第46号 2006.3.28発行



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平成18年3月度(第46号) 目次
【18年2月度産業懇談会(火曜G)模様】 2月14日(火) 12時30分〜14時00分
【18年2月度産業懇談会(水曜1G)模様】 2月15日(水) 12時30分〜14時00分
【18年3月度産業懇談会(木曜G)模様】 3月2日(木) 12時30分〜14時30分
【新会員自己紹介】
藤堂 聡太郎 氏 日興コーディアル証券株式会社 名古屋支店 支店長
吉田憲三 氏 ダイセー倉庫運輸株式会社 代表取締役社長
橋本 誠 氏 リコーエレメックス株式会社 代表取締役社長 兼 CEO
【4月度産業懇談会開催日程】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1  『花ちゃんからの健康だより』
コラム2  『プログレスシリーズ』
コラム3
『苗字随想』

18年2月度産業懇談会(火曜G)模様

 テーマ:『 祝・ナディアパーク10周年
        過去10年の名古屋における建築のあり方 』


日 時: 2月14日(火)12時30分〜14時00分
場 所: 名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者: 22名


スピーカー:
    マイケル・デビット・ウイニック
  ACCJ在日米国商工会議所中部支部 副会頭

 

1 在名古屋までの経緯と今の仕事

 名古屋に住み始めて13年になる。私はテキサス州の出身で、大学卒業後サンフランシスコの設計事務所に入った。1980年後半、日本がバブルの時期に日本の仕事を依頼され、東京の事務所ビル、広島のホテル、名古屋で老人マンションを設計した。そんな中、名古屋市が第三セクターとして運営するナディアパークの建築コンペがあった。これに対して設計事務所の社長から、名古屋を知っている自分にコンペに参加するよう指示された。有名な地元出身の建築家がコンペの相手だったので、勝てるとは思わなかった。しかし結果は、見事コンペに勝ってしまった。そこで実際に設計業務を行なうため、まず2、3週間のつもりで名古屋へ来た。ところが基本設計から実施設計まで担当することとなったため、2、3ヶ月になり、2、3年になり、ついに今13年目を迎えている。私が名古屋に住むきっかけになったナディアパークも、今年10周年となりリニューアルなどを計画している。 私の本業は建築設計業で、今は会社の社長だが、自分としては経営者ではなくアーキテクトと思っている。また、ACCJの名古屋代表もやっている。これは100%ボランティア。会員は3,000人、1,800社くらいで、海外では最も大きな商工会議所。名古屋では100名くらいの会員がいる。もうひとつの仕事として、守山にある国際学校の理事を務めている。この学校の生徒数は、10年前200人ほどだったものが、今では350人くらいに増えている。生徒の顔ぶれは、1/3がアメリカ人、1/3が欧州、豪州、中国、韓国人、残りが日本人。昔はほとんどがアメリカ人だったが、ずいぶん国際化が進んできている。

2 名古屋この10年

 自分が名古屋に住み始めた当時、自分が歩いていると「あ、外人さんだ。」と物珍しがられた。さすがに今ではそういうことはなくなった。この地域も外国人に慣れてきたのだろう。最近は、特に万博もあり外国人が多く名古屋に来ている。地元企業にはトヨタがあるし、ボーイングの関係でも、250人ほどのエンジニアがシアトル、シカゴからやってくる。 ナディアパークの周囲も変わった。今、栄地区にはミニバブルがある。これは昔のバブルとは違う。昔は、どんな物件でも家賃はだまっていても自然に上がった。今はいいものを作ればそれだけの家賃がとれる。それだけの家賃をとるために、それなりの物件を作るという時代。そういうトレンドがあったから自分のビジネスもよくなった。

