでやるかXEROXのことだが、お客様にここまでやるのと言われるような活動をしろということだ。
  CSRは、経済的に強い、社会的にやさしい、人間的におもしろいことをよい会社であるべきと考えて、CSR会議、リスク&エシックス会議、品質会議は関連会社・事業本部・本社に亘って実施、さらに社長を頂点として、グループ経営執行会議や、経営執行会議を繋げて、実現に向けている。
  富士ゼロックスが比較的早くから力を入れてきたことは、人事政策だった。1963年に4年生大卒女子社員を採用。67年に女性営業職を導入し、大卒の人気企業ランキングベスト10に入った。85年には男女給与格差を解消、88年NWWプログラムを導入。この活動の中で働きやすい、社員に優しい、世間から見て良い会社になるべく、育児休業、育児退職者再雇用制度、旧姓使用、半日有給休暇、フレックスタイム、女性社員の海外研修派遣を実施してきた。1990年代には、家族介護制度、リフレッシュ休暇、女性社員の海外駐在も積極的に行われ、育児のための勤務時間短縮、残業のない職場、4時半に仕事を終えることが出来る職場などを導入し、女性のための環境構築を積極的に取り組んでいる。このため、女性の平均勤続年数は10年を超える。ベテラン社員も多い。
  採用における男女枠の撤廃も、10年前に実施した。試験や面接では、圧倒的に女性が良いこともあって、女性の採用が随分増えている。10年を区切り、5年を区切りとしてやめていくことは確かにあるが、女性社員の営業が大変多くなり、実際に相当優秀だ。2002年には、ファミリーフレンドリー企業にもなっている。

  やさしい会社として環境対応については、ゼロックスの商品は今、廃棄ゼロになっている。お客様で不要になったものはゼロックスで回収し、産廃物とせず、使い切る。残っているのはリサイクルする。クローズドループシステムは市場に出て、それが戻ってきたら工場に戻して分解し、転用して使い切る。新しい商品にも使う。こういう循環型システムを、タイにリサイクルセンターを設営して、アジアパシフィック全域で実施している。
  現在、社員は3万7千人。お金の問題、契約上の違法行為、倫理上逸脱した問題が生じると、社会に迷惑がかかる上に、会社の名誉も損なう。このため、企業倫理研修を行い、全員全社に対して、ゼロックス社員の法令ともいえる社員行動規範に違反することのないよう誓約書を出させている。ケースブックは、社員行動規範に違反する実例を掲載して理解に努めている。
  端数クラブは、社内から会員を募って、給与の100円未満の金額をプールし、会社はそのプールと同額の資金を支払い社会貢献活動に使うというものだ。
  モラルサーベイは20年以上続けているが、社員に対して満足度調査をし、毎年各部門に結果が出るので、モラルが下がり、業績が下がってくると部門長はその対処が必要になる。
  バーチャルハリウッドは1999年に始まった企業変革プログラムで、部門を超えた活動を、いろいろな役割の人が集まって大観衆を興奮させる映画作りになぞらえて名づけた。お客様に還元することが目的で、ある一定の中で成果を出すタスクやプロジェクトとは趣が異なる。成果は二の次で、人材育成、組織の活性化が主たる目的だ。現在は会社を超えて、他の企業とのコラボレーションが始まっている。
  当社もリストラはこれまで一度もやってきていないこともあって、高齢化がすすみ、55才以上の社員が大変多い。しかし、50才以上の社員が、生きがいを持って働いてもらうために、自ら手を挙げて異動する活き活き匠FA制度、社内で兼職をするダブルジョブプログラム、会社を辞めた後の仕事を見つけるシニアテーマ休暇制度なども導入している。
  このようにしてよい企業を目指そうと考えている。

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【新会員自己紹介】
柘植 康英(つげ こうえい)氏

柘植 康英(つげ こうえい)

東海旅客鉄道株式会社 常務取締役秘書部長
【東海旅客鉄道株式会社】
〒450-6101 名古屋市中村区名駅1-1-4 JRセントラルタワーズ
TEL:052-564‐2357 FAX:052-587-1394
URL:http://www.jr-central.co.jp

JR東海の柘植です。
新しく中部経済同友会に入会させていただきました。
産業懇談会では、水曜第二グループに参加させていただきます。

今年の6月までは、人事部長としてゆうゆう単身で東京に勤務しておりましたが、秘書部長、(総務・人事担当)として、4年ぶりに名古屋に戻ってきました。
1953年生まれ。出身は、岐阜県大垣市、住まいは名古屋市千種区、趣味はゴルフ・テニスといったところです。