3 建築に対する思想

  • 私の設計は、決して安いものではない。安くというのなら、他の設計士を紹介する。私は、コストが決まっている中で、value adding するのが自分の仕事だと思っている。cost downではない。私の設計する賃貸マンションは、市内でも最も家賃が高く、またそれだけの価値があると思っている。
  • 自分は、あらかじめ特別な設計スタイルを持っているわけではなく、それぞれのプロジェクトの設計は、物件ごとの環境、条件などを考えながら、いつもゼロからスタートする。
  • 図面を描くのにコンピューターは使わず、まったくのアナログ対応している。その方がいい味が出ると、いい意味に解釈している。
  • 日本人の大工さんは、素晴らしい技術を持っているし、仕事も丁寧。だから、コンクリートの打ち放し仕様もきれいに仕上げる。アメリカではできない。
  • リサイクルの木などを使い、建物にやさしいアクセントをつけるなど、周囲の環境にも配慮した設計をしている。
  • 集合住宅は、美術館のような白い箱を作って住人に色を付けてもらう。個人住宅は、家主のライフスタイルに合わせて、それにピッタリのものを作る。奥様の衣装の種類、量などまで把握し、それにあわせて設計する。
  • 25年後の生活パターンはよくわからないので、小さな部屋をいくつも作るより、大きな部屋を作っておいて、必要に応じて簡易間仕切りを使う。
  • 30年の住宅ローンより、賃貸でもう少しいいところに住みたいというニーズを受けて、130戸の賃貸マンションを設計した。これまで名古屋にいい賃貸マンション物件がなかった。東京では南向きの住宅でないと全く受け入れられないが、名古屋では必ずしも南向きでなくてよい、北向きでも名古屋城や岐阜の山々が眺望できるなどで、いい物件になる。
  • 2世帯住宅には、コミュニケーションがとれるスペースを作っている。たとえば、おばあちゃんが縁側に座りながら、庭で遊ぶ孫の姿が見ていられるようなスペース。
    これからも、住む人の嗜好を満足させられる住まいや、そこで働く喜びが感じられるようなオフィスビルなどを、環境との調和をはかりながら作っていきたい。

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18年2月度産業懇談会(水曜1G)模様

 テーマ:『 名古屋の商人“伊藤次郎左衛門”400年の歴史 』

日 時: 2月15日(水)12時30分〜14時00分
場 所: 名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者: 33名


スピーカー:
    佐藤 允孝(さとう よしたか)
   NPO法人“揚輝荘の会” 事務局長

 

1 伊藤家・松坂屋400年の歴史

 始祖は、織田信長三蘭丸の1人伊藤蘭丸祐広(800石、妻・千村氏)。慶長16年(1611)清洲越しの商人祐道(妻・千村平右衛門の姪)が本町で呉服小間物問屋を創業した。これが松坂屋の始まり。万治2年(1659)祐基(すけもと)、 茶屋町に呉服小間物問屋を再開業した。以降250年、ここ(現在のアイリス愛知)で営業し、「次郎左衛門」を名乗った。元文元年(1736)祐寿は呉服問屋から呉服太物小売商に転業し、6ヶ条の掟書「人の利するところわれも利する」、 「正札、現金かけねなし」という抜本的な改革を行なった。延享2年(1745)祐寿は京都室町姉小路に仕入店を開設した。この時期、10年で店主が4度変わるという危機が訪れたが、宇多と番頭伊比儀兵衛らの努力で乗り越えた。明和4年 (1767)祐恵・宇多は、家訓・永代家相続掟目を定める(17ヶ条)営業方針を出した。明和5年(1768)上野の「松坂屋」利兵衛を4517両で買い取った。安永元年(1772)上野店全焼、天明元年(1781)名古屋店焼失、 天明8年(1788)京都店全焼、寛政3年(1791)上野店全焼、この時期大小12回の火災にあった。しかし、各方面の協力もありすぐに復元し、災い転じて福となしてきた。

  寛政10年(1798)藩主お目見、文化2年(1805) 江戸大伝馬町一に木綿問屋を開業(亀店、後のサンメン商事)した。天保4年(1833)尾張徳川お召服承り手違い、御用差止めとなった。天保13年(1842)祐良、大般若経600巻の写経始める、御用金4万両、天保15年(1844) 上野店、御用金200両、嘉永3年(1850)高祖絵詞伝完成、御用金・三人衆で4万両、安政3年(1856)御用金1500両、名古屋車町に木綿問屋を開業(松店)、御用金1万8千両など多額の御用金を納め、幕政に大きな貢献を果たしてきた。

  明治6年(1873)藩債問題は、@天保14年(1843)以前の藩債失効、A弘化元年(1844)〜慶応3年(1867)までの藩債は公債として明治5年から50ヶ年賦・無利息償還、明治8年(1875)愛知県為替方となり、 茶屋町角に出納所を開設し、大阪新町通、「ゑびす屋いとう呉服店」を開店した。明治14年(1881)伊藤銀行を設立(名古屋で最初の私立銀行)し、明治34年(1901)祐昌は店則43ヶ条(接客、品揃え、店員心得など) を制定した。明治41年(1908)祐民は「意見書」を書き、明治42年(1909)伊藤産業合名会社を設立(資本金30万円)し、祐民は渡米実業団(渋沢栄一団長)の一員として米国視察した。明治43年(1910)株式会社 「いとう呉服店」資本金50万円で設立、社長は祐民(33歳)、支配人鬼頭幸七(34歳)、中区栄町に百貨店(鈴木禎次設計)を開店した。大正6年(1917)上野店、4階建て百貨店(鈴木禎次設計)として新築開店し、 大正8年(1919)揚輝荘落成した、大正13年(1924)祐民十五代襲名、銀座店開店、全館土足入場など、当時では思い切った改革を行なった。大正14年(1925)南大津町に新百貨店を新築、社名を「松坂屋」に統一した。 昭和4年(1929)上野店7階建て新本館開店、昭和5年(1930)祐昌没。昭和7年(1932)静岡店開店、昭和8年(1933)中興の祖といわれる祐民、社長・公職を引退し、財団法人「衆善会」を設立した。昭和22年 (1947)伊藤産業合名会社合併、昭和42年(1967)伊藤鈴三郎社長、以降、国内各地をはじめ海外でも店をオープンさせた。平成11年(1999)には現在の岡田社長が就任した。今後は、平成22年(2010)に 株式会社設立100周年、平成23年(2011)創業400年を迎える。松坂屋の創業は三越より古く、最も伝統があるデパートである。

2 揚輝荘について

 揚輝荘は、松坂屋初代社長伊藤次郎左衛門祐民によって、覚王山日泰寺の東南に隣接する1万坪の森を切り拓いて築かれた別邸である。この構築は、大正7年(1918)、茶屋町本家から煎茶の茶室・三賞亭を移築改修したときから始まり、20年間ほどで完成している。最盛時には、移築・新築された建物30数棟が建ち並び、池泉回遊式庭園とともに覚王山の高台に威容を誇っていた。戦時中に空襲を受けたり、松坂屋の独身寮になったり、一部マンション開発が行なわれたりして、かつての面影は失われつつあるが、残された近代建築は、今なおその風格・魅力を失っておらず、地域の文化遺産として後世に引き継ぐべき資産であると考えられる。

  残っている建築資源としては、揚輝荘のランドマーク的存在である「聴松閣」や徳川家から移築された座敷と茶室に鈴木禎次設計の洋室を合体させた「伴華楼」などがある。聴松閣は鉄筋コンクリート造地下1階、木造地上3階の建物で、外観は瀟洒な山荘風である。玄関の床は、100年以上の年輪が見られる丸太の木口を敷き詰め、扉はケヤキの一枚板が用いられている。舞台付きの舞踏室、壁面や柱にはインド風の装飾、広間にはインドの留学生が描いた壁画も残されており、異国情緒を漂わせている。

3 「揚輝荘の会」について

 上述の通り揚輝荘は、歴史、文化、近代建築など多くの要素を持った地域の資産であり、これを保全・活性化し市民のために活用するため、「揚輝荘の会」(NPO法人申請中)を立ち上げた。この会では、(1)近代建築の調査・研究・保全、(2)庭園・緑地の調査・研究・保全、(3)市民参加型イベントの開催、(4)国際交流の場づくり、(5)まちづくり・生涯学習、(6)広報・交流事業、などを行なっている。  引き続き皆さんの積極的なご支援ご参加をぜひお願いしたい。