東海道新幹線が安全で正確な輸送を提供できるよう、また、一層ご利用いただきやすいものとなるよう、技術開発、社員教育など様々な観点から、グループ挙げて取り組んでおります。産業懇談会の場などで、厳しい、忌憚のないご意見を賜ることが出来れば幸いです。宜しくお願いいたします。

篭橋 美久(かごはし よしひさ)

篭橋 美久(かごはし よしひさ)

東菱電子株式会社 代表取締役
【東菱電子株式会社】
〒460-0017 名古屋市中区松原1丁目14番6号
TEL:052-322-3941 FAX:052-323-0558

東菱電子の篭橋と申します。この度、産業懇談会の木曜グループに参加させていただくことになりました。よろしくお願い申し上げます。

弊社は、三菱電機グループ情報通信機器の販売・保守会社として昭和48年3月に設立されて以来、「社会に愛される会社、必要とされる人材」をモットーとし、事業展開をしております。
最近では、土地活用の一環として駐車場建設にも事業を展開しており、近年の交通事情から鑑み需要も拡大しており、これからの展開に大いに期待しているところです。
中部経済同友会・産業懇談会という幅広い分野の先輩方の仲間入り出来たこと、心より感謝致しております。若輩者ではございますが、皆様のご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

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【11月度産業懇談会開催日程】
【11月度産業懇談会】 (場所は名古屋観光ホテルです。)
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ
各務芳樹
深田正雄
11月14日(火)
12:00〜14:00

丸美産業株式会社
取締役本部長 梛野 泰男氏
「最近のマンション事情(日本と東アジア)」

18階
オリオンの間

水曜第1グループ

飯田芳宏
落合 肇

11月15日(水)
12:00〜14:00

キリンビール株式会社 名古屋工場
工場長 中島 肇氏
「キリンビールの取り組み」
     (創業100周年を控えて)

18階
伊吹の間

水曜第2グループ

片桐清志
谷田利景

11月8日(水)
12:00〜14:00

(株)クロップスの前田代表からのご紹介
愛知県臨床心理士会
常任理事 前田 由紀子氏
「イマドキの子育て、イマドキの学校、
      そして、あなたにできること」
〜スクールカウンセラーが語る
       イマドキの子どもの現状〜

18階
オリオンの間

木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助

11月2日(木)
12:00〜14:00

ダイセー倉庫運輸株式会社
取締役社長 田 憲三氏
「弱者の戦略〜ダイセージャスト便〜」

18階
オリオンの間

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【お知らせ】

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【コラム】

コラム【花ちゃんからの健康だより】
〔花ちゃんからの健康だより〕 No.31

財団法人 愛知健康増進財団
保健師 佐藤 花子

秋刀魚(さんま)の話

10月の花   千振(センブリ)
10月の花 千振(センブリ)  秋たけなわ、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。山や海へと味覚の旅もいいですね。我が家の食卓にのぼる旬の物といえばこの時期はなんと言っても庶民の味方である秋刀魚です。北から産卵のために太平洋を南下してくる間にたっぷり餌を食べて10月の下旬には脂がのった秋刀魚になります。このときの脂質含有量は20%程度ですので、皆さまの体脂肪には勝てないと秋刀魚が申しております。とはいえ、肥満秋刀魚を焼けば、ジュウジュウと脂がしたたり落ちその匂いに食欲もピークに達しますね。下ろし大根をそえて「秋刀魚の塩焼き」1品のできあがり。むろんこの秋刀魚はおいしいだけではなく次のような魅力があります。

●血液の流れを良くするエイコサペンタエン酸(EPA)が多く含まれており、脳梗塞・心筋梗塞などの病気の予防効果が期待できる。
ドコサヘキサエン酸(DHA)も豊富に含み、体内の悪玉コレステロールを減らす作用や脳細胞を活性化させ頭の回転をよくする効果が期待できる。

 欠点としては、カロリーが高いことです。この1品で約450キロカロリーもありますから、これにご飯大盛りをつけると750キロカロリーほどになってしまいます。したがって、ご飯を控え、低カロリーの野菜料理1品だけにしましょう。

「道行く人よ 食うか 食べるか いただくか」―毎日通るお寺の掲示板より―

【メモ帳】
千振の名前の由来は千回振り出し(煎じる)ても、まだ苦いとのことから。花から根まで薬草として利用し、室町時代の終わり頃から主に胃薬として使用された。この草の苦味成分のひとつであるアマロスエリンがもっとも苦く、天然物の苦味の最高物質であるとか。最近では、千振のアルコールエキスが育毛剤として活躍中。精神的な円形脱毛症への効果も確認されている。そのほか様々な薬効があり、別名「当薬(とうやく)」といわれ、当(まさ)に薬といわれる薬草。凛とした花の姿にただものならぬ感じがしませんか?