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18年3月度産業懇談会(木曜G)模様

 テーマ:『 ノリタケの森見学会 』

日 時: 3月2日(木)12時00分〜14時30分
場 所: ノリタケの森
参加者: 28名


◇今回の木曜Gの例会は、岩崎代表幹事のご好意により、「ノリタケの森」を見学させていただいた。施設内レストラン「キルン」にて昼食懇談後、森村・大倉記念館のブリーフィングルームに場所を移し、岩崎代表幹事からのご挨拶をいただいた。引き続き、森村・大倉記念館CANVAS、ウェルカムセンター、クラフトセンターの見学を行なった。

 

1 岩崎代表幹事(ノリタケカンパニーリミテド会長)ご挨拶

 ここの地層を掘ると、歴史が出てくる。最も深いところからはお茶碗が、その次に便器、そしてガイシが出てくる。 それがそっくりそのまま会社になってきた。初代社長の哲学で、ムダのないよう一業一社で事業を展開してきた。この地 でノリタケとして食器を作る、便器はアジアを視野に東洋陶器(TOTO)として九州へ出た。電力の必要もありガイシを作り、 自動車の成長とともに点火プラグを作った。セラミックと名がつけばすべて事業にしてきた。その結果、世界では類を 見ない1のセラミックグループ会社になっている。次に何をやるかがこれからの課題。4社が共同でこの施設を作り、 これからの将来、何を描こうかということでここはCANVASという名前にした。
 また当社100年の歴史のうち、85年は食器が主力であった。しかし、セラミックをコア技術として多角化をはかってきた結果、砥石、電子部品、材料、設備、5つの事業が育ち、現在では、食器の占める比率は2割になっている。
 この施設の計画及び建設当時は、まだ環境、都市景観といった言葉は主流ではなく、用途についていろいろな意見があったのは確かである。しかし、2001年10月オープン以来、毎年50万人ほどのたくさんの方々にご入場いただき、ある著名人からは「私企業としては大きな公共への奉仕であり、都市構造の改善に民間から寄与している好例だ」と評価いただいている。 まだ森というのには30年かかるが、100年分の先輩方の苦労をここに残し、100年間にいただいたお世話を少しでも社会にお返ししていきたいと考えている。

2 施設見学

(1) 森村・大倉記念館CANVAS

 この施設は、森村グループ4社(株式会社ノリタケカンパニーリミテド、東陶機器株式会社、日本ガイシ株式会社、日本特殊陶業株式会社)の共同出資で設立された展示館。  身近な暮らしの中で役立つセラミックス(トイレや洗面所、バスルームから、医療に関わる分野まで)、産業で役立つセラミックス(自動車や精密機械部品の加工、半導体製造工程など) 、環境にやさしいセラミックス(空気や水の汚れをきれいにしたり、エネルギーづくりに役立つ)などが現物展示されており、その用途の幅広さ、社会での有用性などを目の当たりにすることが出来た。

(2) ノリタケの森「ウェルカムセンター」

 ここの2階には、ショールーム「セラボ」があり、創業から100年の間に様々なテクノロジー分野に進出している現在のノリタケグループが紹介されていた。カーボンナノチューブなどの技術開発センターから、研削砥石などの工業機材、電子部品、セラミック部品、環境エンジニアリングに至るまで、ノリタケの技術の粋が展示されており、改めてコア技術を軸にした幅広い事業展開に感心させられた。1階にはプレステージショップ「ステージ」があり、世界ブランドノリタケの最高級陶磁器が展示販売されていた。ボーンチャイナ製の干支から、ノリタケしか出せないという深い真紅な色あいが特徴の「辰砂」シリーズ、大倉陶園製の名作の数々など、大変興味深く見学した。

(3) ノリタケの森「クラフトセンター」

 ここでは、陶磁器の生地製造から絵付けまで陶磁器が作られる 工程が、わかりやすく順を追って紹介されていた。原材料や中間 工程品の現物をはじめ、実際に絵付師が絵付けしている様子など も見ることができ、ノリタケの技術と経験、土と炎と人間の手が 作り上げる素晴らしいドラマを垣間見ることができた。  また、1890年代から輸出されたオールドノリタケと呼ばれる 製品の数々が見られる「ノリタケミュージアム」が併設されて おり、ノリタケが1世紀にわたり創造してきた数々の名作に 出会うことができた。見学した会員一同、時を越えた深い味わいにふれ、古き良き時代へのタイムスリップを楽しむことができた。

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【新会員自己紹介】

藤堂 聡太郎(とうどう そうたろう)

日興コーディアル証券名古屋支店 支店長

【日興コーディアル証券名古屋支店】
〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄3-2-3 名古屋日興ビル
TEL:052-252-9801 FAX:052-263-2539
URL:http://www.nikko.co.jp/index.html

 日興コーディアル証券名古屋支店の藤堂でございます。 この度産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくことになりました。よろしくお願い いたします。
  私も名古屋は15年振り二度目の勤務です。見聞を広めようと入会をお願い致しました。
  当社は1920年旧日本興業銀行・証券部から日興証券として独立、名古屋支店は1944年から 当地でお世話になっており、支店で最大規模となっています。
  総合金融サービスを標榜しており、M&A・公開・事業承継に強みがあります。  2001年に旧体質との訣別の思いを籠め、日興コーディアル証券と社名を変更いたしました。
  『コーディアル』という言葉は、cord(絆)+dialogue(対話)の造語で『誠心誠意の』という意味です。  私は全国を転々としておりますが三重県出身の単身赴任5年目です。息子もいつの間にか 大人になっているといった感覚ですが、この仕事に就いてくれないかな、とようやく思えるように なりました。  不才の身でございます。ご指導、ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

吉田 憲三(よしだ けんぞう)

ダイセー倉庫運輸株式会社 代表取締役社長

【ダイセー倉庫運輸株式会社】
〒485-0084 小牧市大字入鹿出新田字新道900番地
TEL:0568-72-7221 FAX:0568-73-7125
URL:http://www.ddaisei.co.jp/

 ダイセー倉庫の吉田憲三です。産業懇談会、木曜グループに参加させて頂く事となりました。宜しくお願い致します。  昨年迄当社の社長であり、木曜グループでも御世話になっておりました加藤俊夫氏は、私の実兄であります。太平洋戦争が私達兄弟に8年という年齢差と、兄弟異姓というものをもたらしたと今は明るくお客様等には営業トークとして使っております。  32年間、兄が手塩にかけて作りました会社を今年から引き継ぐ事となりました。大変緊張致しております。しかしながら、運命と覚悟を決め、頑張っていく所存です。  創業以来、"中部三県のマルチロジスティック"のダイセー/ジャスト便としてお客様の御要望にお応えして参りましたが、今年の4月には国際部を立ち上げ、社内に国際感覚の芽生えを少しずつ喚起させようと思っております。  沢山の皆様方との新しい出会いを楽しみにさせていただいております。宜しく御指導、御鞭撻の程、お願い致します。

橋本 誠(はしもと まこと)

リコーエレメックス株式会社 代表取締役社長 兼 CEO

【リコーエレメックス株式会社】
〒464-0075 名古屋市千種区内山2丁目14番29号
TEL:052-734-0301 FAX:052-734-0320
URL:http://www.ricohelemex.co.jp/