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コラム【プログレスシリーズ】

株式会社リーダーズドメイン代表取締役会長
窪田経営塾塾主
窪田 貞三

『 企業の進歩発展のヒント:19 』
輝かせれば輝く

 経営トップは企業の代表として、光り輝いていることが理想でしょう。しかし、経営トップは企業という組織の代表であり、トップ一人がどれだけ輝いていても企業が輝いていなければ真の輝きとは言えませんし、逆に言えば、組織が経営トップを輝かせるものです。企業は人の集まりです。企業という組織にとって人は細胞のようなものです。人という細胞と細胞が影響しあって組織を創っているということです。人という細胞が輝いていなければ組織は輝かないでしょう。また、経営トップは社員に影響を与え、社員は経営トップに影響を与えます。互いに影響し合っています。

 

 特に、トップにとってNo.2や参謀などの側近とは強く影響し合っているはずです。一流経営者と言われた方々には必ず優秀なNo.2や参謀がいました。一流経営者はもちろん輝き、そのNo.2や参謀も同じように輝いていたはずです。以前あるNo.2が言っていました。No.2とは二番目の実力者ではない。私は日本一のNo.2という立場だ!と。

・・・・ <事例研究>  歴史人物シリーズ−1 「 山本勘助 」 ・・・・

 戦国武将として、今もなお名を残している甲斐の武田信玄。その武田信玄の軍師であった山本勘助は、村上義清との戦いで、挟み撃ちされ壊滅状態となった武田軍の危機を救うため、自分の配下の50騎と共に敵の正面に躍り出て、敵に注意を向けさせ動揺させ、その間に信玄は、乱れた敵に追撃をかけ、逆転勝利を収めた。このように山本勘助は武田信玄にとってかけがえのない軍師であったそうですが、この山本勘助という人物は、不具者で、長く苦しい不遇の人生を送っていたそうです。その後信玄に出会い、後半生を輝く人生へと変化させることができたそうです。それはきっと、信玄を輝かせることに生きがいを感じて、人生をかけた勘助自身も結果的に輝くことが出来たということでしょう。

事例へのコメント
番頭、参謀は経営者にとって大変重要

先日弊社リーダーズドメインにおいて「番頭、参謀の選び方・育て方」という講演会を開催しました。参加された方々(経営トップ)は大変熱心に講演を聴いていただき、質疑応答も止まることがないような状態でした。やはり経営トップにとって、No.2や参謀は大変重要な立場であり、求められるものが大変大きいと感じました。今回の事例で感じることは、武田信玄という武将は、人を見た目ではなく、内面で見ることが出来る武将だったということです。いくら優秀なNo.2や参謀を求めても、トップ自身に受け入れる力と見る目(観る目)がなければ優秀な人材は見つからないし、育たないと思います。

●プログレスとは

 プログレスとは、『新時代経営コンサルティング手法』として、私の会社である株式会社リーダーズドメインにおいて企業経営ご指導法として用いているもので、日々多くの企業と関わらせていただいています。同じように努力していても「潰さないための経営」より「進歩発展のための経営」のほうが企業組織は生き生きとするでしょうし、企業におけるマイナス面の分析でも、「成り立たせるための分析」よりも「進歩発展させるための分析」のほうがより良い組織創りに繋がる---と言う考えを土台に持ったものが、このプログレスです。