 1月1日付で リコーエレメックス(株)社長に就任致しました橋本 誠と申します。 この度、産業懇談会 水曜第2グループに参加させていただくことになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 当社に来る前は (株)リコーにおりまして、画像機器事業(複写機,プリンター,FAX等)、その後パーソナル機器事業(デジタルカメラ,DVDメディア&ドライブ)等を担当してまいりました。
 当社は名古屋に本社を置き、工場は3ヶ所(愛知県岡崎市,岐阜県恵那市,中国深セン市)。事業内容は大きく分けて3つあります。
(1) 情報機器(複写機等の周辺機器,ジェルジェットプリンター等)
(2) 計量計測機器(ガスメーター,水道メーター等)
(3) 精密機器(時計,卓上ロボット等の産業機器,特機,空気清浄機,治工具,精密加工部品等)
  この産業懇談会に参加させていただくことで、多くの異業種の方々とお知り合いになれることを楽しみにしております。ご指導・ご鞭撻のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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【4月度産業懇談会開催日程】
【4月度産業懇談会】 (場所は、名古屋観光ホテルです。)
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄

4月11日(火)
12:00〜14:00

株式会社テクノ中部
 取締役社長 山本 豊氏
「エネルギーと環境」
18階
伊吹の間
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇

4月19日(水)
12:00〜14:00

ニューライトサービス株式会社
代表取締役 淺井 博司氏
「『働く人への環境改善』
 トヨタグループ様に教えられたこと」
18階
オリオンの間
水曜第2グループ 片桐清志
谷田利景

4月12日(水)
12:00〜14:00

雪印乳業株式会社
 中部支店長 広部 敏昌氏
「雪印乳業の再建にむけて」

18階
オリオンの間
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助

4月6日(木)
12:00〜14:30

株式会社札幌かに本家
 代表取締役 日置 達郎氏
「『日置流雑感』〜食と健康を通じて〜」

18階
オリオンの間

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【お知らせ】
 

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【コラム】



〔花ちゃんからの健康だより〕 No.24

財団法人 愛知健康増進財団
保健師 佐藤 花子

少子化問題の話

     3月の花 三叉(みつまた)  
 桜の開花がたのしみですね。子供の卒園式で園児が「♪桜の苗が大きく育つ頃、ぼくらはみんな大人になるんだ〜♪」と歌っていたのを思い出しました。皆さまは桜をとても意識したのはいつの頃からでしょうか。案外、大人になってからかもしれませんね。
 さて、私たちにはどんな人にも必ず先祖があり不思議な力で命は継承されてきました。地球の様々な環境下、進化して現代の私たちが生きています。今、地球上の生物の中には絶滅の危機にある生物が数多くいると聞きますが、それに反して地球上の人間の数は増加の一途です。そのため中国の「一人っ子政策」は知るところですね。ところが、日本は逆に人口減少の時代に入りました。この割合でいくと1千年後には日本人は何人になるかを単純に計算した学者がいます。なんとたった156人になってしまうというのです。これはあまりに極論ですが、未来において働く人は一体誰になるのでしょうか。狭い日本国土に外国の労働者でいっぱいになるような気がしてなりません。もちろん遠い国からの労働者の方も大切にしなければなりませんが、日本国憲法や労働安全衛生法などは誰のために・・・。 子供を産み育てられる環境づくりは社会全体で考えていかなければなりません。桜の咲く中、新しいランドセルを背負って、元気いっぱいに入学式を迎える子供が姿を消さないようにしたいものです。若い世代が私的時間を充実して過ごし、育児が今より余裕をもってできるように年配者は考えてあげようではありませんか。働きすぎて命を産み育てる元気もないようでは、日本の発展はありえません。育児は『育自』であり、さらには『育・日本』ではないかと考えているこの頃です。皆様のご意見は?
【メモ帳】

 沈丁花の仲間で、赤や黄色の花が、蜂の巣が枝にぶら下がったように咲きます。名前の語源は枝が3つに必ず分かれて伸びていくからです。その樹皮は和紙の材料で有名ですね。しわになりにくく、虫がつきにくいので、明治10年より紙幣の印刷に使われ、現在の一万円札などの材料になっています。このお金の材料でもながめていれば金運に恵まれるかも・・・・・

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株式会社リーダーズドメイン代表取締役会長
窪田経営塾塾主
窪田 貞三

『企業の進歩発展のヒント:bP2』
【なんのためにを考えれば成長する】

 「なんのために」が分かっていないと「なんとなく」になってしまいます。言うまでもなく、社員に「なんとなく」仕事をされては困ります。では、社員は皆「なんのために」を分かって仕事をしているのでしょうか?例えば、社員が入社した時の企業選択基準を振り返ってみると、「なんのための企業」というより、「なにをしている企業」という基準で選んでいるのではないでしょうか?「なんのために」という目的ではなく、「なにを」という手段で就職先を選択しているということではないでしょうか?そういう状況で入社した社員は「なにを」という手段先行の仕事なんとなくの仕事をしてしまいます。また、本来手段と言える「なにを」を、目的にしてしまっていることもあるでしょう。人は目的を持つことで成長します。「なんのために」があってこその「なにを」なのです。その優先順位さえ間違えずに行動すれば、人は成長します。人が成長すれば、その人の集まりである企業は必ず成長します。

・・・・<事例研究> 芸術家シリーズ−1「あるミュージシャン」・・・・

 あるミュージシャンが作品を作っている時の自分自身の思いを語りました。「作詞・作曲をする時に、一時的に売れる曲を作る方法がある。しかし、私は売るための曲作りではなく、人の心の奥に残る曲を作りたい。すぐに理解されなくても、少しずつでも、なにかを感じてもらい、人々の心のどこかに残る曲を作ることが私のミッションです。」そう彼は語りました。彼の言う「売れる曲作り」とは、まず始めに今の時代の流行のリズムを考え、次にそのリズムにサビのメロディーを付け、そのサビに合う全体のメロディーを考え、そして最後に詩を書くということだそうです。それとは逆に、彼はまず初めに、人の心の奥に語りかける詩を考え、次にその詩を重視したメロディーを付けるといった曲作りをするということです。よく彼が口にする言霊を人の心に伝え、一人一人、聴く方々の心の奥に語りかけ、問いかけ、時に提言し、曲を一方通行ではなく語り合うきっかけと考えているのだそうです。

 このミュージシャンは、プロデビューしてからすでに20年という長い年月作品を作り続けています。20年前、彼の同期に一時代を創るような、とても売れる曲を作るミュージシャンがいました。しかし、そのミュージシャンは3年ほど曲を作った後に引退したのです。たとえ一時的に売れても、その場の心地よさはあっても、人々の心に残る曲を作ることが出来なかったのでしょう。この話は、企業経営においても言えることではないでしょうか?一時期に、あるいは急成長した企業を見ると、私は「すぐに良くなることは、すぐに駄目になること」という言葉を思い浮かべます。心を持って地道にコツコツ‐--、それが一番大切なことではないでしょうか?  
●プログレスとは

 プログレスとは、『新時代経営コンサルティング手法』として、私の会社である株式会社リーダーズドメインにおいて企業経営ご指導法として用いているもので、日々多くの企業と関わらせていただいています。同じように努力していても「潰さないための経営」より「進歩発展のための経営」のほうが企業組織は生き生きとするでしょうし、企業におけるマイナス面の分析でも、「成り立たせるための分析」よりも「進歩発展させるための分析」のほうがより良い組織創りに繋がる---と言う考えを土台に持ったものが、このプログレスです。