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コラム【苗字随想】
〔苗字アラカルト〕 No 53

片桐清志

米と稲

 収穫の秋だ。黄金色の稲田は「美しい日本」のシンボルだろう。米の消費量は年々落ちているものの日本人の食生活には欠かせない大事な食料だ。それだけに苗字との関係も深い。今月は「米」に注目してみた。
  種類は130種見つかった。一字姓の「米」さんも居て、「コメ・ヨネ・ヨギ」とお呼びする。「米」姓の厄介なのは読み方が一義的でないことだ。米原の読み方に「コメハラ・ヨネハラ・マイバラ」があるように「米田」「米野」などはよく見かける苗字だが「コメ」「ヨネ」「マイ」の読み方があり紛らわしい。難読姓では「米内(ヨナイ)」、「米加田(メカタ等)」などがある。
  「米」姓でユニークな苗字を拾ってみると「米一(コメイチ)」「米市(コメイチ・ヨネイチ)」「米倉(コメクラ・ヨネクラ)」「米蔵(コメクラ)」「米塚(コメツカ)」「米持(コメモチ)」「米櫃(コメビツ)」などは食べるのに困らなさそうだ。しかし「米虫(コメムシ)」や「米疵(ヨネキズ)」などは少なくとも「米屋(コメヤ・ヨネヤ)」には向かない苗字だ。「米代」も見つかったが読み方は「コメシロ・ヨネシロ」で「コメダイ」とは読まない。
  「米」が下につく苗字では「久米(クメ)」「多米(タメ)」などがある。意外だが「古米」もあり「フルマイ・コマイ・フルゴメ」の読みがあるが「新米」は見つからなかった。
  「米」関連の苗字では「稲」姓も多く、種類では「米」を上回り、173種ある。一字姓の「稲(イネ・イナ・トウ)」もある。「稲」で始まる苗字の読み方は「米」と違って比較的素直だ。しかし「稲」が下につく姓では「早稲(ワセ)」「早稲田(ワセダ)」のように特殊な読み方もある。
  ユニークな「稲」姓では、「稲光(イナビカリ・イナミツ)」「稲妻(イナズマ・イナメ)」「稲穂(イナホ)」「稲積(イナツム)」「稲束(イナツカ)」「稲子(イナゴ)」「稲葉(イナバ)」「稲神(イナカミ)」「稲福(イナフク)」「稲餅(イナモチ)」「稲飯(イナイ)」がある。
  「籾」姓も11種ある。一字姓の「籾(モミ)」もある。稲作関連では「籾田」「籾倉」といったところだ。
  米つくり関連姓では「田植(タウエ)」「苗代(ナワシロ)」「稲苗代(イナワシロ)」は見つかったが、「稲刈」や「米俵」は見つからなかった。

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【平成18年10月号編集後記】 

 先日ある会で奥田日本経団連名誉会長の講演を拝聴した。話の中心は日本経済の中長期的な課題として 【1】グローバル化の推進 【2】「科学技術創造立国」への取り組み 【3】「観光立国」への取り組み 【4】人口減少社会への対応 の4つの課題と解決策だった。限られた時間ではあったが、具体例を示しながら分かりやすく基本的な考え方をご示唆いただいた。
 特にBRICsの台頭を考慮すると、日本の国際競争力の確保にはイノベーションは不可欠であり理系人材の育成を力説しておられた。中部経済同友会でも岡部代表幹事時代に「子供たちにモノづくりの楽しさ」を知ってもらおうと名古屋市科学館の「発明発見創造クラブ」の活動を支援してきた。この活動が実を結び、近く発明協会愛知県支部の所属クラブになりそうだ。将来のイノベーション担い手の誕生を期待したい。
 奥田名誉会長の話はさらに日本の発展を支える「心のあり方」についても言及し、【1】「多様性」を認める心 【2】「嫉妬の経済」から「賞賛の経済」へ 【3】失われた「武士道」的価値観 【4】死生観の喪失 について氏の哲学をご披露いただいた。画一的社会で育った我々には「多様化」がともすれば「格差」と見え、嫉妬心から「出る杭を打つ」動きになりがちだが「独自性」を培うきっかけとせよという意味のお話をいただいた。
 中部経済同友会の今月の幹事会でも名古屋商工会議所の栗岡副会頭から「欧州産業観光事情」のお話を伺った。当地区で推進している「産業観光」(注:観光産業ではない)の今後の展開の参考にとの趣旨でお招きしたものだ。この中で先進地区では町ぐるみで産業観光に取り組んでいること、それを住民が誇りとしていること等が紹介された。日本中がミニ東京化するのではなく、地域の歴史と気候風土、産業基盤の独自性を発揮した多様性に取り組むべきとの示唆をいただいた。産業懇談会でもこうしたテーマに挑戦していきたい。
 さて今月号では3グループの例会を紹介できた。林先生の「最強名古屋深層を探る」では現在の名古屋経済のルーツを紹介いただくと共に、「創業者の熱烈な信仰心がDNAとして現在に受け継がれている」ことをたくさんの事例で解説いただいた。二宮さんからはISOの意味合いを審査員と経営者の両面から解説いただいた。更に入山さんからは「CSR」について富士ゼロックスの取り組み事例をその背景や考え方と共に、たくさんの実例をご紹介いただいた。これからの企業のあり方の手本として参考にしたい。
 新会員の柘植、篭橋氏の今後のご活躍も楽しみだ。12月の忘年会、新年の代表幹事を迎えての合同懇談会等交流の機会も多い。産業懇談会ならではのメニューをお楽しみいただければ幸いである。

(片桐)