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〔苗字アラカルト〕 No 46

片桐清志

『新と古』

 まもなく新年度が始まる。新学期、新入社員等この時期は「新」の字が躍る。苗字でも「新」は人気者だ。新で始まる苗字だけでも335種もある。しかし「古」も負けてはいない。実は古で始まる苗字は425種で新を大きく上回る。古の字を用いることで苗字に歴史的重みを感じたのかもしれない。
 新の一字姓も有る。アタラシイ、アタラシ、シン、ニイ、アラタ、アラの呼び方がある。「新」姓でユニークな苗字を紹介すると、「新入(シンイリ)」「新作(シンサク)」「新任(シンニン)」「新生(シンセイ)」「新酒(シンシュ)」「新内(シンナイ)」「新巻(アラマキ)」「新妻(ニイヅマ)」「新聞(シンブン)」などは場面によってはややこしくなりそうだ。このほかにも「新居」「新春」「新館」「新品」「新興」などもあるがこちらはずばりの読み方は無く、「アライ・ニイ」「ニイハル」「ニイタテ」「サラクワ」「ニイオキ」とお読みするようだ。「新仏(シンブツ・ニサラギ)」も出会うとびっくりするだろう。
 古も一字姓がある。フルイ・フル・コの呼び方がある。もっと念を入れた「古古」もあって、フルコと読む。「太古(タイコ)」もある。こちらもユニークな「古」姓を紹介すると「古都(コト)」「古井戸(フルイド・コイド)」「古今(コキン・ココン)」「古代(コダイ)」「古俵(フルダワラ)」「古銭(コセン)」「古寺(コデラ・フルデラ)」「古堂(コドウ)」「古宿(フルヤド)」「古道(フルミチ)」「古城(コジョウ)」「古友(フルトモ)」「古巣(フルス)」「古里(フルサト)」「古手(フルテ)」などガ実在する。「古後家(フルゴケ)」や「古妻(フルヅマ)」は結婚披露宴のときなどは少々気の毒だが、もっと気の毒なのは「古糞(フルクソ・コゴエ)」だ。
 ついでに「旧」も調べてみると「旧家(キュウケ)」「旧居(フルイ)」など7種見つかった。新でもなく古でもない「古新(コニイ)」や「新古(シンコ)」まである。温故知新の思いをこめたのかもしれない。因みに「温故(オンコ)」さんは見つかったが、残念ながら「知新」さんが見つからなかった。

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【平成18年3月号編集後記】

 「平成の大合併」の特例法の期限がまもなく終了する。今年戴いた年賀状でも合併で誕生した新しい市を随分拝見した。本施策はしっかりした住民サービスを維持するために一定規模を確保しようという趣旨と理解する。「地域で出来ることは地域で」の地方分権の考えに沿ったもので、今後の国と地方自治の新しい関係の基盤づくりとなる。

 合併が大きな流れだが、地域でやるべきことは地域でという考えは同じだが、別の方法を目指すところもある。福島県の矢祭町は合併推進議論が本格化する前の平成13年10月に「合併しない宣言」をしている。地方交付税削減に反対する動きは多いが矢祭町の宣言は「自立できる町づくり」宣言だ。その後住民と一体となった町づくりと財政改革に取り組み、財政調整基金を増加させるなど努力が実を結んでいる。

 人口7000人の町が根本町長と一緒になって、「子供たちが輝く未来」を作るために立ち上がった結果だ。規模の拡大ではなく、住民の郷土愛と町役場の職員のきめ細かい行政で辺境の地の活路を拓こうと努力を続けている。町の広報誌がHPに掲載されているのを拝見して驚いた。町は今年50周年を迎えるという。おそらく町をあげてのお祭りになるのだろう。情報公開といった義務的な色彩でなく、情報共有の視点がしっかりしている。ここには今の日本が捨ててしまった「住む人の絆」のしっかりしたコミュニティが息づいている。是非全国の自治体に原点を示す好例として今後の健闘を期待したい。

 さて今月号では藤堂、吉田、橋本氏の3名の新会員をご紹介できた。各自のメッセージにあるように新しい出会いが楽しみだ。

 例会模様ではマイケル氏から建築に対する思想をご披露いただいた。コストダウンではなく、価値創出が使命との哲学に心打たれる。佐藤氏には松坂屋4百年の歴史と揚輝荘の成り立ちと保存活動をお話いただいた。大正の文化建築保存の熱意に頭が下がる。木曜グループは先月に続き持ち出し例会だ。こちらもノリタケ百年の企業活動の産業遺産とも言える「ノリタケの森」を岩崎代表幹事のご好意で、産業懇談会ならではの満足度の高い見学となった。

  今後も会員の交流を深められるよう多彩な企画を工夫したい。

(片桐)